戦いの舞台は顔儒の総本山である尼丘へと移行する。そこには顔儒に壊滅的なダメージを与える展開が予感される。尼丘へと向かう子蓉の描写は、禍々しいものを描いているかのようでもあるが、神聖なものを描いているようにも受け取れる。向かってくる顔儒を惨殺するシーンにもどこかもの悲しさが現れる。
子蓉はきちんと復讐してから、故郷を出たはずであった。しかし記憶は残っていた。子蓉をいつでも縛り付けようとするものの正体は自分の中にいる。記憶を殺さねば、まだ何も清算されないのである。子蓉に潜む底無しの残虐性、瞬時に現れる凶暴さはその記憶に由来するものであった。(206頁)
顔回とともにこのシリーズの主人公に近い存在にもなりつつある子蓉の内にある残虐性が説明される。なぜ人は残虐な行動が取れるのか。それにもかかわらず、通常の状態では「普通の人」のような人物であり得るのか。幼少期からの人格形成について考えさせられる。
【第934回】『陋巷に在り 1 儒の巻』(酒見賢一、新潮社、1996年)
【第935回】『陋巷に在り 2 呪の巻』(酒見賢一、新潮社、1997年)
【第936回】『陋巷に在り 3 媚の巻』(酒見賢一、新潮社、1998年)
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