2014年10月27日月曜日

【第365回】『ブランド』(石井淳蔵、岩波書店、1999年)

 消費欲望や権威といった実体に還元して理解しようとするとある種の迷路に足を踏み入れることになる。ブランド価値はそれらに還元しえない「何か」だと考えるしかない。(12頁)

 需要の主体たる消費者のニーズや、供給の主体たる企業による権威価値といった実体に還元しえないもの。しかし、そこにたしかに存在する価値を、著者はブランドの定義として用いている。ではその内実はいったい何か。著者の論旨を追っていきたい。

 まず著者は、技術軸と使用機能軸との二つの軸によって、ブランドのタイプを四つに分けている。以下の図2-1(43頁)をご覧いただきたい。


 ここで重要な点は、ブランドのタイプに応じて、いかにブランドをマネジメントするかという戦略および組織形態が異なることである。以下の表2-1(65頁)には、具体的な事例とともに説明が為されている。


 図2-1の四象限の左下である製品指示型がいわゆるプロダクト・マーケティングであるのに対して、右上のブランドネクサス型が狭義のブランド・マーケティングである。その間に位置する技術ネクサス型と使用機能ネクサス型と合わせて、対応すべき組織マネジメントが異なることに留意したい。

 ブランドという実体のない概念を象り、そのマネジメントのあり方を論じた後に、著者はブランドという概念に共通する特徴について論を進める。

 ヘーゲルの主人と奴隷の弁証法にしたがえば、主人が奴隷の労働に依存しているということを認識させられたときに、主人は主人でなく、奴隷は奴隷ではなくなる。主人は奴隷によって主人だと思われているからこそ、主人であり続ける。しかしこれは、「みんなが一斉に「そうではない」と思えば、そうではなくなる」という関係である。そうした関係は共同幻想と名で呼ばれる。
 ブランドも、そう理解される場合が少なくない。だれかが「その意味世界は幻想だ」と気がつけば、一瞬にしてなくなってしまう世界だと思われることがある。あるいは、「みんながいいというから、みんなが憧れるから、そのブランドがある」という群集心理のようなものだと理解されるときもある。(135頁)

 著者が正反合による弁証法というアナロジーを用いているのは、ブランド価値というものが供給主体と需要主体との共同作業によって形成されるからであろう。したがって、企業が自社のブランド価値を高めようとする際には、自分たちが何を為すかという観点と共に、消費者のリアクションをも合わせて検討する必要がある。そうしたインタラクションを効果的に起こすために有効なのが図2-1で述べた四つの象限に応じた対応である。

 ブランドがその価値を深化させる契機は、同時にブランドがその価値を喪失する契機でもあることに十分注意しなければならない。それこそが、「命がけの跳躍」の本質である。そして、いったんブランドがその価値を喪失しはじめれば、「ブランドと製品との支え支えられる構造」はそれを押しとどめる歯止めにはなりそうもない。「支え支えられる構造」は相互に支えあうかぎり、好循環するかぎりにおいて、威力を発揮するのであって、その構造じたいを支えるテコとなるようなものではない。逆に、支え支えられる構造が悪循環となって、ブランドの構造をそしてブランドの価値をとめどもなく崩壊させていくことにもなりかねない。(164頁)

 需要側と供給側の共同作業によってブランド価値が変化するということは、上昇スパイラルが存在することと同時に下降スパイラルが存在することをも含意する。つまり、供給側として有効と考えた施策がブランド価値を毀損することもあるのである。だからこそ、ブランド・マネジメントは難解であり、以下のように著者は述べる。

 包括性の論理と差異性の論理との矛盾が、ダイナミック・ブランド・マネジメントにはつねに影を落としていることである。徹底してブランドとしての包括性が追求されているように見えたとしても、それは、差異性の論理を苦労しながら隠蔽している結果である。同じように、差異性を徹底して追求しているようでも、その背景には常に包括性の論理が控えている。ダイナミック・ブランド・マネジメントの核心は、包括性と差異性のどちらかの道を、いわば、「大地を堂々と危なげなく歩く」というより、「どちらに転ぶかわからない屋根の上を不安げに歩く」という形容があたっている。(中略)二つの論理のどちらをとるかという問題には、奇妙なことに、根拠ある解はなく、つねに揺れ動く可能性を抱えているのである。(169頁)

 ブランド・マネジメントの難しさをイメージするには、人気の盛衰が早くダイナミックである芸能人を想起すれば良いだろう。そうすると、長期間にわたって、多様なグループのブランド価値を向上させている秋元康氏から、ブランド・マネジメントを学ぶことが有効と思えるのは論理の飛躍であろうか。


2014年10月26日日曜日

【第364回】『豊臣秀長(下)』(堺屋太一、文藝春秋、1993年)

 人間、どの道を選ぶにしろ大いなる成功を収めるには運がよくなければならない。だが、好運を得るためには努力と実力と忍耐が不可欠だ。成功者の好運は、運を逃さぬ絶え間ない努力と、運に乗って飛躍できるだけの実力と、運が来るまでの苦難に耐える忍耐との成果なのだ。
 世に、努力もし、実力もあり、忍耐もしたのに、ついぞ運に恵まれずに人生を終えた不幸な人も数多い。しかし、努力と実力と忍耐を欠いて好運だけで大成功した人物は見当たらない。
 日本史上で最も激越な競争社会が成立していた十六世紀の戦国時代に大成した英傑たちの生涯を見る時、つくづく思うのはこのことである。(9頁)

 戦国時代という競争のルールや環境の変化が激しい時代において何が求められたか。著者が挙げる三つの点のうち、忍耐という言葉が最も重たく私には響いてくる。努力や実力があったとしても、苦境の中で数年間を過ごすことは存在する。そうした状況の中で、いかにして忍び難きを忍び、耐え難きを耐えられるか。戦国時代と同じかそれ以上に変化の激しい現代において、重視したい観点である。

 戦国時代という激越な時代を生き抜き、天下を統一した豊臣秀吉と秀長の兄弟。秀長の補佐役としてのあり方もまた、いかに忍耐するかという具体策を考える上で非常に参考になる。以下に五つのポイントを取りあげて、考察を加えてみたい。

 兄・秀吉は、誰もが嫌うこの損な役に、実弟の小一郎を選んだ。弟なるが故にである。
 <小一郎殿はいつも損なお役じゃわい……>
 家中の中には、そんな声もあったが、それには、
 <お陰でわしらは助かった……>
 という響きもこもっていた。そしてそれに小一郎は満足した。自分が兄の補佐役として大いに役立っていると信じることができたからだ。(30頁)

 第一に他者が嫌がる仕事を受け容れる覚悟が挙げられる。むろん、こうした困難な仕事を任せられるだけの実力と、それを他者に評価されるだけの努力の積み重ねが前提として求められることは言うまでもないだろう。他者が嫌がる仕事の中には、当時の時代背景を考えれば、生き死にに関わることが多い。そうした仕事を喜んで受け容れるというのは、現代の私たちの想像を絶する覚悟である。

 たとえ、「兄に劣る弟」と冷笑されても愚直を装って耐えねばならない。補佐役たる者は、時としてあほうになり切る才覚もまた、必要なのだ。(127頁)

 第二の点は、自分自身を不当に低く見られることを受け容れる忍耐である。自分の努力や実力のお陰でマネジメントが機能しているという状況においても、あえて自分自身をトップより低いレベルであるという評判を甘んじて受け容れること。頭では理解しても、身体で受け容れづらい、他者から不当に甘んじて見られることに対する忍耐が、補佐役には求められるのである。

 主君の兄が決定したことに異論をさしはさむのは、この際の得策ではない。兄の予測がはずれ、自分の忠告が当ったとしても、兄の権威を傷つけるだけで得る所がない。補佐役たるもの、主役と才知や人気を競うようなことをしてはならないのである。(165~166頁)
 こうなると、小一郎の口の出す幕ではない。相談の形でもちかけられれば苦言もいとわぬが、主将の兄が決断したことには一切批判しないのが補佐役の節度というものだ。(219頁)

 二箇所から引用して考察したい第三のポイントは、トップを引き立てることである。トップの意向や決定事項を現場に落とすことが補佐役の役割なのである。だからといって、トップの主張全てに単純に従うわけではないことに留意が必要であろう。著者が述べるように、トップから相談を受ける際には、自分自身の意見を述べることも必要であり、それは的を射たものでなければならない。そうでなければ、トップが「裸の王様」となってしまい、組織は弱体化してしまうだろう。

 「敵が退きまするぞ。今こそ追撃を……」
 先陣で戦っていた黒田官兵衛が、不自由な足を引きずって駆け戻って来てそう叫んだ。
 「いや、官兵衛殿。そなた参られよ」
 小一郎はにっこりとして首を振った。
 「何を申される、秀長様。今こそ一世一代のお手柄の秋でござるぞ」
 黒田官兵衛は、目をむいて怒鳴り返した。
 「だから、そなた参られよ。存分に手柄になされい」
 小一郎はそういったあとで、心の中で呟いた。
 「俺は秀吉の実の弟。第一の補佐役じゃもん。今、戦さ手柄など立てては目立ち過ぎるわ」(259頁)

 第四は、トップだけではなく部下をも引き立てることである。著者は、明智光秀との天王山での戦いが勝勢に移った直後の絶好機で、秀長をして黒田官兵衛にこの発言を言わしめたとしている。秀長が歴史上の書物でほとんど描かれないのは、彼自身が取り得たであろう戦功を兄や部下に与えていたからではないだろうか。名誉欲は、多寡の差はあれども、人間であれば持っているものであろう。この自分の本性をいかに抑制することができるか、が補佐役の有り様を左右する。

 何よりもこの人が得意としたのは、兵站と諸将の調整だ。小一郎は、将にも兵にも安心感を与える術を心得ていたのである。(326頁)

 第五は、調整能力とプロジェクトマネジメントである。苦境の中においても、組織の人員が安心感と希望を持ち続けられるように、いかにマネジメントを行うか。トップは威勢のいいことを言う役割であるが、補佐役はそれを現実に落とし込むことが求められるのである。



2014年10月25日土曜日

【第363回】『豊臣秀長(上)』(堺屋太一、文藝春秋、1993年)

 私が、「この人」に関心を持つようになったのは、むしろ、この「語られなさ」のためだったように思う。史料と史家に等しくその才能と功績を認められながら、語られることのきわめて少なかった人物、ということが、とかく喧しい自己宣伝の多い現代社会の中でひどく特異に思えたのだ。(3~4頁)

 豊臣秀長という存在自体は知っていた。しかし、その伝記はもちろんのこと、秀吉関連の書物でも何らかのエピソードを読んだ記憶はない。他方で、ここで引用しているように、秀吉の天下統一において唯一無二の働きをしている。なぜ、そうした人物がこれまで書かれることがなかったのか。著者の着眼点は鋭く、また唸らさせられる。

 「確かに俺は嘘が多い。しかし、生れも賎しく力もない俺が出世して行くためにはそうもせにゃならんのじゃ。俺はこうなると先に決めてから励む、これはこうするというてからやってみせる、まずは自分を追い込んでしもうてから、生きるためにあがく。それでのうては、這い上ることはできんのじゃ。分ってくれや、小竹……」
 (中略)
 「汝に頼みたいのはそこじゃ。俺は、とにかく、前に走る。上を見ながらひたすらに走る。なればこそ、汝にあとはしっかりと支えてもらいたいんじゃ」(68頁)

