2014年10月1日水曜日

【第348回】『私本太平記(三)』(吉川英治、講談社、1990年)

 足利尊氏、楠木正成、佐々木道誉。後醍醐天皇の近習ではない三者が、遠くを周回する衛星のように、遠心力と求心力とが調和されているかのように、三者が後醍醐を取り巻きながら、それぞれに影響を与え合う。

 ことばには馴れる。覚悟の必死のと言いあってみても、すぐ観念化されやすい。
 正成が“砦入り”のその日に、祖先いらいの館を、まず真ッさきに焼き払って出たのは、ことばだけでない覚悟のほどを、みなの眼に見せたものだった。(62頁)

 まずは楠木正成から。言葉は少ないが、行動で将兵たちに意志を示し、戦略を遂行させるその様は、軍神という名にふさわしい。ふわふわとした言葉を重んじるのではなく、行動によって意図を示す。

 「そうだろう!」
 高氏は膝を打った。じぶんの観測は中っていた。将は将を知る。独り愉快を禁じえぬらしい。
 「かねて正成の人となりは、そちからつぶさに聞いていた。その正成が、小城一つ失ったとて、やわか、むなしく焼け死ぬものか。藁人形ではあるまいし」(187~188頁)

 鎌倉幕府側の尊氏をして、後醍醐天皇側の正成を称揚する。二人は、その後も敵味方に分かれる運命にあるわけであるが、尊氏による正成への敬意は、人間の美しい感情を表しているように感じる。

 こんな時代だ、おれはおれの生き方で行く。時代をおれの時代のように振舞ってゆくぞ、と、いつの時にか腹をすえたような太々しいものがあった。ーーもう一歩その底意に立ち入れば、彼もまた、近江半国の守護という好位置を利して、ひそかに天下への野心を抱くものかも知れず、または婆娑羅大名の奢りだけにほぼ満足しているものか、その辺の区別は、彼もまた一種の怪物であり、大物だけに、余人にはつかみようもないのである。ーーいや彼が稀世の怪物なら、時雲のうごきも一寸さきが逆睹できない怪雲であるから、彼自身にさえ、ほんとの腹は固まってないのかもしれなかった。しいて本音を吐かせれば「……いやその両方だ。生きるからには婆娑羅に世をたのしみ、あわよくばまた、天下も取りたい」と、空嘯く者なのかもしれない。(129~130頁)

 次は、佐々木道誉を取り上げたい。北条高時の寵愛を受けながらも、後醍醐天皇側との関係を作ることにも余念がなく、尊氏との関係性も常に揺り動く。その動きの分からなさは、自分自身すらその意志や野心が分からないからではないか、という著者の洞察は納得的だ。

 だが高氏は何のこだわりもない風だった。先ごろ、ついこの辺で道誉の家来たちを懲らしたことも、以後、小右京の身を山荘にひきとっていることなども、忘れていた。ーーそしてただこの一怪物を、将来の用のため、自家の薬籠中のものにしなければと、ひそかに誓っていただけだった。(195頁)

 尊氏は折に触れて道誉に振り回されるし、煮え湯を飲まされるようなこともさせられる。しかし、嫌いたくなるときほど,その存在の重要性に思い知らされるのであるから、皮肉であるとともに、人間関係の不思議さを感じさせる。

 こんどの旅で広く見わたしても、高氏ほどな男は、まず見あたらん。未来の運を賭けるなら高氏しかない。(322頁)

 張り合う好敵手と見做しながらも、相手の実力を認める姿勢は、道誉もまた高氏に対して抱いている。しかし、一筋縄にお互いが手に手を取り合って、という関係性にならないところもまた、好敵手というものなのだろう。

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