2014年8月18日月曜日

【第326回】『考えるヒント2』(小林秀雄、文藝春秋、2007年)

 エッセイというものは、同じ著者のものであっても、はまるものとはまらないものとがあるようだ。本書の場合、「学問」というタイトルのエッセイが非常に面白かった。

 私の書くものは随筆で、文字通り筆に随うまでの事で、物を書く前に、計画的に考えてみるという事を、私は、殆どした事がない。筆を動かしてみないと、考えは浮ばぬし、進展もしない。(38頁)

 稀代の随筆家である著者をして、書いてみないと考えがまとまらない、と言わしめている。書くことによって、私たちは文字を見ることができ、見たものに刺激を受けて自分の考えがかたちになっていく。さらには、手を動かすこと自体が快感であり、そうした作業によって書き続けることを促進することにも繋がるのだろう。

 新興学問の雄は、皆読書の達人であった、と前に書いたが、これには今日の読書という通念からすれば異様なものがあるので、読書するとは、知識の収集ではなく、いかに生くべきかを工夫する事であった。(49頁)

 読書を知識や情報を収集するために行なうことはむしろ一般的と言えるだろう。しかし、江戸時代における新しい学問の創始者は、自分自身の生き方を工夫するために本を読んだ、と著者はしている。では、具体的に、どのように読んでいたのか。伊藤仁斎をもとに著者は述べる。

 仁斎の読書法では、文章の字義に拘泥せず、文章の語脈とか語勢とか呼ぶものを、先ず掴め、と教える。個々の動かぬ字義を、いくら集めても、文章の語脈語勢という運動が出来上るものではない。先ず、語脈の動きが、一挙に捕えられてこそ、区々の字義の正しい分析も可能なのだ。(50頁)

 内容を正しく理解するというのではなく、書かれているテクストの勢いを感じながら、全体を掴むことが重要だ、と仁斎は述べた。こうした全体の勢いや流れを理解することが、翻ってそれぞれの言葉の内容を正しく分析することができるとしている。

 この姿は、或る現実の人間の内的経験を象徴或は暗示しているものであり、これを「心目の間に瞭然たらしむる」心法を会得しなければ、真の古典批判は出来ぬ、と仁斎は考えた。心法が何処に書いてあるわけではなし、一ったん覚えたらそれでよいという性質のものではなし、得ては失い、失っては得て、論語を読むのに五十年もかかった次第であるが、大事なところは、今日、主観的とか客観的とかいう言葉は、まことに曖昧に使われているが、その凡その意味でも、彼の心法を主観的方法と片付けられない点である。(50頁)

 決められた読み方というものがあるのではない。一度読んで内容を理解したと認識しても、もう一度読み直して新たな理解を得る。そうした作業の繰り返しを、仁斎は心法と読んでいるのであろう。こうした仁斎を例にとった新しい学問の創始者の読書に対して、今日における読書とはどのようなものか。

 今日の学問は、書物の観察を主眼とし、精神的事実も、一応事物化してから仕事にかかる、という建前になっているが、そういう今日の学問の通念から離脱して見てみる事が、必要であろう。そういう通念を透して眺めたがるから、視線が屈折し、仁斎の学問の姿が、歪んで了う。(51頁)

 今日における読書は客観的な読み方をした上で、考察を加えるというプロセスを重視する。しかし、それでは既存の知識の収集や整理といったところに留まざるを得ないと言えよう。むろん、そうした読み方も、知識の習得という目的のためには適している。ただし、自分自身の人生や生き方を考え出すためには、著者が指摘するように、そうした読み方を離れて、仁斎のような読み方を試みることが有効だ。

 仁斎の言う「学問の日用性」も、この積極的な読書法の、極く自然な帰結なのだ。積極的という意味は、勿論、彼が、或る成心や前提を持って、書を料理しようと、書に立ち向ったという意味ではない。彼は、精読、熟読という言葉とともに体翫という言葉を使っているが、読書とは、信頼する人間と交わる楽しみであった。(51~52頁)

 ここで著者が述べているのは、読書とは個人に閉ざしたものではなく、他者に対して開いたものであるという点である。お互いに学び合うということだけではなく、そうした交流自体が楽しみだとしている。こうした開かれた読書という点は、SNSが盛んな現代的な学びにも通ずると考えられるべきではなかろうか。



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