 生家での農業を営む秀長(幼名は小竹)に対して、秀吉が武士になるよう訴えかけるシーンである。まず、秀吉が凄いと感じるのは、なり上がるための自身の役割を理解している点と、それを補佐する役割が必要でありかつ肉親にしか頼めないことを悟っている点である。次に、秀長が凄いと思うのは、そうした補佐役という役回りを基本的に受け入れながらも、客観的な条件をつけて秀吉に提示した点である。この、理解力と冷静さとが補佐役に求められる素養なのであろう。

 では、具体的に、秀長は補佐役として何を為したのか。特徴的であるとともに、企業においても参考になりそうであると感じたのは以下の三つのエピソードである。

 なかでも小一郎が精を出したのは、喧嘩・もめ事の仲裁だった。双方から念を入れて事情を聞いたし、当事者以外の証言も求めた。悪い者には雑役を命じたり厳しい教練をさせたりする一方、悪くない者には酒などを飲ませた。苦情処理ともめ事の仲裁は、生涯「この人」の最も得意とした所である。(81頁)

 現代では、人事の役割と置き換えてもいいのではないか、と思えてしまう至言である。心に留めておきたい考え方である。尚、小一郎とは、武士になる上で自身の幼名を変えたものであり、秀長のことを指す。

 その日の夜、兄は小一郎を長屋に訪ねて来て、
 「小一郎、よう辛抱してくれた……」
 と、礼をいった。
 「なんの、俺は兄者の弟じゃからなあ……」
 小一郎は笑ってそう答えた。
 「そうよ。お前にその分別があればこそ、わが家は安泰じゃ……」
 兄は、ただそれだけをいった。いつもに似ず兄は寡黙だったが、千言万語にも尽せぬ意思の疎通があった、と「この人」は感じた。(208頁)

 竹中半兵衛を三顧の礼で迎え入れ、彼の面前で、秀吉の弟として対等にではなく、臣下として謙った挨拶をした秀長の分別に秀吉が感謝を伝えるシーンである。分別を持ってことに対応できる秀長の人間性の素晴らしさとともに、それを理解してくれる秀吉という存在のすごさもまた、しみじみと伝わってくる場面である。

 毎日を足利義昭やその側近たちとの面倒臭い交渉に費やし、不慣れな文書の点検や慣例調査に努めなければならなかった秀吉にとって、「この人」が部下の将兵をよく把握し、その規律と士気を保ってくれたことは、大変有難かった。もし、木下組の将兵の中から婦女暴行や金品掠奪の罪を犯すものが出たとしたら、義昭らはこれ幸いと信長に訴え、この下賎の出の奉行を罷免するよう要求したに違いない。そうなれば、信長とて拒み難かったことだろう。(278頁)

 補佐役とは、単に上の者の指示を忖度するだけではない。自分自身の考えを持って、上の者が行うであろうことを代わりに、かつ場合によってはその者よりも優れた行動として行うことである。その上で、自分自身の評判ではなく、上の者の評判になるように節度を保つことである。

2014年10月20日月曜日

【第362回】『戦略人事のビジョン』【2回目】(八木洋介・金井壽宏、光文社、2012年)

 HRBPについて考える上で、参考になるとある方から推奨された本書。2012年に読んだ際にも良書だと感じたが、目的を持って読んでみても、とりわけHRにとって感ずるところの多い含蓄のある書籍であると感じた。

 以下からは、HRの役割、9 blockの効用、HRに求められる能力、という三点について記していく。まずは、HRの役割について見てみよう。

 そうやって面談に来る社員たちの圧倒的多数、たぶん九五%以上は、何らかの困り事を抱えている人たちです。仕事で悩んでいる人やフラストレーションをためこんでいる人、何らかの理由で元気をなくしてしまっている人や、自分の進むべき道について迷っている人、そんな人たちが入れ代わり立ち代わり、私の前に現れます。
 私の役目は、そういう人たちの話に耳を傾け、何らかの言葉を放つことで崖っぷちから救い出すことです。だいたい五分ぐらい話を聞き、その場で答えを出します。それですべてが完全に解決するわけではないとしても、その人がなんとか袋小路から抜け出せるような言葉を向いていた人が顔を上げられるような一言を見つけ出して伝え、「さあ、行こう」と背中を押すのです。
 人が実践に裏打ちされた言葉を発するとき、その言葉は魔術として機能します。人事の仕事に携わる人は、そういう「言葉の魔術師」たるべきだと私は思っています。(38~39頁)

 著者の一人である八木氏は、HRとは単なる制度の番人ではないと断言する。そうではなく、悩んでいたりモティベーションが下がっている現場の社員に対して、言葉によって積極的に関与する存在であるとする。「言葉の魔術師」となるには一朝一夕では難しいだろう。しかし、COE(Center Of Expertise)ではそうでもなかろうが、HRBP(HR Business Partner)であれば、言葉によって影響を与えることは重要な役割の一つであろう。

 人事担当者にとってのリーダーシップとは、権限ではなく見識をもち、正しいことを正しく主張することである。その場合の正しいこととは、ストーリー化した戦略であり、企業が業績を上げて成長していくための大きな絵(ビッグピクチャー)であり、あるいは世の中の変化に合わせて会社に起こすべき変革の道筋です。
 そういう事柄を社員に対して真摯に語りかけ、会社が目指していく方向に向かって人々を巻き込んでいく。それが本当の「人事の力」だと私は考えています。(46頁)

 特に「権限ではなく見識」という部分が非常に重たく、噛み締めたい言葉である。ともするとHRは、経営に近いために権限を持っているかのように錯覚しやすい。しかし、現場の社員とともに動くためには、経営が語る言葉や制度について、自分たちの見識に基づいて、現場の文脈に咀嚼して語ることが求められるのである。

 次に、9 blockについて見てみよう。9 blockの特徴の一つとして著者は、細かい測定項目がないこと(76頁)を挙げている。実際、GEでは、客観的に細かく得点を計算するのではなく、大きい括りでなかば主観的に評価を下していると八木氏は指摘し、以下のようにその詳細を述べている。

 人はそれぞれ強みと弱みをもっています。主観で評価する場合、その人が強みの部分によって会社に大いに貢献しているのであれば、弱みの部分はあまり問われません。つまり主観的に高い評価を受けます。(77頁)

 主観的な評価というのは否定的に捉えられやすい。たしかに、人事考課について主観的に行うことは効果的ではなく、客観的にフィードバックすることが有効であろう。しかし、9 blockのように、リーダーシップの測定でかつその後の育成を主眼とした評価の場合には、上に引用したように主観的に行うことのメリットがある。実際、9 blockをあまりに客観的に実施すると以下のようなデメリットが生じると八木氏は指摘する。

 あらかじめ決めておいた項目ごとに点数をつけるという意味では「客観的」かもしれませんが、必ずしも社員の経営への貢献度を正しく評価するものではないのです。(78頁)

 最後に、HRに求められる役割や、9 blockの運用主体としてのHRに対して必要な能力について考えてみたい。

 ビジネスを知り、人を知り、正しいと信じることを実践して人を動かし、そこからまた学習と努力を重ねていく。そうやって企業経営の主役の役割を果たしていくのが、私たち人事の使命です。(210頁)

 従来のHRがどのような存在であったか、と反対のことを考えてみると、ここで八木氏が指摘していることの厳しさが言えてくる。HRの制度を運用すればよくビジネスの結果にはコミットしていないのではないか。履歴書やcareer viewといった書面のみの情報で、社員を理解したような気になっていないか。経営が言っていることを金科玉条のようにそのまま現場に落とそうとしていないか。HRとして、私たちはこうした点を自分たちに問いながら、学習と努力を粛々と続けていくことが求められているのである。

2014年10月19日日曜日

【第361回】『自省録』(マルクス・アウレーリウス、神谷美恵子訳、岩波書店、1956年)

 ローマ時代における五賢帝の一人と称させる人物による人生訓。感銘を受けた部分について所感を記していく。

 腹を立てて自分に無礼をくわえた人びとにたいしては和解的な態度をとり、彼らが元へもどろうとするときには即座に寛大にしてやること。(第1巻・七)

 無礼な言動を取る時に、人は、冷静でないことが多い。一時的な衝動に駆られて取った行動を本人自身が反省しても、それを相手に対して示すことは難しい。そうであれば、被害を受けた側から、相手が関係を元に戻そうとする潜在的な意図を汲み、何事もなかったように歩み寄ると、お互いにとって良いのだろう。

 外から起ってくる事柄が君の気を散らすというのか。それなら自分に暇を作って、もっと何か善いことをおぼえ、あれこれととりとめもなくなるのをやめなさい。またもう一つの間違いもせぬように気をつけなくてはならない。すなわち活動しすぎて人生につかれてしまい、あらゆる衝動と思念とを向けるべき目的を持っていない人たちもまた愚か者なのである。(第2巻・七)

 忙しいために自分にとって大事な活動に時間をかけられない、と私たちはよく口にする。しかし、それは私たち自身が生み出したものではないか。本当に大事なことであれば、しっかりと時間を作り、意識を集中させること。そうした集中を実現するために、自分にゆとりを設けること。皇帝ですら時間を作れるのであるから、私たちがそうした時間を作れないことがあるだろうか。

 君の分として与えられた環境に自己を調和せしめよ。君のなかまとして運命づけられた人間を愛せ。ただし心からであるように。(第6巻・三九)

 「自由と自己責任」という考え方に、私たちは囚われすぎているのではないだろうか。むろん、そうした考え方が誤っているとは思わないが、一つの考え方に固執するというのは、息苦しいものだ。環境や身の回りの人たちは、私たちが選んだものではなく、所与のものであると考えること。そうすることによって、周囲と調和するということに意識が向くようになるのではないか。

 君の全生涯を心に思い浮かべて気持をかき乱すな。どんな苦労が、どれほどの苦労が待っていることだろう、と心の中で推測するな。それよりも一つ一つ現在起ってくる事柄に際して自己に問うてみよ。「このことのなにが耐え難く忍び難いのか」と。(第8巻・三六)

 いたずらに将来を悲観的に思わないこと。将来起こり得ることに心を悩ませていると、現在もまた悩ましいものとなってしまう。今の状況に対して、粛々と、前向きに対応すること。

 万物は変化しつつある。君自身も絶えざる変化の中にあり、ある意味で分解しつつある。然り、宇宙全体がそうなのである。(第9巻・一九)

 世の中の変化のスピードが早くなっていると言われる。しかし、ローマ時代の頃から、変化は言われているのである。変化が普通の状態であると認識し、いかに変化の中で調和させるか、が昔から私たちにとって重要なことだったのであろう。現代が、特別な時代なのではない。


2014年10月18日土曜日

【第360回】『日々是修行』(佐々木閑、筑摩書房、2009年)

 NHK・Eテレの「100分 de 名著」で般若心経の解説を担当されている著者の言動を見て、興味を持っていた。まずは、本書を著した著者の想いについて見てみよう。

 この本の目的は、釈迦という人物の素晴らしさを広く知ってもらうこと、そしてその釈迦が説いた「生き死に」の方法を、読者のみなさん自身で深く静かに考えてもらうことにある。(13頁)

