2017年8月26日土曜日

【第745回】『ビニール傘』(岸政彦、新潮社、2017年)

 社会学者として著名な著者の書籍を読むのはこれが初めてである。彼の本分である研究者としての著作を読む前に小説から入るのもどうかとは思ったが、気にせずに読むことにした。したがって、社会学者としての著者というフィルターを経由せず、純粋に作品自体を読むという機会に恵まれた、とも言えるだろう。

 芥川賞候補となった表題の小説は、複眼的に心情描写が為されているやや複雑な構成であり、一読してプロットを詳細に理解することは難しいかもしれない。しかし、ざっと読めばあらすじは理解しやすく、あとで点と点が結びつく新鮮な気づきがあるのが面白い。

 また、日本語がきれいなので読んでいて心地が良く、うまく言い表せないのであるが、文体が私の好みに合致しているのであろうと感じた。情景の描写が多く、内面を直接的に表現する箇所が少ないのにも関わらず、登場人物の心的風景が想像できるのであるから見事なものである。たとえば以下の箇所である。

 マンションの窓を開けると、ビルの隙間に小さく通天閣が見えていた。五階建ぐらいの小さなビルやワンルームマンションがどこまでも並び、その合間に古い木造の長屋が残っている。居酒屋、印刷屋、衣料問屋、なにかわからない小さな部品を作っている町工場、駐車場、整骨院、スナック、薬局、コンビニ、郵便局、コンビニ、駐車場、スナック。つぶれた喫茶店、つぶれた服屋、つぶれた本屋、つぶれた焼き鳥屋。都会に出て住んだ街はそんな場所だった。汚いビルやアパートや駐車場ばかりの街。それが私が住んだ大阪だった。美容院が休みの月曜日はいつも寝ていた。布団にもぐっていても、国道を通るトラックの音が絶え間なく低く聞こえてくる。それは和歌山の海の音と似ている。(50~53頁)

 具に描かれた場面から、難波から大阪港あたりまで見渡せるマンションからの風景が思い浮かぶだろう。「つぶれた○○」が意図的にまとめられて書かれるなど、和歌山の郊外から大阪という都会に出てきて、そこで必ずしも好ましい生活を送れていない人物の心情が、大阪の暗い側面に投影されているようだ。

 今回は純粋に小説として本作を読んだのであるが、著者の社会学者としての書籍も読みたいと強く思った。そのうえで、改めて本作を読んだら、どのような印象を持つかということも気になる。

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