2013年12月29日日曜日

【第235回】『ガウディ伝 「時代の意志」を読む』(田澤耕、中央公論新社、2011年)

 伝記から何を学び取るか。そこには読み手の態度とともに、書き手の態度も大きく関係するようだ。

 関係の濃淡の差こそあれ、同じ街で同じ時代に起きたことでお互いにまったく無関係なことなどない。関係がなさそうに見えても実はどこかで繋がっている事例を書いていくことによって、一度環境のなかに埋め戻したガウディの像が自ずから浮かび上がってくることもあるのではないか。スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットは「私は私と私の環境である」と言った。まさに、「ガウディはガウディとガウディの環境」なのである。(ⅱ頁)

 ある人物を描くということは、ある人物が生きた時代や背景とその人物との環境を描くことである、という視点に立って本書は書かれている。ある人物の意志というものは、ある時代における意志の一部であり、反対の側から見れば、歴史的な人物たちの意志がある時代の意志をも構成する、とも捉えられる。ガウディを描くということは、ガウディが生きた時代および当時の社会の意志を描くということなのだろう。

 こうした環境要因がガウディを生み出したと捉えられる特徴的なポイントについて、以下の四点を取り上げてみよう。

 いくつかの建築事務所でアルバイトをし、ひたすら図面を引き続けた。学業に身が入らなくても無理はない。 ただ、このアルバイト生活には、プラスの面も少なからずあった。 教室で課題として行う製図から学べることと、実際に金を出す施主がいて、その要求に従って現実の建築物に結実させるためにする製図から学べることの間には、天と地ほどの差があるのはいうまでもない。(37頁)

 実務と学術の往還関係。実務だけを行っていると抽象化の思考訓練が弱くなるが、学術だけに携わっていると顧客意識や実践的インプリケーションの抽出が弱くなる。したがって、これらを同時に、もしくは交互に行い続けることが大事なのだろう。学校で学ぶことと、アルバイト実務で学ぶこととを統合させた結果、ガウディという偉大な建築家が生み出されることになったという点は興味深い。

 ガウディのパトロンたち、「インディアノ」はこのような人種であった。バルセロナの、そしてカタルーニャの反映を支えていた彼らインディアノたちの資金は、カリブ海からやって来た。そしてその大きな部分は「もっとももうかる商品」ーー人間の売買によって生み出された。(中略) 善悪の問題ではなく、ガウディの建築を見たり論じたりするときに、その作品を可能とした資金の出所がどこであったのかということは念頭に置いておいたほうがいい。(105~106頁)

 美術作品や建築物の背後にはパトロンの存在がある。そうしたパトロンたちのどのような資金が芸術作品に投じられていたのかがここでは解説されている。著者も指摘しているように、奴隷売買というビジネスの結果として得られた資金であるから悪いということではない。あくまで、時代の意志ということを考える上では、こうした背景に意識を向けることが大事なのであろう。

 いずれにせよ自己摸倣によってムダルニズマの代表的建築家となったプッチ・イ・カダファルクが、新しい流行の前に、自分のスタイルを変更せざるを得なかったのはそのためである。 しかし、ほんの一握りの真の天才たちには、この定義はあてはまらない。彼らは、常に自己破壊と再生を繰り返すので、スタイルに縛られないからである。ガウディは生きつづけていたら、自分の流儀をひたすら継続したであろう。そして、それまで同様にそれは一時的な流行やスタイルを超越したものとなっていったであろう。 この点は、ピカソが自分のスタイルを次々に打ち破っていったこととよく似ている。きわめて稀にしか出現しないそのような超弩級の天才が二人も、同じ時期に同じ都市に暮らしていたということは奇跡としか言いようがない。その意味でも当時のバルセロナは「奇跡の都市」であった。(263頁)