 では、どのように生きよと仏教は述べているのか。

 間違うこともある、失敗することもある。だが、間違ったら直せばよいし、失敗したらやり直せばよい。ともかく、日々の努力なくしては何も始まらない。そうやって日々、迷いながら正しい方向を求めて努力していく。そこに仏教が目指す生き方がある。(18頁)

 何を成し遂げるかという結果ではなく、日々の努力というプロセスが重要だとしている。日々の地道な努力が、翻って長期的な視点に立った時に成果に繋がることもある。

 人の偉さは、一事の華々しさではなく、日々の誠実さを一つずつ積み上げていく、その確固とした道程に現れるのである。(84頁)

 では、日々、一歩一歩進むためのプロセスとは何か。釈迦が述べる結論はシンプルだ。

 自分にとって気持ちがいいから信じるのである。自己満足の欲求が合理性を押しつぶす。このような、自分本位の妄念に基づく根源的な愚かさを、仏教では無明と言う。「無明を捨てて、合理的に世界を見よ」と釈迦は言い、そのための方法を示してくれた。それが、修行による智慧の獲得である。(54頁)

 日々の努力という文脈において、修行という概念が生じてくる。さらに、そうした修行そのものは自分にとって気持ちがいいものであるとまで著者はしている。日々の努力とその果てにある成し遂げられるものがある。こうした釈迦における時間観とは何か。

 時間という特別なものがあって、それに沿って物事が進むと考えるのではない。そうではなくて、すべてが生まれては消えていく、その「諸行無常」の世界を、私たちが「時間」としてとらえているだけなのである。そして、その「生まれては消えるすべてのもの」を仏教語では有為と呼ぶ。「いろは歌」にある「う」のことだ。仏教が目指すのは、「有為の奥山」を超えたところにある、もはや時の流れに翻弄されることのない平安の境地なのである。(168頁)

 西洋的な有限な存在としての時間を超越したものが、仏教における時間観であり、それを有為と呼んでいる。最後に、修行の結果としていたる真理に関して、理科系であった著者ならではの数学との関連性が面白いので引用して終りたい。

 私たちはなぜ数学を学ぶのか。今になってようやくその答えが分かってきたように思う。計算力が日常生活で役に立つとか、論理的な思考力を養えるとか、そんなことはどうでもいい。大切なのは、最初から目の前にあるのに、自分の心が迷っているせいで気づかずに見過ごしていた真理に、ある瞬間ハッと気がつく、その体験である。数学を学ぶことの意味は、集中した精神を使って自分で真理を発見し、その喜びを全身で感じるところにある。そして、そういう自力で見つけた真理こそが、自分にとっての本当の真理となるのである。(40頁)

『老荘と仏教』(森三樹三郎、講談社、2003年)
『中国思想を考える 未来を開く伝統』(金谷治、中央公論社、1993年)

2014年10月14日火曜日

【第359回】『駆け出しマネジャーの成長論』(中原淳、中央公論新社、2014年)

 マネジャーを題材にした書籍は多く、私自身も、職業柄、好んで読んできた。先行する文献と比較した場合、本書の特徴は、プレイヤーからマネジャーへの移行に伴う役割変容に焦点を当てている点と、その変容のために学習や育成を重視している点であろう。

 まず著者は、マネジャーの役割を「Getting things done through others」(30頁)として定義づけている。非常に興味深いのは、othersを部下だけに留めず、マネジャーの上司や他部門の部門長や経営者を含めた「雑多な存在」(32頁)としている点である。マネジャーが自身の役割を遂行するためには、部下だけではなく、まさに360度に渡るステイクホルダーを活用しながら行なうことが求められているのである。

 マネジャー受難の時代と言われることも多い現代日本の企業において、以下の5つの環境変化がマネジャーへの移行を困難にしている(76頁)と著者はしている。

①突然化:ある日、いきなりマネジャーになる
②二重化:プレイヤーであり、マネジャーでもある
③多様化:飲み会コミュニケーションが通用しない?
④煩雑化:予防線にまつわる仕事が増える
⑤若年化:経験の浅いマネジャーの増加

 特に注目したいのは②二重化であり、いわゆるプレイング・マネジャーとしてマネジメント行動を行なうことの難しさが指摘されている。とりわけ、著者たちが行なった調査において、「プレイングに過剰に時間を当てているマネジャー」は、一般的なマネジャーよりも、職場業績が低い(60頁)という点に着目するべきであろう。

 この点は、マネジャーの挑戦課題として挙げられている以下の七つの点(114頁)と合わせて考えてみると良い。

①部下育成
②目標咀嚼
③政治交渉
④多様な人材活用
⑤意思決定
⑥マインド維持
⑦プレマネバランス

 先述したプレイング・マネジャーの難しさが、マネジャーの挑戦課題の⑦プレマネバランスという課題として挙げられている。七つの課題のうち、特にマネジメント行動に悪い影響を及ぼすのは①部下育成、②目標咀嚼、⑦プレマネバランスの三つだという。すなわち、部下に対して目標を咀嚼して提示できないと、部下が効果的に育成されず、いつまでも部下に任せられないためにマネジャーがプレイヤー化する、というデフレスパイラルが生じる(109頁)。その結果として、自部署のパフォーマンスの結果が低くなるという先述したデータが導かれるのではないだろうか。

 このデフレスパイラルについて深掘りすれば、プレイングマネジャー化の問題に直接的に影響を与えるのは、部下育成ができないということであることを導き出せるだろう。では、どのように部下を育成するべきなのか。ここで著者は、マネジャーだけが部下を育成するという点の部下育成から、部署全体として協力的に育成を行なうという面による育成が重要である(134頁)とする。部下育成の主体として私たちは、上司であるマネジャーのみを想定しがちであるが、育成の主体は、上司という点ではなく職場という面であるという意識転換は現実的である。

 それぞれの育成主体がどのように職場におけるメンバーを育成するのかという点についてより深く理解されたい方は、著者の『職場学習論』(職場学習論―仕事の学びを科学する)を紐解くことをお勧めしたい。同書による知見を端的に引用すれば、以下の三つの主体が異なる支援行動を行なうことで、メンバーの能力向上に影響を与えるようだ(103頁)。

・上司:内省支援、精神支援
・上位者:内省支援
・同僚・同期:内省支援、業務支援

 マネジャーが育つためには、マネジャー自身をいかに企業として支援するか、という観点を見逃すわけにはいかない。まず、直接的な育成を支援する管理職研修については、その学習効果の分散の値が大きい点に留意が必要である(238頁)。つまり、受講者であるマネジャーの職場における現状を理解した上で、学習内容を吟味することが必要だ。

 さらに、研修だけでマネジメント行動が身に付くわけではない。したがって、マネジャーになった時点での研修とともに、その後のフォローアップとしてメンタリングが有効である(227頁)。メンタリング自体が有効であるとともに、メンタリングの結果として、マネジャーが気軽に相談できる他者やネットワークができることの効果もまた、大きいのである。

2014年10月13日月曜日

【第358回】『日本資本主義の精神』(山本七平、光文社、1979年)

 長所とは裏返せば短所であり、美点は同時に欠点である。このことは、日本に発展をもたらした要因はそのまま、日本を破綻させる要因であり、無自覚にこれに呪縛されていることは、「何だかわからないが、こうなってしまった。」という発展をもたらすが、同時に「何だかわからないが、こうなってしまった。」という破滅をも、もたらしうるからである。(4頁)

 文化や風土と呼ばれる概念は、その内側にいる人間が自覚することは難しい。だから、明らかにしなくていいのではないか、言語化しなくていいのではないか、という帰結を日本人は導き出したくなってしまう。なぜ高度経済成長を実現できたのかを説明できないことと、なぜ失われた二十年から脱却できないのかを説明できないことは、同じ原因から導出されている。そうであるからこそ、日本文化という漠然とした概念を明らかにしようとする本書のような存在には、一読の価値がある。

 では、日本文化をどのように明らかにしているか。著者は、主に組織観と労働観という二点に分けて説明しているようだ。

(1)日本における組織観

 機能集団が同時に共同体であり、機能集団における「功」が共同体における序列へ転嫁するという形である。(36頁)

 テンニースによれば、近代化に伴い、ゲマインシャフトとは区別された存在としてゲゼルシャフトが形成されていく。しかし、日本においては、ゲゼルシャフトが形成された後に、その中にゲマインシャフトとしての機能が埋め込まれると著者はする。すなわち、機能集団であるとともに共同体であるという存在が、日本における組織の有り様なのだ。「会社は会社」として割り切っている社員も、「自分の会社」の部門や社員が不祥事を起こしたら胸を痛めるし、「自分の会社」のCSR活動が報道されたら誇らしく感じるのではないか。 程度の差はあれども、こうした心的現象は、日本における組織と、そこで働く日本人に特有な感情なのであろう。

 機能集団が共同体に転化してはじめて機能するという状態は、機能集団において自らが機能しようとすれば、まず、その共同体の一員となることが前提になる、ということである。それは、他の共同体に属しつつ、機能集団では個人として機能するということは不可能である、ということでもある。そこで自らが機能しようと思えば、逆に、自己を否定して共同体を優先させねばならないのだ。(52頁)

 組織において、組織人として機能するためには、まず共同体の一員として認められることだ。たしかに、機能集団において求められる役割を遂行するためのスキルや知識のセットも必要であろう。しかし、日本における組織では、その前提として共同体に同化することが求められるのだ。共同体の一員にならずしてそれまでの知識・経験をもとにパフォーマンスを出しても、「空気を読めない人」として否定され、さらには「出る杭」として「打たれて」しまう。

 「功」すなわち成績もしくは業績が、ある種の「序列」に転化するということである。そして、会社における能力主義もまた、「年の功」すなわち経験の蓄積という「功」と、それによらぬ才能に基づく「功」とを、その「序列転化」においてどう評価するかという問題だけであって、「功」が「序列」に転化するという基本には何の変更もない。(24~25頁)

 共同体の一員としての行動が求められるということは、共同体の内部における経験の蓄積が評価されるということである。ここに、日本企業における年功序列という評価制度が生じてくる。むろん、年功序列に基づいた昇進昇格制度や賃金制度が機能不全に至ったことを否定するつもりはないが、日本人の大本にはこうした考え方があることを意識するべきだろう。その上で、昇進昇格や賃金といった外的報酬ではなく、次の仕事で報いたり仕事の裁量を増やすといった内的報酬によって社員の働きがいを支援するアプローチに注目すべきではないか。

 「共同体の要請」なるものを絶対化しているのが、実は「話し合い」の絶対化なのである。(62頁)
 社会構造の中に契約という要素がないがゆえに、これに対応している精神構造は「話し合い」絶対という構造になるのであって、実はこのこと自体が「契約」がないことの証拠にすぎないのである。(67頁)

 共同体における「空気」を読むためには、契約で社員の行動を制約しても意味がない。契約によって結果に対してコミットさせるのではなく、「話し合い」というプロセス自体を絶対化し、そこにコミットさせることが求められる。何が話し合われるかではなく、誰と誰が話し合うかということ自体に意味があるのである。こうした「話し合い」による社内調整や根回しを欠いてしまうと、共同体の中で是とされる組織行動を起こすことができず、共同体の一員にいつまでもなれない。

