建武の親政のはじまりと、そのあまりに早い瓦解を描く第六巻。俗に南北朝の戦いと呼ばれる争いを、武家と公家の双方が、天皇と天皇との戦いとはせず、足利対新田という武家の争いとして、大義名分を合作する様は、非常に興味深い。どこか<日本的>と思えるような作用である。
足利と新田の綱引きにおいて、足利尊氏は楠木正成を自陣に引き込もうとする。これは、戦略的な見地に立ったものであるとともに、正成の人間性に対する尊崇の念もあるかのようだ。
土豪には土豪の土臭、武者には武者の骨柄があるものだが、正成には、そんな力みがどこにもなかった。
それも、しいてしている低姿勢とはみえず、人前に臆しがちな、はにかみともいえそうな翳が、その肩や面ざしを、自然なやわらかいものにしていて、するどい圭角らしさなどは物腰のどこにもない。いってみれば、そこらの往来でも役所の門でも、ざらに見かけられる平凡な四十男、あるいは布衣のなにがしといった程度の人としか思えない目の前の正成だった。(67~68頁)
正成に対する尊氏の印象の描写という形式で書かれた部分である。穏やかながら芯があり、泰然自若な中における強さが描かれているように思える。
かねがね彼は、河内の正成ひとりは、どうあっても、敵にまわしてはならぬものとしていたのである。もし味方に加えて大望の一翼とすることができたらとさえーーひそかに考えているほどだった。それはきのう今日の思いではない。赤坂、千早における楠木一族なるものに遠くから注目しだした頃からの慕念であった。士は士を知る。男が男に惚れたのだと彼は思う。(73頁)
それでも尊氏は六波羅までのあいだに、この者たちの態度や騎馬法などを見て、なるほどくれくらいな者が千もいれば、赤坂、千早の戦いもできえたろうと思われた。兵をみればその主将の人柄はたいがいわかる。尊氏は広い世界を恐れずにいられなかった。それにつけ、正成の存在は、前より大きな障害と考えられた。大望の一路をさまたげる難山となるかもしれない。今夜の口吻とあの信念、焼き刃がねのような純粋な人柄。まるで動かぬ山だ。山はこっち向けにすることは不可能だ。彼はひそかにあきらめた。(76頁)
二つの描写を引用した。正成に対する尊敬の想いが強い尊氏だからこそ、その人間性の純粋さに付け入る隙がないことにも気づく。天下泰平を目指す尊氏と、自身の生まれ育った土地の人々と家族との平和を目指す正成。そのあまりに大きなベクトルの相違が、二人の英傑を並び立たせなかったのではないか。
次は、新田義貞による尊氏への感情について触れてみたい。
尊氏という人間を観るうえでは、たれよりも、自分が最もよくそれを知る、としていたからである。
新田、足利とならんで郷国も隣り合っていたし、幼少からの人となりもお互いよくわかっていたうえ、隣国同士、喧嘩のしのぎもけずりあい、鎌倉入りには味方ともなって、両軍、くつわをならべて攻め入った仲でもあるのだ。ーーが、その後においては、
食えぬ男。
心底の読めぬ尊氏。
と、義貞の尊氏観は、いちだん、以前とちがっていた。(110頁)
幼少のころの尊氏を知るために、現在との差分への理解もまたよく知悉しており、尊氏の人間性を理解しているという自負にも繋がっているのであろう。
ゆめゆめ、もうあまく見てはならぬ。ーー戦でなら負けはしないがーー謀にかけては寸毫の油断もならぬ尊氏、義貞一生の強敵と心がくべきだ。さもなければ、鎌倉終末の大失敗を、ふたたび都でもかさねるだろう。謀だ。彼は謀にとむ大敵だ。(111頁)
他者を軽く見るということは、軽く見たいという自分の主観的な感情が為すのかもしれない。その結果、油断大敵という言葉があるように、しっぺ返しを受けることになる。いわば、過去の自分自身の過失が、現在の自分自身に復讐するのである。換言すれば、自分の主観を排除して、他者の評価を客観的に捉え直すことが私たちには必要なのだろう。
最後に、尊氏が、後醍醐と対立することになってまでも、天下を目指すことを決断するシーンを見てみたい。
天下の武士あらましは、公家政治に失望して王政ならぬべつな“何か”の形態を統一のうえに欲している。ーー北条残党ののろしが、東国の野でたちまち巨大な火勢となったのも、現状に不平な枯れ草が土壌いたる所にあるからだ。
これは、尊氏として、坐視できない。武士の不平は、彼にすれば、彼のいだく大望の理想楼閣をきずく良材なのだ。味方なのだ。その素地を、北条再建軍にうばわれては、彼の立脚する所はなくなる。
かつは、朝廷としても、ここまできた北条討滅の意義は霧消してしまう。ーーだからたとえ朝命をまたず無断東征に赴いても、それは天下の御為ともいえるのではなかろうか。
尊氏は、しいて自分の行為に、そう理由づける。(188~189頁)
朝廷に対する深謀遠慮の精神を持ちながらも、自身の大望から鑑みた上で時局への対応をはかろうとする。それはすなわち、後醍醐との対立を意味することになるが、いたしかたないと自分自身を納得させている。この尊氏の朝廷を慮る気持ちは、以下の、直義への強い言葉にも表れていよう。
「ちがう。尊氏の意はちがう。どうなろうと、天皇はやはり至上の上にあがめおきたい。この国の美だ、また要だ。もしそれをなくしたら、さなきだに俺が俺がの天下は、のべつ乱麻乱世のくりかえしだろ。それを恐れる」(214頁)
「国家」という概念までが尊氏の頭にあったとは思えないが、泰平な世の中の実現という点は意識に強くあったのだろう。そのために、天皇という存在を重んじる必要があると考えた点は、軍人というよりも政治家としての秀逸さを感じさせる。
「時運はたえまなく動いているのだ。そうこだわるな。眼前の事態にのみ固着した頭脳では手も足も出せはせぬ。ーーやがて勅使も帰洛のうえには、何かの変も生じて来よう。打つ手も自然出てくるものだ。尊氏もここしばらくは静観しよう」(220頁)
冷静沈着さをなぜ尊氏が重んじるのか。それは時局を見極め、長い時間軸で現在の現象を捉え、対応しようとするからだろう。そうであるから徒に慌てることなく、ゆったりと構えることができるのであろう。激烈なリーダーも人を魅了することがあろうが、尊氏のようなリーダーこそ、人を惹き付け、組織を創り上げる存在なのではないか。
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