2015年8月23日日曜日

【第476回】『真田太平記(一)天魔の夏』(池波正太郎、新潮社、1987年)

 シリーズものの歴史小説を読み始めるというのは、いささかハードルが高い行為である。駄作であればすみやかに読むのを終えられるのであるが、そうでない場合、つまり読み進めたいと思う場合には、他に読みたい書籍を読むことが停滞してしまう。多少の「積ん読」を覚悟して本シリーズに向かったのは、真田幸村という人物を、子供向けの漫画でしか読んだことがなく、その魅力的な人物像を改めて理解したいと思ったからである。

 真田家のような小勢力が、しだいに、武田、上杉、織田などの大勢力にふくみこまれてゆき、大勢力と小勢力との激突によって、戦乱の波動が日本の首都である京の都を中心に煮つめられはじめた。
 こうなると、真田家のような小勢力でも、単に、自分が臣従し、追従している大勢力のことのみへ眼を向けていたのではすまなくなってくる。
 今度の、武田家の滅亡に際しても、真田昌幸のように、
 「深く頼む……」
 草の者たちをうごかし、京の都から近畿一帯、近江から尾張、東海地方にいたるまで、諸国の情勢を探り取らせていた武将たちには、危急に対する術も、おのずから生まれて来るはずであった。(192頁)

 戦国時代における「忍び」の存在に対する需要がここに端的に表現されている。情報技術が未発達の状態において、情報の持つ価値は現代の私たちが考えるより遥かに高いものである。ことに、変化が激しい状況においては、最新の情報を入手しているかどうか、また情報発信によって印象操作をすることの重要性は大きい。したがって、忍者が活躍できる素地は充分にあったのである。現代の視点からその重要性を認識するのは可能であるが、当時の時代においてその重要性を認識するのは難しいだろう。しかし、それを成し遂げていたのが織田・羽柴・徳川・武田といった有力な武将であり、武田の影響を受けて本書の主題である真田家も間諜のネットワーク構築に注力していた。

 高遠城で嗅いだ土の春の香りは、左平次の[死]とむすびついていたが、いま、胸いっぱいに吸い込んでいる春の大気は、彼の[新生]に直結している。(270頁)

 こうした真田家に寄宿する忍びの者たちから救い出された向井左平次。死地での香りと、生き長らえて感じる空気の香りとの対比が、きれいに表現されている。こうした文章表現が心地よい読書体験を生み出してくれるものである。

『真田太平記(二)秘密』(池波正太郎、新潮社、1987年)
『真田太平記(三)上田攻め』(池波正太郎、新潮社、1987年)
『真田太平記(四)甲賀問答』(池波正太郎、新潮社、1987年)
『真田太平記(五)秀頼誕生』(池波正太郎、新潮社、1987年)
『真田太平記(六)家康東下』(池波正太郎、新潮社、1987年)
『真田太平記(七)関ヶ原』(池波正太郎、新潮社、1987年)
『真田太平記(八)紀州九度山』(池波正太郎、新潮社、1987年)
『真田太平記(九)二条城』(池波正太郎、新潮社、1987年)
『真田太平記(十)大坂入城』(池波正太郎、新潮社、1987年)
『真田太平記(十一)大坂夏の陣』(池波正太郎、新潮社、1987年)
『真田太平記(十二)雲の峰』(池波正太郎、新潮社、1987年)

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