 では、こうした日本における組織という名の共同体の一員として働く、個々人の労働観はどのようなものなのか。

(2)日本人の労働観

 日本においては、信ずべきものは、内なる仏であり、自己がその責任を負うべき対象もそれなのである。そして、責任を負うべき対象ーーそれが「内なる仏」であれ「神」であれーーを喪失した人間は、いかなる社会も、これを信用しなくて当然である。(129頁)

 ヴェーバーが喝破した西洋近代における労働観は、プロテスタンティズムに基づくものであり、その中心にはキリスト教における神の概念がある。このような前提に立てば、ドイツと日本における労働観が近いと言われることは多いが、その精神構造には大きな違いがあることは明白だ。では日本人の労働観の中心は何か。著者は、外にある神のような絶対的存在ではなく、内なる多様な存在としての仏、が基底にあるとしている。

 日本人が働くのは経済的行為でなく、「仏行の外成作業有べからず。」と信じ、一切を禅的な修行でやっているにほかならない。農業則仏行であり、サラリーマン即仏行であり、働くことはすべて仏行、メーカーが物を作り出すのは一仏の分身として世界を利益するため、またセールスマンは巡礼である。(137~138頁)

 内なる仏が労働観のベースにあるということは、仏行というプロセスが労働に繋がることになる。そうしたプロセスの一つが、禅における修行である。

 人間の内心の秩序と、社会の秩序と、天然自然の秩序は、一致しなければならない。それを完成するには、みなが内心の仏、すなわち自らの内なる宇宙の秩序どおりにならねばならない。その障害となるのは三毒であり、この病から身を守るには、医王である仏に従って、定められた健康法を守ることが必要である。その健康法とは、つまり各人が自らの業務を仏行と信じて、ひたすらそれを行なうことである。そして、それを行なうにあたっての基本的態度は、「正直」であり、各人がその心構えに従って、世俗の業務という仏行にはげめば、その各人の集合である社会もまた仏となり、同時に、それによって造り出したものは社会を益し、巡礼のごとくに働いてそれを流通さすことによって各人を自由にする。そして最終的には、これによって各人の内心の秩序と社会の秩序と宇宙の秩序は一致し、各人は精神的充足を保って、同時に戦国のような混乱がなくなって、社会秩序が確立するのであると。(141頁)

 個々人における禅的修行としての労働は、組織や社会における秩序の実現に寄与し、それは同時に自然における秩序へと繋がる。こうした、個人を基点としたダイナミクスが、組織・社会・自然に対しても影響を与えるという観点は、神という絶対的な存在を基点とした予定調和型のアプローチとは異なる。このように考えれば、西洋における神学と対比して、日本においては心学が配置されることは理解できるだろう。

 神を前提とした社会に「神学」があるように、本心を前提とした社会に「本心の学」すなわち「心学」があって当然である。では「心学」とは何を学ぶのか。簡単にいえば本心どおりに生きる方法を学ぶ学である。そのための方法、すなわち「薬」として、諸宗教・諸思想があるのであって、諸宗教・諸思想のために本心があるのではない。(147頁)

 あくまで内なる仏としての本心が主であり、それを説明する存在としての宗教や思想という概念は従属概念であると指摘される。本心とは、いわばあるがままの本性であろう。だからこそ、そうしたテーマを扱った海外映画が、諸外国よりも日本において流行した背景には、こうした日本文化という素地があるからではないか、と邪推したくなる。

 徳川時代には、「体制の変革」を目ざすという積極的な発想は、町人の中から出てこなかった。これは、正三のように、これから新たに秩序を立てようという時代に生きた人間の発想としては当然だが、それが固定して日々の業務が宗教的意義をもち、それがそのまま一種の生きがいとなり、同時にそれは機能集団での合理的行為が共同体への奉仕に転化するという形になれば、全宗教的情熱の日々の業務への投入となる。こうなれば社会を固定させて当然である。(167頁)

 内なる仏をベースにしたダイナミクスは、既存の枠組みの中におけるダイナミクスにすぎない。一方、神が理想を描く社会における予定調和型のアプローチは、新しい理想を神が提示しているという絵を描ければ、現在の社会を破壊して理想社会を創造するというプロセスが認められる。近代化における過程に関する彼我の相違は、こうした人間観をもとにした社会観の相違によるものなのであろう。

 自己の行為が、広くは日本の社会の全員に、狭くは自己の属する共同体に、負担をかけているか否かを、自己の「本心」に照らして、自己診断を行なうという方法を失えば、日本にプラスした点が、日本にとっても、本人にとってもマイナスに作用するであろう。(228頁)

 自分自身が行なう禅的修行は、それが組織や社会にとっても貢献できるものであるという前提に基づいて行なうものである。たしかに、そうした仮定が機能していれば全く問題はない。しかし、必ずしもそうではなく、独りよがりの独善的な行動になっている可能性がある。そうした場合、基点が善なる意図であればあるほど、他者がそれを否定することは難しく、外なる存在としての神が存在しない以上、その誤りを言語化して指摘することは難解だ。だからこそ、自己を否定するのは究極的には自己以外にはあり得ないと意識して、自身の本心を時に内省することが必要であろう。むろん、反省というプロセスにおいて他者に関与してもらうことも可能であろう。ただし、その際には他者からフィードバックを与えてもらえるよう自ら依頼することが、本心に対する内省を主体的に行なうということであろう。


【第357回】『論語』(金谷治訳注、岩波書店、1963年)【3回目】

 論語は、何度も紐解きたい書籍であると以前も書いた。しかし、ともすると再読というものは後回しにされるきらいがある。少なくとも、私にとってはそうである。今回、再読しようという想いに駆られたのは、安冨歩さんの『ドラッカーと論語』(『ドラッカーと論語』(安冨歩、東洋経済新報社、2014年))を読んだのが直接的な原因である。改めて原典を当たろう。このように思ったのである。再読してみて、以前の論語に関する自分自身のエントリーを読み返してみると、感受した部分が異なっており、面白い。今回は以下の四点に絞って印象に残ったことを記していきたい。

 事に敏にして言に慎しみ、有道に就きて正す。学を好むと謂うべきのみ。(巻第一・學而第一・一四)

 先日お会いした学恩ひとかたならぬ二人の恩師から言われたメッセージがいみじくも含まれており、驚いた。一人の師からは「事に敏にして」の部分、つまり、粛々と仕事に接することを説かれ、もう一人の師からは「言に慎しみ」について、すなわち言葉を大事にせよと仰られた。温故知新ではないが、現代の私たちの社会状況においても、事程左様に多様な解釈によって知見を見出せるテクストこそが、古典と呼ばれる存在なのであろう。

 文質彬彬として然る後に君子なり。(巻第三・ 雍也第六・一八)

 一方の極と他方の極とをいかに両立させるか。単純にバランスさせるのではなく、学習回路を開いた状態としての仁の状態であり続けるために、中庸を志す必要がある。あまねくビジネスパーソンにとって中庸は必要なのであろうが、とりわけ人事には中庸が求められるのではないかと感じる。経営と現場との板挟み状態をケアし、部門ごとのサイロ化を軽減する。こうした利益相反状況に対処せざるを得ない、また対処でき得るのは、中庸を発揮する人事としての醍醐味であろう。

 過ちて改めざる、是を過ちと謂う。(巻第八・衛霊公第十五・三〇)

 失敗することが過ちなのではない。失敗しても、それを改善しないことが過ちなのである。ここには二つの含意があるように私には思える。一つめは、失敗をした後のリフレクションの重要性である。松尾睦先生の『「経験学習」入門』(『「経験学習」入門』(松尾睦、ダイヤモンド社、2011年))によれば、実施中の振り返りが事後の振り返りの質を規定する。したがって、失敗を経験している最中にいかに意識を持って振り返ることができるかが、後における改善に繋がる。二点目は、失敗から学ぶためには失敗しうる環境を自ら創り出すことが重要だ。つまり、自分にとってチャレンジできる職務を与えられるように日々の職務に取り組んだり、日々の職務の中に工夫を創り込み続けることである。

 子張が曰わく、何をか四悪と謂う。子の曰わく、教えずして殺す、これを虐と謂う。戒めずして成るを視る、これを暴と謂う。令を慢くして期を致す、これを賊と謂う。猶しく人に与うるに出内の吝なる、これを有司と謂う。(巻第十・尭曰第二十・四)

 特に一つめの部分が印象的である。私の職務に惹き付けて考えれば、developmentの機会を与えずに、demotionを掛けたりjob changeを図ったりすることがあってはならない。そうした行為をしてしまえば、君子の状態ではいられなくなる。自分への今後の戒めとして心に留めておきたい。

『論語』(金谷治訳注、岩波書店、1963年)
『論語』(金谷治訳注、岩波書店、1963年)【2回目】
『孔子伝』(白川静、中央公論新社、1991年)
『韓非子』(西野広祥+市川宏訳、徳間書店、2008年)

2014年10月12日日曜日

【第356回】『人事管理入門』(今野浩一郎・佐藤博樹、日本経済新聞社、2002年)

 人事管理というともすると漠然としたイメージを持つ概念に関する入門書として非常に適した書籍である。まず、人事管理の役割とは何かについて冒頭で説明がなされている。

 人事管理の基本的な役割は、組織あるいは部門が行う「ヒトを調達する」「ヒトを活用する」といった経営活動が、「組織あるいは部門の目標」を達成する方向にむかって効果的に行われるように、また、それが少ない費用で効率的に行われるように管理することにある。(4頁)

 簡潔にして明瞭な定義である。着目すべき点は、「人」の「事」を扱うことは手段であり、目的は組織や部門の目標を達成するためのものである、という点であろう。次に、こうした役割に向けた具体的な目標について見てみよう。

 人事管理には2つの目標がある。ひとつは、前述の定義にしたがって、効率的・効果的な「ヒト」の調達と活用によって、組織あるいは部門の「いま」の生産性の向上をはかることである。(中略)
 変化の激しい市場のなかで企業が成長し存続するためには、変化への対応力をもつこと、つまり「有能な人材」を内部に蓄積しておくことが不可欠である。それは人材面のインフラを整備することであり、それが人事管理の第2の目標(あるいは長期の目標)になる。(4~5頁)

 第一の目標が現在の経営活動に関するものであるのに対して、第二の目標は中長期的な経営活動に関するものである。つまり、こうした現在の時点と将来の時点との双方を見据えることが求められるのである。現在と将来における経営行動を結びつけるために日本企業が行なっている組織づくりの特徴として、著者は二点を挙げられている。

 第1に、現場の従業員は「与えられた仕事を決められたように遂行する」ことを基本的な役割としているが、それを超えて「仕事の仕方」を変える権限も与えられている。第2に、その背景には、「改善すべき点を最もよく知っているのは、その仕事に従事している現場の従業員なので、その知識と能力を活用することが効果的な方法である」し、しかも「そうすることによって、高い労働意欲を引き出せる」という経営思想がある。(35頁)

 欧米諸国における企業では、工場の現場のラインには学卒がいないと聞いたことがある。もしそうだとしたら、日本の工場現場におけるカイゼンをはじめとした強みは諸外国からは信じられない現象として映ることにも納得がいく。現場判断の重視や尊重により、現場が仕事をしかたを柔軟に変えられる制度上の冗長性が、日本企業の現場力を支えているとも言えるだろう。

 企業はまず、賃金や退職金などの個々の要素の前に、労働費用全体を支払い能力に見合った適正な水準に決定し、管理することから始める。そのための代表的な管理指標が労働分配率(付加価値に対する労働費用の割合)と売上高人件費比率(売上高に対する人件費の割合)である。適正な総労働費用はそれぞれ「付加価値×適正な労働分配率」「売上高×適正な売上高人件費比率」によって決定されるが、「適正な」水準を見極めることは難しい。(中略)
 この2つの指標のなかで、とくに労働分配率の考え方が重要である。付加価値は経営活動が生み出した価値である。(中略)労働者に配分される部分が労働費用であり、付加価値に対する労働費用の割合が労働分配率になる。(164頁)

 報酬管理における基礎的な考え方について、簡潔にまとめられている。むろん、競合や人材市場との兼ね合いで、こうしたセオリーと外れた運用を行なう必要性あることも事実であるが、基礎は基礎として心に留めておきたいものである。


2014年10月11日土曜日

【第355回】Linda A. Hill and Kent Lineback, “Being the boss”

Though a playing manager is very common in recent companies, managing is totally different from playing. When someone is promoted to a manager, it is not ensured that he or she will be able to succeed with their high performance and great experiences as a player.

