言うまでもないが、歴史書の嚆矢であり、その代表的な一冊である史記。その書がどのように編み出されたのかに関する著者の仮説が興味深い。
選ぶという行為そのものが主体性に基づくわけですから、怨みに突き動かされる伍子胥の人間像を鮮明にするためには、「墓に鞭うつ」よりも「尸に鞭うつ」の方がよいと司馬遷が判断したことだけは確かです。ここに取り上げたのは小さな違いですが、こうした微細なところにこそ、司馬遷の、あるいは歴史家たちの、歴史叙述に寄せる思いが示されているのです。(72頁)
何かを選び、何かを捨てるという作業によって、歴史書は著さられるという、言われれば至極もっともな内容に、はっとさせられた。歴史はフィクションであるとすることもできるが、語り継がれる何かが生み出されると考えることもできる。そうであるからこそ、歴史書は生み出され続け、素晴らしい歴史書は時代を経てもその輝きを失わないのではないか。
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