 天才は自分自身のスタイルに固執せず、自らの可能性を次々に拓きながら、試行錯誤を続ける。このような意味での天才として、ガウディとともにピカソが、同じ時代の同じ場所に居た、ということは知的好奇心をかき立てる。ここでは「天才」という言葉が使われているが、私たちの日常生活やビジネスにおけるプロフェッショナルと呼ばれる存在も同様であろう。それは特別なことではなく、日常の一つひとつの工夫が私たちの殻を破るための一歩の踏み出しになるのではないか。

 建築には施主が必要であり、また、建築は人が住んだり使ったりしてはじめて完結する芸術だ、と本文中で書いた。もう一つ、建築が絵画や彫刻などほかの造形芸術と違う点は、「そこから動かせない」ということである。ガウディ展を東京で開催するとしても、サグラダ・ファミリア教会を持ってくるわけにはいかない。実物が見たければそこへ行くしかない。(中略) 現在においてそうであるように、過去においてもガウディやムダルニズマの建築物は土地の生活の一部であった。建設中や建設当初に人々の耳目を集めることはあっても、やがてそこに人が住むようになると、風景に溶け込んでしまったのである。(276頁)

 ここに、環境と建築物との相互依存関係が端的に表れていると言えるだろう。どちらかがなくなってしまったら、都市も建築物も異なったものになってしまう。モバイルミュージアムといったダイナミックな鑑賞物に意義がある一方で、こうしたスタティックな建築物にもまた、私たちの生活に欠かせない意義がある。

2013年12月28日土曜日

【第234回】『モバイルミュージアム 行動する博物館』(西野嘉章、平凡社、2012年)

 博物館という言葉から想起されるのはハコモノだ。そのハコモノにモビリティを持たせるということはどういうことなのか。本書を読む前に読者の多くが抱くであろう疑問に対して、著者は、その試みの特徴とメリットについて丹念に説明を加えている。

 「モバイル・ゲル」はいまだ実現せざるプロジェクトである。しかし、こうした思考実験は、ミュージアムとはなにかという問いに対する答えを、設備や機能といった側面から考える上で意義深い。すなわち、このプロジェクトは、展示コンテンツのコンパクト化、さらに言うならミュージアムのミニマリズムを究極まで推し進めるという、実験そのものにほかならないからである。ことばを換えると、それを欠いたならもはやミュージアムとは言えない最小限の構成要素として、なにが残るかを問うことに通じる。(30頁)

 モビリティを持たせるためには、要素を極限まで削る必要がある。要素を削り落とした上で、それをどのように配置するかというリデザインの発想が求められる。物事の本質を突き詰めて考えるという思考作業は、要素をシンプルにした上で、その組み合わせを検討する、ということを意味するのではないか。

 まずは著者のいうところのモバイルミュージアムの定義から見てみよう。

 「モバイルミュージアム」とは、固有の施設、建物、スタッフ、コレクションを常備した、ハードウェアとしてのミュージアムを指すものでなく、ミュージアム事業のあり方すなわち、小規模で、効率的な事業を積み重ねることで活動総量の増大を図るための、ソフトウェアとしての戦略的な事業運営システムのことを云わんとするものである。(44頁)

 簡潔に定義づけがなされている。さらにイメージを持つために著者の喩えを見ておくと良いだろう。

 「モバイルミュージアム」は、コンパクト化された展示ユニットを、ネットワークで結ばれた場所ないし施設のあいだで循環させるシステム工学的な設計図に、それを維持し実現するための社会経済学的な運営法を複合させる試みである。従来からある巡回展とは、企図の主旨、実践の方法が異なるということ。レゴに喩えると、こうである。百ピースの各色のレゴを用意しておいて、必要に応じて彩りを考えながら十ピース、二十ピース、三十ピースと配ってゆく。これが「モバイルミュージアム」である。それに対し、従来の巡回展は、同じ百ピースのレゴからなるものであっても、すでに組み上がっていて、もはやかたちの変えられない集塊物を配る作業と言える。ここに違いがある。(41頁)