Many managers think at first that managing others will be an extension of managing themselves. They assume they will be doing what they did previously, except they will exercise more control over their work and the work of others. Instead, they find they must make a great leap into a new and strange universe unlike anything they’ve encountered before. (kindle ver No. 297)

We should not do for others what we did by ourselves. It is natural that each of us is totally different, then we shouldn’t regard other people as same as we.

In fact, becoming a manager requires so much personal learning and change that it is truly a transformation, akin to the transformations required by such life events as leaving home, finishing school and beginning a career, getting married, or having a child. Like these profound inflection points, becoming an effective manager will call on you to act, think, and feel in new ways; discover new sources of satisfaction; and relinquish old, comfortable, but now outmoded roles and self-perceptions. It requires you to consider anew the questions, Who am I? What do I want? What value do I add? (kindle ver No. 309)

To become a manager, we have to change ourselves. We should change our paradigm as a player to a manager.

There are, the author suggests, three points to be a great manager.

Part I, Manager Yourself, focuses on the person-to-person relationships you form with others, especially those who work for you -- which are the basis for how you influence others. ...
Part II, Manage Your Network, is about exercising influence with integrity and for constructive purposes, given the political realities of organizational life. ...
Part III, Manager Your Team, focuses on what’s required to create a real team of those who work for you. (kindle ver No. 642)

Let’t see important implications to each points.

A healthy sense of self -- a strong but not big ego -- is the foundation for virtually all other elements of character: for valuing others and treating them with respect; for empathy; for the ability to hear criticism, learn, and change; and for emotional maturity. (kindle ver No. 1259)

One of the most important basises is ‘healthy sense of self’. To know who I am and what I am seen like is the key to become a great manager.

Let’t move on to the second point, Manage Your Network. The author suggests that there are five steps.

There are five major steps in building a productive organizational network.
1. Know your business and organization.
2. Know where your group is going.
3. Map your web.
4. Create your network.
5. Sustain your network. (kindle ver No. 1685)

One of the biggest factors to enrich your network is your boss.

Managing up is important because your boss plays a pivotal role in your success -- or your failure. You can leverage your boss’s influence in the organization on your behalf in several ways -- (kindle ver No. 1950)

Your boss is your key success factor as a manager. Then, what should we do for our bosses?

They focus on their boss’s weaknesses and can talk at length about them -- and often do with their peers. But they seldom look for strengths. That’s a shame because your boss’s strengths are what you mus leverage, and you cannot leverage what you don’t recognize or appreciate. (kindle ver No. 2039)

The author’s suggestion is very realistic. We sometimes looks only at our boss’s weak points and complain them to other colleagues, because we long for excuses when we take a mistake. But, in order to make our network stronger and more strict, we have to utilize our boss’s power.

Now, let’s move to the last point.

“Plans are nothing. Planning is everything.” (kindle ver No. 2344)

It’s a statement by Mr. Dwight Eisenhower, allied commander and later U.S. president. Through planning process, we can communicate with our employees and think deeply about our capabilities as a team.

In short, defining the future creates the context for virtually all you do as a manager. It helps you create the right relationships with your people and assess daily problems so emergencies are less likely to supplant what’t truly important. Not only will a plan help you identify who should be in your network, it will help you use your network more effectively. A plan creates a context for delegation by making clear what activities are most important and should be delegated with greater care. A plan also creates a framework for making ethical judgments by helping you weigh the conflicting needs of stakeholders -- in short, by helping define a greater good. (kindle ver No. 2349)

Planning reveals and strengthens several contexts regarding relationship and works. And in order to strengthen our team effectively, all employees have to develop themselves through helping them to do so.

It’s your job as manager to help them assess themselves accurately. If people don’t know where they’re good and where they’re not, they won’t know what to emphasize and where to get better. (kindle ver No. 3214)


2014年10月6日月曜日

【第354回】『私本太平記(八)』(吉川英治、講談社、1990年)

 最終巻の冒頭では、物語の最後を飾るにふさわしい、異なる二人の間の関係性が描き出される。

 正成は思う。敵はわざと自分らに時を仮して、いかに死ぬかの、自滅を見物せんとしているのだろう。ーーきょうの合戦では、たえず尊氏の胸に、正成が在ったように、正成の胸にも、尊氏が在った。(39頁)

 湊川での勝敗の帰趨が決まり、死地を探す正成。その正成を尊重して、尊氏は深追いをしない。敵同士である両者が、両者を思いながら戦う様は、どこか美しく、どこかものかなしい。

 尊氏はといえば、彼もまた、むかしと変る容子はない。勝者が敗者に臨むといったようなおもむきはすこしも出さず、台座から一だん低いところに平伏して、俄にはことばもなかった。ーー後醍醐もものいわず、彼もいわず、ふたりは、ふたりの感慨の中にしばらくはそれそのままな態だった。(116頁)

 敗軍に担がれた後醍醐と、勝者の将として会見に臨む尊氏。敵味方に分かれても、変らないお互いへの感情が、ここにもある。

 ある大事なものが、人間社会からいつか失くなっていた。それは曲りなりにもまだ護持しあっていた道徳というものだが、一たんこれを無視し出して、無視する方が、世の勝利者だとなって来れば、いたるところでこの約束の破棄は始まッてくる。悪が悪でなくなり勝利者だけがいくらでもあとから自己を正当づけ得る。(281頁)

 湊川までが、太平記の猛々しい中にも人間の美しさが垣間みれる物語なのだろう。それ以降は、勝者と敗者の苛烈なやり取りであり、仲間・兄弟・親子の間における醜い争いが頻発する。そこに、人間社会に対する歴史の警句が込められているともいえようが、あまりに読んでいて心地の悪い物語へと変る。そうした物語の最後に、著者は、覚一法師という尊氏の従兄弟にあたり、物語でも随所に現れる法師と、他者との問答を取りあげている。尊氏に対して好意的である覚一法師にして、辛辣に語らせる武士という存在に対する表現を、私たちは心して読みたい一節だ。

 なべて人に役立つものは亡びない。けれどどんな英傑の夢も武力の業はあとかたもなくなる。ですから、もののふとは、あわれなのです。とくに尊氏さまの御一生などは、無残極まるものでしかない(376頁)



2014年10月5日日曜日

【第353回】『石橋を叩けば渡れない【新版】』(西堀栄三郎、生産性出版、1999年)

 著者は、京大での研究者、東芝での研究職、第一次南極越冬隊隊長、チョモランマ登山隊隊長といった、多様でチャレンジングなキャリアを積んだ人物である。このような人物のキャリアの原動力となったものや行動力の源泉といったものには何があるのか。含蓄に富んだ内容について、未知へのチャレンジ、研究的態度、マネジメントという三つの点に分けて検討してみたい。

(1)未知へのチャレンジ

 創意工夫するためにはーー。
 まず第一に「こんなことができないのか」と思わなければだめです。
 うぬぼれであっても何でもかまわん。うぬぼれと自信は同じものです。(中略)
 第二に、絶対あきらめたらいかん、何とかなる、何とかしてやるぞ、と思うことです。(60頁)

 ここで著者は、うぬぼれと自信とを切り分けず、うぬぼれで構わないから、現状でできないことへの憤りと自分であればできるという意志を持つことの重要性を指摘する。私たちは結果から遡って、成功したものを自信であるとし、失敗したものをうぬぼれである、と捉えがちだ。しかし、後付けでの解釈から零れ落ちるものは、当初の意図そのものである。自信であれうぬぼれであれ、当初の意図に相違は果してあったのであろうか。何かを思い立ち、行うべきであると思うことは、未来からの後ろ向きのベクトルではなく、現在からの前向きのベクトルであるはずだ。このように捉えれば、自信とうぬぼれとを切り分けることなく、前向きな意図を持つことの重要性に私たちは目を向けられよう。

 ことに、まず古いものをこわしてから新しいものを作ろう、という考え方をする人がいますが、私はそうではなしに、新しいものを作ったら、自然と古いものはなくなっていく、という考え方を持っています。(129頁)

 新しいものを創り出すためには、古いものを壊してから行うべきだ、という考え方は威勢がよく聞こえ、好ましいもののように一見して思える。政治家や企業経営者のスピーチを想起すれば、そうした多くの事例に思い当たるだろう。しかし、壊してから創るということは、ユートピアにおける考え方に過ぎないのではないだろうか。著者が例示するように、1960年代後半の学生運動における破壊行動が何も生み出さなかったことを思い返してほしい。理想を語って現状の大学制度を破壊しようとしても破壊はされず、現状を否定したはずの運動家たちは、何事もなかったかのように旧態依然とした企業に就職した。旧弊を壊して新しいものを創ろうとする行動はこのようになりがちだ。他方、Appleを例に取れば、iTunesは既存の音楽会社を無視したわけではなく、ジョブズは彼らと提携を行った。しかし、結果的に、Appleによって音楽業界やそのビジネスモデルは大きく変容した。これが革新というものの本質ではないか。

 準備が完全だと思っていると、覚悟はあまりしていないわけですから、それで思いもよらない事態がヒョッと出てくると、「あっ、どうしよう」と思ってあわてふためく。そしていい処置ができないでモタモタしているうちに、リスクはどんどん深く大きなものになって、どうにも手のつけようがないようになってしまう。ですから、まず、準備は不完全なものなりと感ずることが大事なのです。(49頁)

 革新や変化を起こす上で、準備はもちろん重要である。しかし、準備をし終えた際に、全てを網羅し終えたから問題が起こるはずはない、とまで思うことは有害である。準備をやり終えたとしても、それは現状におけるベストを尽くしただけにすぎず、状況は常に変化するものである。だからこそ、ベストな準備をしながらも、状況が変わること、つまり現在における準備が将来においては不完全になり得るというマインドセットを持つことが肝要である。これは、3・11における「想定外の事態」にいかに対応するかという考え方と非常に親和性があるように思える。

 いわゆる取り越し苦労ばかりしていたら、決して新しいことはできるものではありません。だから新しいことをする人は、天佑というものも作戦の中にじゅうぶん入れてよろしいのです。しかし、そのかわり、臨機応変の処置ができるという自信をつくっておくことのほうが大事です。それには、沈着でありさえすればそれでよいのです。新しいことをする心構えのひとつとして、こういうものがなければだめなのです。(54頁)

