2017年1月28日土曜日

【第673回】『凡事徹底』(鍵山秀三郎、到知出版社、1994年)

 人格者とは何か。人格を磨くとはどういうことか。人生を通じて取り組むべきこうした課題について、イエローハットを一代で創業して社長を務めていた著者が私たちに語りかけてくれる。私たちが大事にしたい、しかし時に忘れがちなものが率直に書かれていて、襟を正される想いがする。

 私の場合はたまたま何もできなかった、特別な才能がなかったということで、才能のない私自身がこの世の中を渡っていくためには、悪いことをするか、あるいは、徹底して平凡なことをきちっとやっていくかのどちらかしかありませんでした。悪いことをする勇気がなかっただけに、鄙事を徹底して今日までやってきましたが、それが結果としては大変大きな力を持っていることをつくづく感じるようになりました。(15頁)

 創業社長が「特別な才能がなかった」と書かれてもいぶかしく思う気持ちは正直ある。しかし、そうであるからこそ「徹底して平凡なことをきちっとやっていく」ということを心がけて実践してきた、という記述に救われる気持ちを感じる。というのも、傍から見ているとあまりに素晴らしい方であっても、題名にもなっている凡事を徹底して実践するということであり、それであれば私たちもできることがあるのではないか、と勇気付けられるからである。

 凡事を徹底すると言うこと優しいが、それを継続することは難しい。では、どのようにして継続することができるのか。そのためには気づくことが大事であると著者は述べる。

 気づく人になるもう一つの条件は、「人を喜ばす」ことです。微差、僅差の追求よりもこちらのほうが大きな要素だと思いますが、たえず人を喜ばせる気持ちで物事をやる、人生を送る、毎日を送るということです。これを続けて一年たてば、本当に人が変わるぐらい気づく人間に変わってしまいます。(27頁)

 微差や僅差を追求することとともに人を喜ばすということが気づくためのポイントであると述べている。前者が自分自身が探求するものであるのに対して、後者は他者目線に立っての行動であり、だからこそ後者こそが大きな要素であると著者は指摘しているのであろう。気づくためには、自分自身の目線ではなく、他者の目線に立つというパラダイムシフトが問われる、ということであろうか。

 さらに、人を喜ばすのレベルをさらに深掘りしているところが著者のすごいところである。二宮尊徳の伝記を用いている。鍬を借りに隣家を訪れた尊徳は、畑を耕して菜の種を蒔こうとしているから貸せないと言われた際に、それらを自分が替わりに行ったという。その結果として、以後は困った時は何でも借りることができるようになった、というエピソードを基に以下のように述べる。

 「ああそうですか、それじゃ、あとでまた貸してください」で終わる人が世の中には大変多いのですが、こういうふうに、一歩踏み込んで人を喜ばすことがいかに大きな力を持つかということです。クワ以外の道具を貸してもらうというのはいかにも小さなことのように見えますが、実はそうではなく、大変大きな力を持っているのです。(29頁)


 ポイントは「一歩踏み込んで人を喜ばす」という点であろう。否定的な反応を受けたとしても、さらに踏み込んで相手の目線に立って、相手にどのように貢献できるかを考える。心して読みたい箇所である。

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