老荘思想と一括りに論じられ、孔孟思想と対置される両者の思想。大枠としてそうした論法は正しいのであろうが、その違いについても、後世を生きる私たちは理解する必要があるだろう。本書は、そうした期待に応えてくれる一冊である。
両者の中心的な概念の一つである道に関する相違が分かりやすい。まずは老子から見てみよう。
老子は、「道」はすべてのものの根源であり、万物はそこから生まれてくるとします。そこで、何ごとにつけ自分たちの母である「道」に従うのが最も正しい在り方であるといいます。その「道」のはたらきには、わざとらしい作為は何もなく、すべて自然にそうなるのです。そこで、「道」に従うとは、不自然なことはせず、素朴で自然のままに生きることです。それを「無為自然」といいます。「足るを知る」「止まるを知る」というのもその一つのあらわれです。(15頁)
道という鍵概念が存在し、それに基づいて万物が生み出されるという発想を老子は用いる。外的なイデアとしての道が存在し、すべての生物は、道を体現しようと自然に生きることが理想的な生き方なのである。
それに対して、荘子が主張する道に基づいた生き方は少し異なる。
「道」はあらゆるものの中にあると考えます。この世のすべてのものは、それがどんなにつまらないようなものでも、それぞれのうちに「道」があります。その点においてあらゆるものに価値の違いはありません。これを「万物斉同」(すべてのものはひとしい)といい、そしてそれぞれがもつ特質を生かすのが「道」に従った生き方となります。(15頁)
唯一の道というものが外的に存在するのではなく、すべての存在に内的に道は存在し得るとするのが荘子であると著者は指摘する。したがって、多様な道が存在するものであり、それは変化し得るものなのであろう。飛躍を承知で述べれば、老子を下敷きにしながら、荘子がすすめた道の概念が、ダイバーシティが重視される現代社会において求められるものなのではないだろうか。
【第608回】『老荘思想がよくわかる本』(金谷治、講談社、2012年)
【第540回】『老子【3回目】』(金谷治訳、講談社、1997年)
【第377回】『荘子 第一冊』(金谷治訳注、岩波書店、1971年)
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