 全ての準備は不充分であるという想定とともに、偶然的な僥倖が起こることをも想定するというのは興味深い考え方である。チャンスとはあまりに突然訪れることがある。そうした際にチャンスを掴み取るためにも、僥倖を事前に想定するという著者の考え方は参考になるだろう。よく言われるように「好運の女神に後ろ髪はない」のであるから、女神が訪れたときには瞬時に反応できるようにしておく必要がある。

(2)研究的態度

 人間というものは、探求心とでもいうか、そういうものが心の奥底にムラムラと出てきて、誰に命ぜられるということもなく、一生懸命になる。私の場合でも、研究して、それがいったい何のためになるのか、といわれたら、別にお国のためになるとも、人類のためになるとも思わず、とにかく夜通しまでやった。(14頁)

 なにかを研究したいという発想の源泉を辿ると、社会や他者のためといった利他的なものではなく、自分自身の真なる想いに突き当たると著者は断言する。むろん、そうしたものの発想の背景には、社会的なイシューや特定の他者を想定するということはあるだろう。しかし、それを自分自身が研究し続けるということの源泉は、あくまで自分自身にあるのだ。

 これは何も南極に限ったことではありません。われわれの仕事の中には、未知の世界が必ずあるに決まっているのです。研究所の仕事でないと、そういうものがないような考え方をするのは、大変なまちがいなのです。すなわち、新しい知識のもとというものは、あらゆる場所に、いつでも、誰でもが見つけることができるようになっているはずです。ところが、ほとんどの人が、未知の世界への対応のしかた、あるいは、それの使い方を見つけることができない。(17頁)

 では新しい研究領域とはどこにあるのか。それは自分たちのすぐ近くにあるものであり、研究者という特定の職業だけに限らず、企業や非営利組織や家庭といったあらゆる職場に存在するものである。問題は、研究する未知の領域が存在しないことではなく、自分自身が心から行いたい領域を見出せていないだけなのである。存在していないのではなく、見ようとしていないだけなのだ。

 未知の世界を何とか知ろうとして、一生懸命になって探す。松茸がないかなと思って、一生懸命に探す。ほかの人が探しているから、もうないだろうと決めてかかるのではなくて、みなさんが毎日しておられる仕事の中から、一生懸命に探していくことが大切なのです。つまり、大事なのは研究的態度を持つということです。
 その探し方の秘訣は何かというと、“観察”です。つまり、「変だぞ」と思うことがあったら、それを徹底的に究明することです。(中略)
 観察の仕方にもいろいろありますが、大事なことは、理屈をいわず、虚心坦懐に現象を眺めることです。(26~27頁)

 では次に、自分自身にとっての研究領域をどのように見出すことができるのか。著者は、日常における自分自身の興味を探そうとし、それを自分の身近な領域の中に見出そうとすることである、としている。そのためには、自分自身の心が自ずと動かされる点や違和感をおぼえる点について、虚心坦懐に観察することが重要である。私たちが日常的に目にしているものの中に研究領域を見出すというのは、宮本常一氏の『民俗学の旅』(『民俗学の旅』(宮本常一、講談社、1993年))にも通ずる。

 創造性開発では、インフォーメーションを集めるというのが非常に大切なのです。それは事実に基づくとか、事実から出発をすること、とかいうことが大切なのは、言をまたないところです。その事実というものを眺めるときに、先入観をもって眺める、あるいは自分で組み立てたロジックの上において見る、というような立場では、本当のことがつかめない。つまり虚心坦懐に、そのデータを集め、そしてそれを虚心坦懐に眺める、あるいはデータの語るところを虚心坦懐に開かなければいけないものだ、というのが大事なのです。(153頁)

 こうした虚心坦懐な観察というものは、何も自分自身の周囲を物理的に観察するだけではない。そうではなく、身の回りに起きている現象を変数として捉え、ある変数とある変数との関係性や、特定の変数の異時点における変化に注意を喚起することである。これはなにも難しい統計解析を試みる必要があるというわけではない。「風が吹けば桶屋が儲かる」といったレベルの仮説を自分自身で設定して、それが正しいのか、はたまた途中の変数がおかしいのか、について事実ベースで観察すれば良いのである。

 もうひとつ大事なことは、“捉われない”ということです。
 捉われることの、一番大きなものは、過去の自分の経験なり習慣なり、あるいは既存の法則とか、ルールとかいった類いのものです。(中略)
 専門家であることは結構なのですが、開放的な、あるいは自由な、少なくとも心の自由というものを持っていることが、非常に重要だということです。(153~154頁)

 仮説を持つと共に大事な点は、自分自身の経験や背景知識といった偏狭な概念に捉われないということである。むろん、仮説を立てる時には自分自身の経験や知識が必要であろう。しかし、いったん仮説を立てた後には、粛々とデータに基づいて現象を把捉することが重要だ。ともすると私たちは、自分が創った仮説に過剰に捉われて、その正当性が失われないように、異なるデータを取るまいとして、フィードバックループを閉じてしまう。それでは自分自身の偏狭な世界から抜け出せず、オープンな研究的態度によって未知の世界を明らかにすることは難しい。

 もっと開放的な専門家でなければならない。なるほど中心は機械にあるかもしれないけれど、きちっと決められたものではなくて、横にいくらでも広げられるのだということです。もちろん、他人もそう思わなければいけない。自分もそう思わなければいけないのです。私のいう能力というのは、そういう意味の能力も含まれております。深さはもちろんのこと、幅も全部そうです。だから容積はいくらでも変えられるものと考えることが大事です。そのかわり、そうするためには意欲が必要です。しかも、これはほかからつけるものではなく、自分の本性として持っている。そういう内発的な圧力、やむにやまれない意欲というものを燃やす、またそそる必要があるわけです。(133頁)

 研究を日々行う人物を専門家と称するとすれば、どのような専門家であれども、開放的な存在でなければならない。これは『ドラッカーと論語』(『ドラッカーと論語』(安冨歩、東洋経済新報社、2014年))での安冨氏の鍵概念の一つを借りれば、「学習回路を開く」ということであろう。専門バカにならないため、また研究領域を広げて現実への適用可能性を高めるためにも、いかに自分自身の学習回路を開き、多様なフィードバックを得られるように設えるか。これが専門家にとって求められる態度なのである。

 研究的態度で仕事をすることで、仕事への情熱がわき、単純さからくる「飽き」「たいくつ」から脱却して人生の生きがいが得られます。誰にでもできて、もっとも効果的な研究のやりかたは、統計的にデータを集め、刻々それの語るところに教えられるように解析することなのです。(156頁)

 ここまで述べてきた研究というものは、他者から言われて義務的に行うものではないことに改めて留意したい。自分たちで、目の前で取り組んでいる仕事をはじめとした物事を、よりたのしく、自分にとって意義あるものにするために、研究的態度が重要なのである。つまり、研究的態度は、自分のために自律的に取る態度なのである。さらには、内発的動機付けの理論が古くから明らかにしているように、行動が刺激に先行するのであり、行動することで自分自身が心から行いたい研究領域が見えてくるのである。したがって、行動する前から自分にとっての研究領域を意識することは難しく、まずは行動することなのである。

(3)マネジメント

 人は必ず自分の型というものを持っている。あるいは理想像というものを描いている。その目で相手を見るから全部欠点に見えるのだというのです。(84頁)

 チームのマネジメントであれ、部下のマネジメントであれ、タスクのマネジメントであれ、マネジャーは、自分自身の眼鏡で他者を見てはいけない。というよりも、自分自身の眼鏡で見てしまうということに自覚的であるべきであろう。この点に自覚的でないと、自分ができていることで他者ができないことにイライラしてしまい、他者が欠点ばかりの存在のように思えてしまう。観察に関するポイントについて前述した通り、他者を観察する際にも、自分自身の観点に捉われるのではなく、その有り様をそのまま観察することが重要なのである。

 もとの個性というものは変えられないのですからそのままにしておいて、その代わり短所になってあらわれているあらわれ方だけを、長所にふりかえるようにするしかないのです。(中略)
 個性は直せないから個性をいかそうと思う、これは非常に価値のある大事なことです。
 個性尊重ということは、個性は変えられると思うことから始まるのです。(86頁)

 捉われずに観察することによって、他者の個性というものを明らかに見ることができる。こうした個性は他者によって変えられないものであり、個性の発揮として、他者からすると短所のように見えてしまうものがあることが分かる。したがって、マネジャーとしては、そうした発揮のされ方に着目してフィードバックを行うことで、個性が違うかたちで発揮されるように関与することが求められる。そうすれば、相手からすれば、自分の個性を尊重されていることを感じ取り、その発揮の仕方を工夫するように自ずから納得して努力することができるのではないだろうか。

 私は自由というものに対して、人さまの自由を尊重できないような人間には自由は与えられない。つまり人さまの自由のほうが優先すると思います。(100頁)
 それはチームワークから出てくることなのですが、共同の目的のために一緒に働くものはお互いにほかの人がどういうふうにしているか、ということに無関心であってはならないと思っているところにあるのです。
 だから、この人にまかせた、この人の自由にやってもらう、この人の責任でやっているんだ、といいながらも、ほかの人はみんなこの人のやっていることを常に気にかけている。つまり無関心ではないということです。常日ごろは何もいわないのですが、ほんとうにいけない、ほんとうにあぶない、ということになったときには、みんながそれを助けて、そうならないようにしてやる、というところによさがあります。(中略)
 そこがチームワークの大事なところです。ほかの人のやっていることもちゃんと関心を持って、そしてお互いに絶えず気をつけているという、そのところが大事です。(109~110頁)

 人の持つ個性を重視する著者の姿勢には、他律的ではなく自律的な発想と行動への尊重という点が垣間見える。その上で、自由とチームワークという一見すると相互矛盾する概念を同時に重視すべきであるとする。したがって、自由を重視するということは、自分の自由ではなく他者の自由を優先すると主張している点に着目するべきであろう。他者の自由を優先するということをチームのお互いが行えば、他者の様子や状況に関心を寄せることは当然であろう。なぜなら、他者が自由に行動できることをケアするためには、他者へ興味・関心を持ち、折に触れて観察することが必要だからである。こうして相互に自由を尊重し合うことによって、突発的な変化や重要な業務の発生に対して、チームワークを発揮して対応することができるのである。付言すれば、そうした他者への支援行動は、他律的なものではなく、自律的なものであることは言うまでもないだろう。

 知識を得ることが科学である、としますと、その知識を、何かの目的に使うことが技術なのです。(19頁)
 知識を「応用する才能」というものは、教えられるものではなく、失敗を恐れずに修行をさせて、育てるものなのです。育てるとは、失敗の責任を授業料だと思って、引き受けてやることです。「学」は教えることができるが、「術」は育てることでのみ得られるのです。(139頁)

 マネジメントの中には、人材育成も重要な要素の一つとして含まれる。育成ということを考える際に私たちは、学校という制度やしくみに捉われて考えすぎなのではないか。つまり、学校でよく行われるような知識を単純にインプットし、それを正しくアウトプットできるようにすることを教育の全てであると誤解しがちである。むろん、暗記は必要な学習の形式の一つであるが、それはあくまで多くのもののうちの一つの形式にすぎない。知識をいかに活用するかという技術を抽象化して伝えることで応用可能性を高めること。また、良質な機会をマネジャーがデザインし、それを経験してもらうことで「応用する才能」を育てること。マネジャーとしては、育成においてこうした点を留意して行いたいものである。

