本書でも、足利尊氏・楠木正成・佐々木道誉の三者を中心に物語が続く。
これが天下の反宮方から、あれほどに狙われている首の持主なのか。大蔵には、その人が、何かふしぎな者に見えた。
豪傑というのだろうか。いやそんな強げな大将でないし、智者ともみえない。あの加賀田の隠者のほうが、よほど学問もありそうで眼もするどい。
では何だろう、この人は。
こう対していても、べつに人を圧する威厳があるわけでもない、いっかな無口で、茫洋としていて、彼にはつかみどころがなかった。けれど何か一しょにいると、あたたかだった。おそろしい飢えと敵の重囲の中にある気はせず、つつみ隠しもいらない穏やかで正直な人とただ夜を共にしている感だけがあって何もなかった。ーーあらゆる種類の人間を猜疑し、また嗅ぎつけてきた大蔵なので、その直感だけには自信がもてる。(278頁)
元は六波羅探題の忍びであった忍の大蔵による楠木正成評である。敵としての存在から、正成に魅せられて旗下に下った人物である。正成の人物の大きさ、もしくはその真っすぐさが分かる描写である。
「言いなさんな。正成どのは、おまえさんのことなんざ、悪くもいわず、よくもいわずだ。ましてこの大蔵の去就などに目もくれてはいない。また千早には、大将から兵のはしまで、出世を考えているようなのは、ただのひとりもいねえンだよ。そんな娑婆ッ気で居たたまれる城じゃあない。そこらが、おまえさんの学じゃ割りきれねえとこなんだろう」
「………」
「だが、おれは見た。人間もほんとに信じあって一つにかたまると、こうも強く美しくなるもんかっていうことをね。人間を見直したよ。やくざな俺までがあの籠城には手をかしてやりたくなるんだ。千早の中へはいったのが身の因果か何かは知らぬが」(349頁)
引き続き、大蔵による正成への想いの吐露である。正成の評価というところから派生して、正成を慕って死地で獅子奮迅する部下たちへの想いや、彼らへの共感を通じて、正成および楠木軍の強さをよく表現しているようだ。
ふるびてはいるが、まだ生きていたかのような灰白色の一旒が、旗竿のさきにたかくひるがえった。ーー高氏はひとみをあげてその流動に見とれた。十年の思いがいま虚空に呼吸をえている姿にみえる。また、日ごろ崇拝していた頼朝の加勢をいま証に見たかともおもった。(429~430頁)
次は足利尊氏である。鎌倉へ反旗を翻す決意を持っているにも関わらず、その意志に気づかない執権・北条高時からもらった源氏の御旗を前にしての想いである。頼朝への崇拝と共に、十年前に先祖に誓った意志を思い返す印象深いシーンである。
「む。新田が起つ。上野国の新田小太郎義貞も、その遠くは、足利と同祖の家。ーーこれまでの反目も水にながして、同時に起つ密約もすんでおる。ーーあとは、同じ源氏の名門では、御当家だけだが、賢明なそこもとが、ここを踏み過るはずはないと、新田も見てれば、またかくいう高氏も、十年らい、この目でみてきた佐々木道誉だ、かたくその者を信じてこれへ来たわけだ。わかろうがの、こうまで申せば」(492頁)
幕府側と宮方へも色気を見せる佐々木道誉。その道誉を宮方へと決めさせるために、尊氏は単身で道誉を訪れるという奇策を敢行し、このような大戦略も含めて意志を伝える。リーダーシップの本質を感じさせる言動ではないか。
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