必要は発明の母である、という考え方を私たちは疑いもせずに受け容れがちだ。しかし、本当にそうであろうか。本書では、「発明は必要の母である」とされ、私は、学部時代と同様にその箇所に改めて刺激を受けることになった。
具体的な例をあげればわかりやすいだろう。たとえば、ジョブズがiPhoneを提示するまで、私たちは携帯電話でブラウジングしたり、音楽を再生したり、スケジュール管理をしようというニーズはなかった。少なくとも、顕在的なニーズは非常に少なかった、とは言えるだろう。
しかしiPhoneが「発明」されることによって、私たちはそれをスマートフォンと呼ぶようになり、様々なニーズが喚起されるようになった。一つの発明が、私たちの生活における必要性を生み出し、そうしたニーズによって産業が生み出されるのである。
功績が認められている有名な発明家とは、必要な技術を社会がちょうど受け容れられるようになったときに、既存の技術を改良して提供できた人であり、有能な先駆者と有能な後継者に恵まれた人なのである。(67頁)
発明やデザインというものには創造性が求められることは間違いないだろう。しかし、それと同等かそれ以上に、社会における潜在的なニーズへの感性と、既存の技術を組み合わせる幅広い思考能力が求められるのではないだろうか。
【第268回】『世界史(上)』(ウィリアム・H・マクニール、中央公論新社、2008年)
【第270回】『世界史(下)』(ウィリアム・H・マクニール、中央公論新社、2008年)
【第293回】『仕事に効く教養としての「世界史」』(出口治明、祥伝社、2014年)
【第270回】『世界史(下)』(ウィリアム・H・マクニール、中央公論新社、2008年)
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