(4)その他

 三つの点に分けて、私にとって非常に大事であると思う点を述べてきた。こうした含蓄の深い考え方をされる著者が、若い頃の出来事として、カモシカを捕って食べた話を尼さんとやり取りをしているエピソードが本書の冒頭で出てくる。上記の三点に分けられない箇所であるとともに、一見するとなぜそのエピソードを本書の冒頭で記したのか分りづらい。しかしだからこそ、私には、著者が記した自然観が彼の人間観を形成する上で重要なポイントになっているように考える。以下に引用して本論考を終わりにしたい。

 「あんたはもう自然の恵みを遺憾なく甘受して、その死んだカモシカの足の先までおいしかった、とさっきいうとったやろ。そうしたら、それは殺生ではない。そのカモシカは成仏しとる」(11頁)

【第352回】『私本太平記(七)』(吉川英治、講談社、1990年)

 尊氏が九州から捲土重来を図り、刻一刻と義貞軍との衝突が近づく気配のする第七巻。最終・第八巻の湊川へと繋がる本作では、正成の有り様が印象的だ。

 もしこの重い業をのがれたいのであったら、そもそもは、元弘の初め、笠置からの天皇のお招きをお断りすればよかったのである。しかるにすすんで勅を畏んだ。そのときすでに平和の民、南河内の一族有縁の女子供にいたるまでの運命はこの正成が業の輪廻に巻きこんでいたものだった。長としてのその原罪を、彼はみずからの性格のためにごまかしきれない。
 しかし、拒んだら、のがれえたか。平和の民があのまま平和でいられたろうか。
 むずかしい。考えられない。
 でも正成の責任はそれで消えぬ、この正成の……と笠置の過去をかえりみたとき、彼ははっと、いまの衷心を訴えうるただひとりの御一人胸のうちに見つけていた。(42頁)

 どれほど戦いの中に生きようとも、心の底で平和を願い、平和のために戦う正成の想いが伝わってくるようだ。その想いの強さが、天皇への諫諍まで正成を突き動かす。

 もし左中将どのに、よく人心収攬のご器量があるものなれば、さきに鎌倉を陥し、また勅宣の御戦をひきいて治平の帥にあたりながら、今日まで天下の諸族を、いまだにこんな支離滅裂にはしておきますまい。ーーひるがえって尊氏をみれば、賊名をうけながらも、またいくたび窮地に立ち、いくたび破れながらも、なお彼の筑紫落ちには、あまたな武士が、付き従うなどーー尊氏が赴くところ、何せい、衆和と士気の高さがうかがわれまする(54頁)

 後醍醐への諫諍の中で、味方である義貞を否定し、尊氏を称揚する。称揚するどころか、尊氏を味方にし、義貞を討つのも辞さず、とまで断言しているのであるから、凄まじい。日頃言葉少ない人物の直言であるために、その効力も高いのであろうが、この言は入れられず、半ば蟄居に近い扱いを受ける。それも、後醍醐による判断ではなく、その取り巻きである公卿による命であるのだから、正成の苦衷も想像できよう。

 「ゆたかな、慈悲のおん相にはちがいない。けれど阿修羅もおよばぬすさまじい剣気を眸に持っておいでられる。したがその猛も貪婪な五欲には組み合わず、唇と歯には知恵をかみわけ、鼻、ひたいに女性のような柔和と小心と、迷いのふかい凡相をさえお持ちであらっしゃる。卑賤の親とは慕われようが、決して貴人の相とは申されぬ」
 「……」
 「いやいや、言い違えた。貴相ではあるが、その貴相は、福禄のそれではなく、堂上におごる人のそれともちがう。どうみても我利我欲の強さには欠けている。では私の自我心はないのか。それもちがう。おそろしい大自我、いわば大私といったような御自分の自信はなんぴとよりもお強く巌みたいにその貌心の奥に深く秘めてはおられる」(274~275頁)

 仮面作り師による正成評である。自然な強さ、自然な優しさ。そうした自然な感情と意志が、その相貌に表れているのであろう。

 「さむらいの子、そうなくてはならぬところ、健気さはうれしいぞ。したが、正行よ。死ぬだけがもののふの道ではない。いや、もののふが一番に大事とせねばならぬのは、二つとない生命だ。いかなる道を世に志そうと、いのちを持たで出来ようか。されば、さむらいの、もっとも恥は犬死ということだ。つぎには、死に下手というものか。とまれ人と生れたからには、享けた一命をその人がどう生涯につかいきるか、それでその人の値うちもきまる」(328頁)

 死を覚悟して湊川へと付いて行こうとする長子・正行を思い留めさせようと諄々と説諭している情景である。死を意識するからこそ、生を大事にする。否、生を重んじるからこそ、死をも覚悟することができる。つまり、死の覚悟を決めるということは、生きることの喜びや素晴らしさを知悉し体験している人物だと正成は言いたいのであろう。そうであるからこそ、生を充分に経験していない正行の死地への追従を頑に断るのである。

 正成は人知れずもう死をきめていたのである。
 いかに死すべきか
 死の価値だけが彼には大事なのであって、感情上のこと、生還のこと、すべてさらさら胸のすみにもない。で自然、義貞へも、心の小細工などは持つ要は何もなかったのだ。ーーただ、ありようありのまま、義貞とあしたの戦略をよくはなしあっておこう。そしてそれには、主将の義貞にいささかなわだかまりがあってもいけないと考え、そのもつれを解こうと努めるものにすぎないのだった。(347頁)

 死を意識することによって、他者にも寛容になり、一喜一憂しなくなる。正成の場合、死地へ赴くことによって、より自然になっているのであろう。

 なぜだろう、彼にもわからない。じいんと胸が傷んでいた。敵にまわしたくない敵、しかも七生までの敵ぞと自分へ宣言して会下山に立った敵。にもかかわらず、彼はなお、正成が憎めぬのみか、立派だ!とさえ思うのだった。(366~367頁)

 最後に、尊氏による正成への心情を引用した。正成への尊崇の気持ちに基づき、幾度となく本人および使者からも伝えながらもそれを全て否定される。それでも、正成への尊敬と崇拝の気持ちが消えない。それだけの強い気持ちを天下人に持たせる存在が、楠木正成という人物なのだろう。




2014年10月4日土曜日

【第351回】『私本太平記(六)』(吉川英治、講談社、1990年)

 建武の親政のはじまりと、そのあまりに早い瓦解を描く第六巻。俗に南北朝の戦いと呼ばれる争いを、武家と公家の双方が、天皇と天皇との戦いとはせず、足利対新田という武家の争いとして、大義名分を合作する様は、非常に興味深い。どこか<日本的>と思えるような作用である。

 足利と新田の綱引きにおいて、足利尊氏は楠木正成を自陣に引き込もうとする。これは、戦略的な見地に立ったものであるとともに、正成の人間性に対する尊崇の念もあるかのようだ。

 土豪には土豪の土臭、武者には武者の骨柄があるものだが、正成には、そんな力みがどこにもなかった。
 それも、しいてしている低姿勢とはみえず、人前に臆しがちな、はにかみともいえそうな翳が、その肩や面ざしを、自然なやわらかいものにしていて、するどい圭角らしさなどは物腰のどこにもない。いってみれば、そこらの往来でも役所の門でも、ざらに見かけられる平凡な四十男、あるいは布衣のなにがしといった程度の人としか思えない目の前の正成だった。(67~68頁)

 正成に対する尊氏の印象の描写という形式で書かれた部分である。穏やかながら芯があり、泰然自若な中における強さが描かれているように思える。

 かねがね彼は、河内の正成ひとりは、どうあっても、敵にまわしてはならぬものとしていたのである。もし味方に加えて大望の一翼とすることができたらとさえーーひそかに考えているほどだった。それはきのう今日の思いではない。赤坂、千早における楠木一族なるものに遠くから注目しだした頃からの慕念であった。士は士を知る。男が男に惚れたのだと彼は思う。(73頁)

 それでも尊氏は六波羅までのあいだに、この者たちの態度や騎馬法などを見て、なるほどくれくらいな者が千もいれば、赤坂、千早の戦いもできえたろうと思われた。兵をみればその主将の人柄はたいがいわかる。尊氏は広い世界を恐れずにいられなかった。それにつけ、正成の存在は、前より大きな障害と考えられた。大望の一路をさまたげる難山となるかもしれない。今夜の口吻とあの信念、焼き刃がねのような純粋な人柄。まるで動かぬ山だ。山はこっち向けにすることは不可能だ。彼はひそかにあきらめた。(76頁)

 二つの描写を引用した。正成に対する尊敬の想いが強い尊氏だからこそ、その人間性の純粋さに付け入る隙がないことにも気づく。天下泰平を目指す尊氏と、自身の生まれ育った土地の人々と家族との平和を目指す正成。そのあまりに大きなベクトルの相違が、二人の英傑を並び立たせなかったのではないか。

 次は、新田義貞による尊氏への感情について触れてみたい。

 尊氏という人間を観るうえでは、たれよりも、自分が最もよくそれを知る、としていたからである。
 新田、足利とならんで郷国も隣り合っていたし、幼少からの人となりもお互いよくわかっていたうえ、隣国同士、喧嘩のしのぎもけずりあい、鎌倉入りには味方ともなって、両軍、くつわをならべて攻め入った仲でもあるのだ。ーーが、その後においては、
 食えぬ男。
 心底の読めぬ尊氏。
 と、義貞の尊氏観は、いちだん、以前とちがっていた。(110頁)

 幼少のころの尊氏を知るために、現在との差分への理解もまたよく知悉しており、尊氏の人間性を理解しているという自負にも繋がっているのであろう。

 ゆめゆめ、もうあまく見てはならぬ。ーー戦でなら負けはしないがーー謀にかけては寸毫の油断もならぬ尊氏、義貞一生の強敵と心がくべきだ。さもなければ、鎌倉終末の大失敗を、ふたたび都でもかさねるだろう。謀だ。彼は謀にとむ大敵だ。(111頁)

 他者を軽く見るということは、軽く見たいという自分の主観的な感情が為すのかもしれない。その結果、油断大敵という言葉があるように、しっぺ返しを受けることになる。いわば、過去の自分自身の過失が、現在の自分自身に復讐するのである。換言すれば、自分の主観を排除して、他者の評価を客観的に捉え直すことが私たちには必要なのだろう。

 最後に、尊氏が、後醍醐と対立することになってまでも、天下を目指すことを決断するシーンを見てみたい。

 天下の武士あらましは、公家政治に失望して王政ならぬべつな“何か”の形態を統一のうえに欲している。ーー北条残党ののろしが、東国の野でたちまち巨大な火勢となったのも、現状に不平な枯れ草が土壌いたる所にあるからだ。
 これは、尊氏として、坐視できない。武士の不平は、彼にすれば、彼のいだく大望の理想楼閣をきずく良材なのだ。味方なのだ。その素地を、北条再建軍にうばわれては、彼の立脚する所はなくなる。
 かつは、朝廷としても、ここまできた北条討滅の意義は霧消してしまう。ーーだからたとえ朝命をまたず無断東征に赴いても、それは天下の御為ともいえるのではなかろうか。
 尊氏は、しいて自分の行為に、そう理由づける。(188~189頁)

