2017年1月6日金曜日

【第665回】『モモ』(ミヒャエル・エンデ、大島かおり訳、岩波書店、2005年)

 十七歳の頃、時間、疎外、近代化、といったテーマを受験勉強の中で懸命に考えていた。白状すれば、枠組みに嵌めて小論文という形式でアウトプットするということに対する気持ちよさもあったが、自分なりに思考自体のたのしさに触れた経験でもあった。

 本書のテーマは周知の通り時間である。時間をめぐり、主人公モモと時間泥棒とのやり取りを主軸にして物語が展開する。人々が時間を失う過程において、近代化および疎外を考えさせられる。

 時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということに、だれひとり気がついていないようでした。じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとりみとめようとはしませんでした。
 でも、それをはっきり感じはじめていたのは、子どもたちでした。というのは、子どもにかまってくれる時間のあるおとなが、もうひとりもいなくなってしまったからです。
 けれど時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。
 人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです。(106頁)


 時間が大事であるということに異論を挟む人はいないだろう。大事であるからこそ、私たちは時間を無駄にしないようにと心がける。そうした意識が強くなりすぎると、吝嗇の気持ちが時間に対しても向くようになってしまう。その結果、何に対しても効率化を求めて、楽しみや面白みが失われ、最も大事な時間を汲々と過ごすだけになってしまう。子どもを対象とした物語を通して深く考えさせられるからこそ、時代と空間を超えた名著になるのであろう。

【第156回】『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー、原卓也訳、新潮文庫、1978年)

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