2017年8月17日木曜日

【第741回】『高慢と偏見(上)』(ジェーン・オースティン、富田彬訳、岩波書店、1994年)

 NHKの「100分de名著」で2017年7月の作品として取り上げられている本作。同番組の第一回目の冒頭で、司会の伊集院光さんが「恋愛小説は苦手でほとんど読まない」という趣旨の発言をされていて共感を覚えた。あまり関心を持たずに番組を見ていたところ、解説を聞きながら興味を持ち始めた。私が理解する限りでは、単に恋愛自体を扱っている小説ではなく、身分や家族といった外的環境から、人間関係や信頼といった人間の内面を丹念に描写されている。

 舞台となっているハーフォードシャーは、現在では高級住宅街であり、サッカーの元イングランド代表のデビッド・ベッカム等も住んでいるそうだ。しかし、18世紀頃と思われる本作の舞台としては、のどかな地域として描かれており、穏やかで慎ましい情景描写も心地よく読める。

 「高慢は、」と考察の堅固なことを得意にしているメアリが言った、「誰にもある弱点だと思うわ。これまでわたしの読んだすべての本によって考えても、それは万人共通的のものだと思うのよ。人間の性質は、とかく高慢に傾きやすいんだわ。そして実際にせよ、想像だけにせよ、何かしら自分の特質に自己満足を感じない人は、ほとんどいないと思うわ。虚栄と高慢は、よく同じ意味につかわれる言葉だけど、まるで別なんだわ。虚栄がなくても、高慢な人もあるんだから。高慢は、自分自身をよく思うことだし、虚栄は、人によく思われたいってことなんだわ」(35頁)

 本作のタイトルにもなっている高慢について、「誰にもある弱点」となっている点が面白い。これを否定することはなかなか難しいのではないか。自分自身に満足したいという性向は決して悪いものではない。自身をよく思いたい気持ちは自己肯定感につながる。しかし、それが行き過ぎると、他者からもよく思われたいという虚栄心へと繋がってしまうのだから気をつけたいものである。

 「何よりずるいのは、」ダーシーが言った、「謙遜らしく見せかけることだ。それはしばしば意見に無頓着なこと、また時には間接に自慢することにすぎないからね」(80頁)

 この箇所にはぐさりと来た。謙虚であること、謙遜することは美徳であると、特に日本社会においては受け取られがちだ。しかし、そうした行為の背景に、間接的に何かを自慢しようとしていること、つまり虚栄心が含まれていることは多いのではないか。虚栄心を糊塗するために、謙遜や謙虚を前面に押し出そうとしていないか、自覚的になりたいと思った。

 恋をしたって、これほどみじめなめくらにはならなかったであろう。けれども、わたしのお馬鹿だったのは恋のためではなくて、虚栄心のためだったんだわ。一人に好かれて喜び、もう一人に無視されて腹をたて、そもそもおつきあいのはじめから、二人に関係したことでは、自分から先入見と無知を求めて理性をおいだしていたんだわ。今の今まで、わたしは自分というものを知らなかったのだ(328頁)

 ここでも虚栄心が描かれている。虚栄心とは、他者の目線を気にしすぎることであり、したがって自分自身を省みないことに繋がるのだろう。自分自身を知らずに行動することは、意識しているはずの他者に対して理不尽なことをする結果を招いたり、さらには自分自身をも傷つけることになってしまう。



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