 朝廷に対する深謀遠慮の精神を持ちながらも、自身の大望から鑑みた上で時局への対応をはかろうとする。それはすなわち、後醍醐との対立を意味することになるが、いたしかたないと自分自身を納得させている。この尊氏の朝廷を慮る気持ちは、以下の、直義への強い言葉にも表れていよう。

 「ちがう。尊氏の意はちがう。どうなろうと、天皇はやはり至上の上にあがめおきたい。この国の美だ、また要だ。もしそれをなくしたら、さなきだに俺が俺がの天下は、のべつ乱麻乱世のくりかえしだろ。それを恐れる」(214頁)

 「国家」という概念までが尊氏の頭にあったとは思えないが、泰平な世の中の実現という点は意識に強くあったのだろう。そのために、天皇という存在を重んじる必要があると考えた点は、軍人というよりも政治家としての秀逸さを感じさせる。

 「時運はたえまなく動いているのだ。そうこだわるな。眼前の事態にのみ固着した頭脳では手も足も出せはせぬ。ーーやがて勅使も帰洛のうえには、何かの変も生じて来よう。打つ手も自然出てくるものだ。尊氏もここしばらくは静観しよう」(220頁)

 冷静沈着さをなぜ尊氏が重んじるのか。それは時局を見極め、長い時間軸で現在の現象を捉え、対応しようとするからだろう。そうであるから徒に慌てることなく、ゆったりと構えることができるのであろう。激烈なリーダーも人を魅了することがあろうが、尊氏のようなリーダーこそ、人を惹き付け、組織を創り上げる存在なのではないか。



2014年10月3日金曜日

【第350回】『私本太平記(五)』(吉川英治、講談社、1990年)

 尊氏の天下を取るための深謀遠慮の計が徐々に明らかになる『私本太平記』の中盤である。

 他のどんな軍事上の提携よりも、高氏は、このクサビに他日のふくみを打ちこんでいた。ーー子を鎌倉の質子として去る親の立場から、その千寿王の生命を、義貞に保護させておくことにもなるし、また、
 (鎌倉攻めは、新田だけの催しでなく、足利の一子と一軍も、参加していた)
 となす、発言権をも、ここで将来のために、確保しておこうという考えがある。(153~154頁)

 自らは六波羅に向けて西上する一方で、同時に新田が鎌倉へ東上するように示し合わせ、北条幕府を滅亡させるという戦略。その見事さもさることながら、六波羅討伐への武勲のみならず、鎌倉討伐への武勲をも得ようという両面戦略、かつ新田との連携を強化する外交戦略も兼ね備えた卓越した大戦略である。

 世良田のみなみへ半里、利根川べりに行きあたる。
 そこの川岸の里は地名を徳川といい、新田家の一支族、徳川教氏の住地だった。ーーこの世良田徳川の子孫が、遠いのちに、江戸幕府の徳川将軍家となったのである。だから代々の徳川家は、祖先新田氏をおろそかにしなかった。(124頁)

 やや余談となるが、不勉強ながら、徳川家が新田家の子孫であるとは知らなかった。自分への備忘録として記載しておく。

 そのうえにも、後醍醐は、
 「わが諱(実名)の一字をとらす。……以後は、高氏をあらためて、尊氏となすがよい」
 といった。
 (中略)
 高氏は、感激した。彼には愚直な一面もある。かほどまでに自分を知ってくれるお人には何らの異心も抱けはしなかった。かつは、帝王でいながら今日までの迫害と艱苦に克ちとおしてきた後醍醐を、彼は、平等な人間としても、心から尊敬していた。勲位は、その傑出した人からみとめられたということで、いちばい、うれしかったようだった。(349~350頁)

 あまりに深謀遠慮で人間性が見えづらい尊氏ではあるが、感動しやすい性質もまた内奥にはあるのであろう。違う側面から捉えれば、自分という人間をよく理解してくれることに感動するというのは、多くの人間に共通することなのかもしれない。他者のつぼを抑えるという点から鑑みれば、後醍醐もまた、リーダーの素養ゆたかな人物であったのであろう。



2014年10月2日木曜日

【第349回】『私本太平記(四)』(吉川英治、講談社、1990年)

 本書でも、足利尊氏・楠木正成・佐々木道誉の三者を中心に物語が続く。

 これが天下の反宮方から、あれほどに狙われている首の持主なのか。大蔵には、その人が、何かふしぎな者に見えた。
 豪傑というのだろうか。いやそんな強げな大将でないし、智者ともみえない。あの加賀田の隠者のほうが、よほど学問もありそうで眼もするどい。
 では何だろう、この人は。
 こう対していても、べつに人を圧する威厳があるわけでもない、いっかな無口で、茫洋としていて、彼にはつかみどころがなかった。けれど何か一しょにいると、あたたかだった。おそろしい飢えと敵の重囲の中にある気はせず、つつみ隠しもいらない穏やかで正直な人とただ夜を共にしている感だけがあって何もなかった。ーーあらゆる種類の人間を猜疑し、また嗅ぎつけてきた大蔵なので、その直感だけには自信がもてる。(278頁)

 元は六波羅探題の忍びであった忍の大蔵による楠木正成評である。敵としての存在から、正成に魅せられて旗下に下った人物である。正成の人物の大きさ、もしくはその真っすぐさが分かる描写である。

 「言いなさんな。正成どのは、おまえさんのことなんざ、悪くもいわず、よくもいわずだ。ましてこの大蔵の去就などに目もくれてはいない。また千早には、大将から兵のはしまで、出世を考えているようなのは、ただのひとりもいねえンだよ。そんな娑婆ッ気で居たたまれる城じゃあない。そこらが、おまえさんの学じゃ割りきれねえとこなんだろう」
 「………」
 「だが、おれは見た。人間もほんとに信じあって一つにかたまると、こうも強く美しくなるもんかっていうことをね。人間を見直したよ。やくざな俺までがあの籠城には手をかしてやりたくなるんだ。千早の中へはいったのが身の因果か何かは知らぬが」(349頁)

 引き続き、大蔵による正成への想いの吐露である。正成の評価というところから派生して、正成を慕って死地で獅子奮迅する部下たちへの想いや、彼らへの共感を通じて、正成および楠木軍の強さをよく表現しているようだ。

 ふるびてはいるが、まだ生きていたかのような灰白色の一旒が、旗竿のさきにたかくひるがえった。ーー高氏はひとみをあげてその流動に見とれた。十年の思いがいま虚空に呼吸をえている姿にみえる。また、日ごろ崇拝していた頼朝の加勢をいま証に見たかともおもった。(429~430頁)

 次は足利尊氏である。鎌倉へ反旗を翻す決意を持っているにも関わらず、その意志に気づかない執権・北条高時からもらった源氏の御旗を前にしての想いである。頼朝への崇拝と共に、十年前に先祖に誓った意志を思い返す印象深いシーンである。

 「む。新田が起つ。上野国の新田小太郎義貞も、その遠くは、足利と同祖の家。ーーこれまでの反目も水にながして、同時に起つ密約もすんでおる。ーーあとは、同じ源氏の名門では、御当家だけだが、賢明なそこもとが、ここを踏み過るはずはないと、新田も見てれば、またかくいう高氏も、十年らい、この目でみてきた佐々木道誉だ、かたくその者を信じてこれへ来たわけだ。わかろうがの、こうまで申せば」(492頁)

 幕府側と宮方へも色気を見せる佐々木道誉。その道誉を宮方へと決めさせるために、尊氏は単身で道誉を訪れるという奇策を敢行し、このような大戦略も含めて意志を伝える。リーダーシップの本質を感じさせる言動ではないか。



2014年10月1日水曜日

【第348回】『私本太平記(三)』(吉川英治、講談社、1990年)

 足利尊氏、楠木正成、佐々木道誉。後醍醐天皇の近習ではない三者が、遠くを周回する衛星のように、遠心力と求心力とが調和されているかのように、三者が後醍醐を取り巻きながら、それぞれに影響を与え合う。

 ことばには馴れる。覚悟の必死のと言いあってみても、すぐ観念化されやすい。
 正成が“砦入り”のその日に、祖先いらいの館を、まず真ッさきに焼き払って出たのは、ことばだけでない覚悟のほどを、みなの眼に見せたものだった。(62頁)

 まずは楠木正成から。言葉は少ないが、行動で将兵たちに意志を示し、戦略を遂行させるその様は、軍神という名にふさわしい。ふわふわとした言葉を重んじるのではなく、行動によって意図を示す。

 「そうだろう!」
 高氏は膝を打った。じぶんの観測は中っていた。将は将を知る。独り愉快を禁じえぬらしい。
 「かねて正成の人となりは、そちからつぶさに聞いていた。その正成が、小城一つ失ったとて、やわか、むなしく焼け死ぬものか。藁人形ではあるまいし」(187~188頁)

 鎌倉幕府側の尊氏をして、後醍醐天皇側の正成を称揚する。二人は、その後も敵味方に分かれる運命にあるわけであるが、尊氏による正成への敬意は、人間の美しい感情を表しているように感じる。

 こんな時代だ、おれはおれの生き方で行く。時代をおれの時代のように振舞ってゆくぞ、と、いつの時にか腹をすえたような太々しいものがあった。ーーもう一歩その底意に立ち入れば、彼もまた、近江半国の守護という好位置を利して、ひそかに天下への野心を抱くものかも知れず、または婆娑羅大名の奢りだけにほぼ満足しているものか、その辺の区別は、彼もまた一種の怪物であり、大物だけに、余人にはつかみようもないのである。ーーいや彼が稀世の怪物なら、時雲のうごきも一寸さきが逆睹できない怪雲であるから、彼自身にさえ、ほんとの腹は固まってないのかもしれなかった。しいて本音を吐かせれば「……いやその両方だ。生きるからには婆娑羅に世をたのしみ、あわよくばまた、天下も取りたい」と、空嘯く者なのかもしれない。(129~130頁)

 次は、佐々木道誉を取り上げたい。北条高時の寵愛を受けながらも、後醍醐天皇側との関係を作ることにも余念がなく、尊氏との関係性も常に揺り動く。その動きの分からなさは、自分自身すらその意志や野心が分からないからではないか、という著者の洞察は納得的だ。

 だが高氏は何のこだわりもない風だった。先ごろ、ついこの辺で道誉の家来たちを懲らしたことも、以後、小右京の身を山荘にひきとっていることなども、忘れていた。ーーそしてただこの一怪物を、将来の用のため、自家の薬籠中のものにしなければと、ひそかに誓っていただけだった。(195頁)

 尊氏は折に触れて道誉に振り回されるし、煮え湯を飲まされるようなこともさせられる。しかし、嫌いたくなるときほど,その存在の重要性に思い知らされるのであるから、皮肉であるとともに、人間関係の不思議さを感じさせる。

 こんどの旅で広く見わたしても、高氏ほどな男は、まず見あたらん。未来の運を賭けるなら高氏しかない。(322頁)

 張り合う好敵手と見做しながらも、相手の実力を認める姿勢は、道誉もまた高氏に対して抱いている。しかし、一筋縄にお互いが手に手を取り合って、という関係性にならないところもまた、好敵手というものなのだろう。