軍師・山本勘助と信玄との会話は、斬り合いのようなスリルとともに、認め合う人間同士のあたたかな交歓のようでもあり、興味深い。勘助は諸国の偵察をする役割であり、かつ元々は今川義元の間者でもあったために駿河との行き来もあるため、甲斐で信玄と会う機会は少ない。その少ない機会の中でのやり取りは、切迫する背景とも相まって印象深いものがある。
「そうです。負けます。だからなるべくなら戦わない方がよいと思います。しかし、いよいよとなったらやはり戦わねばなりません。負け戦を覚悟して、負けた場合のことを充分念頭に入れて戦うならば、負けたことが結局勝ったことになるかもしれません。そこが天才と秀才の差でございます」(25頁)
越後の偵察のために上杉謙信に行商として近づいていた勘助が、謙信と信玄とを比較し、前者を天才、後者を秀才と見立てたシーンである。華麗な戦いで若くして天才的に勝利を収める謙信に対して、信玄は慎重に戦闘を行い、実利を確実に得るようにする。その両者の戦いが、数次の戦いを経て、四回目の川中島の会戦で結果に現れる。
川中島に現れる霧の現象を利用しようと、両雄は、間者に入念な偵察を行わせる。貴重な予報を行える人物を先に見つけながら、その人物を軍に引き込めず、反対に越後に取られてしまった勘助は、自身を攻め、決死の思いで戦いに臨む。
(おれの心の中にも信繁と同じような、安全作戦を求める心があるのだ。安全作戦こそ、信玄の軍法だった。勝てる戦でないとやらないのが武田の軍法であった。だが、戦はそれだけであってはならない。天下を望む者は、時には冒険を敢てしなければならぬ。天機を掴むべきとき掴まねば、躍進はないのだ。いまこそその天機なのだ。勝負を賭けなければ、越軍撃滅は達成できないのだ。越軍を信濃から追い出さないかぎり、甲軍が、東海道に出て、京都に向うことは絶対に不可能である)(385頁)
リスクを冒してでも機を逃さず勝負に出た信玄。それに対して勘助は、霧がいつ晴れ、越後軍が動き出すかを自力で探ろうとしてその機を見つけた直後、勘助自身が上杉の部隊に見つかり、命を落としてしまう。
勘助にとって非情な結末でありながら、その偵察行為によって博打的な勝負に勝ったのは信玄であり、勘助にとって必ずしも不幸せな結末ではなかったかのもしれない。勘助と信玄とのやりとりでここまで進んできた物語が、半ばにして勘助を失い、どのようにこの後進むのだろうか。
【第766回】『八甲田山死の彷徨』(新田次郎、新潮社、1978年)
【第814回】『孤高の人(上)』(新田次郎、新潮社、1973年)
【第816回】『孤高の人(下)』(新田次郎、新潮社、1973年)