2017年8月20日日曜日

【第744回】『美しい星』(三島由紀夫、新潮社、1967年)

 三島はすごいと改めて思った一冊。三島っぽくない感じなのに、それでいて文体は三島である。宇宙人を自称する家族が主人公となるストーリーが三島が取り上げる題材と懸け離れているように思いながらも、家族が起こす様々な事象があまりに地球人のそれで皮肉である。こうした皮肉を基底に据えながら、当時の日本社会を痛烈に諷刺する小気味の良いテンポに惹き込まれる。

 大喜利は三島由紀夫の「鰯売恋曳網」という新作だったが、助教授がこんな小説書きの新作物なんか見るに及ばないという意見を出したので、あとの人たちもこれに従った。(239頁)

 こういうウィットの効いた文章を書くとは意外であったが、これまで気づかずにいた三島の一面を垣間見たような気がした。

 本書のハイライトは、最終盤で主人公一家の父親が、彼を敵視する自称宇宙人との議論のシーンだと思う。厭世的で、無機質に物事を捉えているようにしか見えなかった彼が、議論の中で自身の想いに気づいていく過程に、感動させられた。

 気まぐれこそ人間が天から得た美質で、時折人間が演じる気まぐれには、たしかに天の最も甘美なものの片鱗がうかがわれる。それは整然たる宇宙法則が時折洩らす吐息のようなもの、許容された詩のようなもので、それが遠い宇宙から人間に投影されたのだ。人間どもの宗教の用語を借りれば、人間の中の唯一の天使的特質といえるだろう。(294~295頁)
 私が希望を捨てないというのは、人間の特性を信頼するからではない。人間のこういう美しい気まぐれに、信頼を寄せているからだ。あなたは人間どもは必ず釦を押すと言う。それはそうだろう。しかし釦を押す直前に、気まぐれが微笑みかけることだってある。それが人間というものだ(295~296頁)


 三島は、日本社会というものに絶望して自死を選んだと思っていた。しかし、ここに見えるのは人間愛や人間に対する慈しみの気持ちのように思える。もちろん、本作を書いてから自決するまでには数年を要するのだから、その間に人間が変わったとも思えるが、果たしてどうなのだろう。私は、こうした人間に対する情愛の深さが三島の本質なのではないかと想像してしまうのであるが。


0 件のコメント:

コメントを投稿