 モバイルミュージアムと通常の巡回展との相違を端的に記している。まず、組み上がったものには組み上がったものの良さというものがあるとして巡回展そのものを否定していないことに留意が必要だ。その上で、巡回展とは異なるモバイルミュージアムの利点として、時代や社会に合った組み替え、すなわちリデザインの可能性を見出している。著者が用いているレゴのアナロジーをもとに考えればその利点はイメージしやすいだろう。

 さらに利点を深掘りしてみよう。

 機動性や自在性や汎用性を活かすことで、自然史標本や文化史資料など日頃馴染みのないコンテンツを身近なものにできる。所定の場所に標本や資料を常在させることによって、ミュージアムの本来的な使命である社会教育の機会を増大し、枠組みを拡大してみせる。それが、ミュージアムに対する外部からの有形無形の支援の増大につながるなら、さらによい。感覚的美意識や学術的好奇心に働きかけることで、日常空間を文化的な香りのする場に変容させる。あるいは、そこまで言わずとも、学術の世界とはいかなるものか、文化財とはどのようなものか、そうした関心や意識の啓発に寄与する。諸々の狙いのものに実現される「モバイルミュージアム」は、既存のミュージアム・コレクションの利用価値を顕現させ、その存在に適った展示デザインを考案し、広く一般に公開してみせることから得られる公益性を、幅広い社会層の享受できるものとするための展示事業システムなのである。(43頁)

 ここでは明確に、モバイルミュージアムの有する既存の博物館への相補性というメリットが提示されている。既存の博物館が持っている可能性を、モビリティを用いることによって、様々な主体の持つ潜在的なニーズを満たすことが増大化させるのがモバイルミュージアムなのである。したがって、それは、単なる作品の陳列ではなく、展示という場のデザインなのである。モバイルミュージアムによってニーズの裾野を広げ、啓発・教育活動を行うことによって、既存の展示物の可能性がさらに高まる。こうした循環を生み出すシステムとして捉えることがモバイルミュージアムの可能性の本質を表していると言えるのではないだろうか。

 海外での「モバイルミュージアム」事業を進めるなかでわれわれが学習したことのひとつは、展覧会は一回限りで終わらせるものでなく、回帰的に反復させてもよいのではないか。否、そうあるべきなのではないかということである。それによって展示コンテンツを、よりよいものに進化洗練させることができるなら、それに越したことはない。展覧会が場所を移動するあいだに、「成長」し、「進化」する。二〇一三年春には、進化を遂げたコンテンツが東京で再公開される。海外遍歴を重ねた展覧会が、どのような成長を遂げたのか、あらためて検証する機会を設けたいと考えている。展覧会を会場を変えながら繰り返すことの意味はここにある。(123頁)

 モビリティの持つ意義の一つは、こうした異なる地域・国・文化におけるオペレーションから得られる学習効果であろう。多様な学習を通じて、個々の要素の持つ価値を再認識し、新しい組み合わせの妙が生み出される。学びの連鎖は、価値をスパイラルアップさせるというよりも、新たな引き出しを増やすという豊かな価値の再発見に繋がるのだろう。

 既存のモノのありようを多様な現代社会のニーズ、現代人の趣味嗜好に適うようデザインし直すことで、あらたな利用価値を生み出したいと考える。古い建物を改修し、新しいミュージアムに転成させること、これは「リデザイン」である。ひとたび役立てられた展示コンテンツを、別な場所に転移させ、そこで新しい展示に組み立て直して見せることもそうである。古い学術標本を霊感源として新しいファッションやモードを生み出すこと、古くなった研究用什器を修理し、必要とされる加工を施して新しい展示ケースに衣替えさせることもまた「リデザイン」である。「リデザイン」のコンセプトは、資源やエネルギーの消費の抑制・削減という緊急課題に向かい合う現代社会が、より明快なかたちで意識化すべき方法論なのである。(174頁)

