2016年10月29日土曜日

【第637回】『ビジョナリーカンパニー②飛躍の法則』(J・C・コリンズ、山岡洋一訳、日経BP社、2001年)

 あの『ビジョナリーカンパニー』の続編ではあるが、著者によれば内容としては前編である。「良い企業」と「偉大な企業」との違いが、また「良い」状況が「偉大な」状況へと発展することをいかに阻害するかが描かれた、前作と並び賞させる古典と言えるだろう。

 規律ある人材が、規律ある考えに基づいて、規律ある行動を取り続けることによって「偉大な企業」を創り上げていくことを描写した本作。こうした三つのステップの最初である「規律ある人材」について考えさせられる部分が多かった。

 第五水準の指導者は成功を収めたときは窓の外を見て、成功をもたらした要因を見つけ出す(具体的な人物や出来事が見つからない場合には、幸運をもちだす)。結果が悪かったときは鏡を見て、自分に責任があると考える(運が悪かったからだとは考えない)。(56頁)

 規律ある人材の第一の要素である「第五水準のリーダーシップ」では、旧来のリーダーとは異なる人材像が提示されている。出版当時は、GEのジャック=ウェルチやIBMのルイス=ガースナーがいて、スティーヴ=ジョブズがアップルのトップとして復帰するなどカリスマ型のリーダーが持て囃されていた時代だ。そうした時代に謙虚なリーダーシップ像を提示し、それ以降の趨勢を考えれば、第五水準のリーダーシップの正当性がわかるものであり、著者の示唆の素晴らしさに脱帽する。

 第五水準のリーダーシップでリーダー像が提示された後は、その鏡となるフォロワーシップとしての人材について述べられている。

 偉大な企業への飛躍に際して、人材は最重要の資産ではない。適切な人材こそがもっとも重要な資産なのだ。(81頁)

 人材が大事と言葉で言うことは易しい。しかし、人材が大事なのではなく、適切な人材が大事であるという著者の指摘は重たい。ではなぜ人材一般ではなく、適切な人材こそが大事であるという指摘を著者は行ったのか。

 不適切な人物が職にしがみついているのを許していては、周囲の適切な人たちに対して不当な行動をとることになる。不適切な人物がしっかりした仕事をしないので、適切な人たちが尻ぬぐいや穴埋めをするしかなくなるからだ。それ以上に問題なのは、最高の人材が辞めていく原因になりかねないことだ。すぐれた業績をあげる人たちは業績向上を強く願っていて、これを仕事の原動力にしている。自分が努力しても不適切な人たちに足を引っ張られると考えるようになれば、いずれ苛立ちが嵩じてくる。(90頁)

 理由はシンプルである。適切でない人材は、仕事を適切にしないというよりも、その存在によって適切な人材を含めた周囲の人材の負担になるからである。そうした人材が多ければ、適切な人材が活躍の場を他に求めることは自明であろう。人事として、いかに適切な人材を処遇するかということとともに、いかに不適切な人材に毅然とした行動をとるかを検討することが必要不可欠である。


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