 モバイルミュージアムの要諦の一つであるリデザイン。このコンセプトは、今の時代・社会においてマッチするものである。さらに私の仕事に惹き付けて飛躍させて言えば、キャリアのモビリティをも思い起こさせる話でもある。じっくりと噛み締めながら、深く考え続けたい。


2013年12月23日月曜日

【第233回】『日本のデザイン 美意識がつくる未来』(原研哉、岩波書店、2011年)

 産業デザインに携わる方の「デザイン」という言葉の捉え方は、キャリア「デザイン」を考える上で示唆に富んだ含蓄のあるものが多い。まず、著者が「デザイン」について触れている部分について三点ほど紹介してみよう。

 かつて僕は、デザインとは「欲望のエデュケーション」である、と書いた。製品や環境は、人々の欲望という「土壌」からの「収穫物」である。よい製品や環境を生み出すにはよく肥えた土壌、すなわち高い欲望の水準を実現しなくてはならない。デザインとは、そのような欲望の根底に影響をあたえるものである。そういう考えが「欲望のエデュケーション」という言葉の背景にはあった。よく考えられたデザインに触れることによって覚醒がおこり、欲望に変化が生まれ、結果として消費のかたちや資源利用のかたち、さらには暮らしのかたちが変わっていく。そして豊饒で生きのいい欲望の土壌には、良質な「実」すなわち製品や環境が結実していくのである。(ⅱ頁)

 ここで触れられているデザインとは、世界に存在しないものを生み出して価値を提示するというものではない。潜在的に存在する美しいかたちを「地」から括り出し、「図」として浮かび上がらせて提示し、人々の欲望を刺激する。こうした一連の教育活動や啓蒙活動とでも形容できるプロセスを著者はデザインとして定義する。受けを基本としながら積極的にしかける技能という風に捉えれば、キャリアのデザインにも応用可能な考え方であろう。つまり、日常的に上司から指示されたり顧客から依頼されるタスクを受け容れながら、それに一手間の工夫を施したり、工夫できるように他者や書籍からの学びを肥やしにしておく。これが日常単位におけるジョブデザインであり、中長期で考えればキャリアデザインとなる、と考えることは飛躍ではないだろう。

 デザインとはスタイリングではない。ものの形を計画的・意識的に作る行為は確かにデザインだが、それだけではない。デザインとは生み出すだけの思想ではなく、ものを介して暮らしや環境の本質を考える生活の思想でもある。したがって、作ると同時に、気付くということのなかにもデザインの本質がある。(43~44頁)

 むろん、デザインとは人の生活とも関係する。デザインされたものを通じて、人々の生活自体や環境の本質を考えるためのきっかけになるという点に注目するべきだろう。すなわち、普段の生活において自然に溶け込んだものがデザインであると同時に、それを通じて深い思索や気づきへと至る機能もまたデザインは有するのである。

 デザインは、商品の魅力をあおり立てる競いの文脈で語られることが多いが、本来は社会の中で共有される倫理的な側面を色濃く持っている。抑制、尊厳、そして誇りといったような価値観こそデザインの本質に近い。(151頁)

 ここではデザインの持つ社会性に焦点が当てられている。個人単位の意思や欲望といったレベルではなく、社会全体で共有される倫理にも影響を与えるとしている。ただし、デザインと倫理との関係は、どちらが説明変数でもう一方が結果変数であるということではなく、相互依存関係にあると言えるのではないだろうか。何れにしても、そうした見えないかたちを見える化するところにデザイナーの希有な価値はあるのだろう。

 デザインの意味合いについて一通り見てきたところで、本書のテーマである成熟社会・日本におけるデザインの展望について、著者は何を述べているのかを見ていこう。

 空間にぽつりと余白と緊張を生み出す「生け花」も、自然と人為の境界に人の感情を呼び入れる「庭」も同様である。これらに共通する感覚の緊張は、「空白」がイメージを誘いだし、人の意識をそこに引き入れようとする力学に由来する。茶室でのロケーションは、その力が強く作用する場を訪ねて歩く経験であり、これによって、現代の僕らの感覚の基層にも通じる美の水脈、感性の根を確かめることができた。西洋のモダニズムやシンプルを理解しつつも、何かが違うと感じていた謎がここで解けたのである。(70頁)

 現代に通じる日本におけるデザインの源流は東山文化に端を発すると著者はしている。その上で、その本質を空白という無存在に置く。茶室の佇まい、そこで求められる所作、飾られている生け花、外の庭の有り様。空間を埋めるのではなく、空間の中に空白を大胆に設けること。これが日本のデザインの基底を為すと著者はしている。

 掃除をする人も、工事をする人も、料理をする人も、灯りを管理する人も、すべて丁寧に篤実に仕事をしている。あえて言葉にするなら「繊細」「丁寧」「緻密」「簡潔」。そんな価値観が根底にある。日本とはそういう国である。(中略) 普通の環境を丁寧にしつらえる意識は作業をしている当人たちの問題のみならず、その環境を共有する一般の人々の意識のレベルにも繋がっているような気がする。特別な職人の領域だけに高邁な意識を持ち込むのではなく、ありふれた日常空間の始末をきちんとすることや、それをひとつの常識として社会全体で暗黙裡に共有すること。美意識とはそのような文化のありようではないか。(中略) 「技術」とは、云い換えれば繊細、丁寧、緻密、簡潔にものづくりを遂行することであり、それは感覚資源が適切に作用した結果、獲得できた技の洗練ではないか。つまり、今日において空港の床が清潔に磨きあげられていたり、都市の夜景をなす灯りのひとつひとつが確実に光を放つことの背景にある同じ感受性が、規格大量生産においても働いていたのではないかと考えられる。高度な生産技術やハイテクノロジーを走らせる技術の、まさに先端を作る資源が美意識であるという根拠はここにある。(3~5頁)

 日本のデザインの源流が、現在においてどのように流れているのかがここに表れている。クリンリネスについては個人ごとの差異はむろんあるだろう。しかし、社会全体において、クリンリネスや静けさに価値を置き、そうした状態を心地よく感じる心象というものを<日本人>は共有している。一人ひとりがそうした価値観を持つ中で、社会としてのクリンリネスを実現しているのであり、それはなにもデザイナーや建築家といった特別なプロフェッショナルだけの手によるものではない。

 今日、僕たちは、自らの文化が世界に貢献できる点を、感覚資源からあらためて見つめ直してみてはどうだろうか。そうすることで、これから世界が必要とするはずの、つつましさや合理性をバランスよく表現できる国としての自意識をたずさえて、未来に向かうことができる。(中略) GDPは人口の多い国に譲り渡し、日本は現代生活において、さらにそのずっと先を見つめたい。アジアの東の端というクールな位置から、異文化との濃密な接触や軋轢を経た後にのみ到達できる極まった洗練をめざさなくてはならない。(6~8頁)

 日本におけるデザインの有り様を踏まえた上で、著者はここで世界におけるその可能性について言及している。まず、美意識という豊かな感覚を資源として捉えた上で、そこにおける文化の世界への発信可能性を指摘している。とかく意見の強い者同士が対立し合う国際環境において、空白に重きを置き、クールに受容しながら価値中立的な有り様で貢献する、というスタンスは面白いかもしれない。こうした態度を成熟と呼ぶのであれば、成熟社会・日本という立ち位置に可能性があるようにも思えてくる。

 最後に、やや本筋とは離れるが、以下の興味深い点について触れておきたい。

 「ともだち」とは美しい言葉であって、これが抑圧の源であるとは誰も思わない。しかしこういう流れで考えてくると、価値共有の進んだコミュニティは目には見えない排他性を持ちうる。つまり「ともだち」化は「非ともだち」へのプレッシャーにもなりうるのだ。いじめとは攻撃されるターゲットとして対象化されることではなく「非ともだち」の結果、すなわち「ともだち」化のしわ寄せなのかもしれない。自由の行き着く先には常にそういう不安定さが潜んでいるように思う。(223~224頁)

 ここにおける「ともだち」とは、3・11後のアメリカからの援助活動である「オペレーション・トモダチ」を指している。著者はアメリカのこの活動を否定しているわけではないことを予め強調しておく。単に「ともだち」という言葉に対する違和感を著者は指摘しているにすぎないのである。たしかに、ここでの「ともだち」をFacebookにおける「ともだち」と照らし合わせれば、著者の警鐘は傾聴に値するだろう。「ともだち」になれないことへのプレッシャーとはすなわち、「ともだち」コミュニティから排除されることへのプレッシャーを意味する。幼い頃から他者を気にしすぎることは、健全な個別性を育むことに悪い影響を与える可能性もあるだろう。SNSを否定するわけではないが、コミュニティとしてどのようにあるべきかという上段を意識した上で、SNSというツールを私たちは捉え直すことが必要なのかもしれない。

2013年12月22日日曜日

【第232回】『後悔しない転職 7つの法則』(石山恒貴、ダイヤモンド社、2012年)

 本書は、転職を推奨する書籍でもなければ、指南書でもない。仕事を自責、つまり自分の責任として捉まえてしっかりと取り組むことの重要性を改めて主張する書籍である。そうした態度・行為の蓄積の結果として、必要であれば転職という意思決定を下すことはあろうが、それは結果論にすぎない。日々の仕事の目的を理解しながら、一つひとつの職務に工夫を加えながら、仕事を自分のものにすること。たしかに自明なことのようにも思える。しかし、転職という外形的なキャリアに焦点が当たりがちなテーマにおいて、こうした当たり前のことが書かれていることに、意義があるのではないか。

 成功法則に当てはまる人たちは例外なく真剣に悩んでいました。(中略)真剣に悩むと、それを解消しようとするためにさまざまな行動を取ります。たくさんの行動をするほど、判断材料は増え、考えるポイントも明確になっていきますので、その点が望ましいことであるわけです。(Kindle ver. No. 434)

 転職における成功という定義は多面的であろうが、ここでは本書の文脈を忖度して「転職によって職務に対する内的満足度が向上すること」と捉えることとしよう。仕事に飽きたり、上司や同僚とのフィーリングが合わないといった外的な理由ばかりで転職をしていると、転職を繰り返すジョブ・ホッパーになりかねないと著者は警鐘を鳴らす。そうではなく、日々の仕事の中で真剣に悩むこと、転職するか否かにおいて慎重に悩むこと。こうしたプロセスを充分に経ることで、自分自身の内面と向き合い、また今の仕事においてベストを尽くそうという意識が向上する。そうした意識と行動の変容を通じて、キャリアを考える上でのポイントが増え、視野が拡がり、結果として成功する転職へと繋がる可能性が高まるのであろう。

 このように、現在の職務をやり切るという感覚を持つことは、以下の二点から自分自身のキャリアのためになると著者は指摘する。

 第一の理由は、軸を形成するには、その前にスポンジのような吸収力が必要だということです。(Kindle ver. No. 1249)

 ここでいう「軸」とは、キャリアにおいて自分自身が大事にする礎であり、方向性であり、シャインに言わせればアンカーとなるだろう。著者は、自分自身の軸を持つことがキャリアにおいて大事であり、無論、転職というキャリアチェンジにおいても求められることになると説く。では、どのように軸を形づくることができるのか。目新しくてワクワクするような解答が用意されているわけではなく、努力をし、工夫をこらし、一つひとつの職務から学び続けること。軸を形成する為には、こうした柔軟かつ愚直な日々の努力が求められるのである。

 第二の理由は、さまざまな種類の新しい課題、難しい課題に取り組み、乗り越えること自体が自信につながり、他責的な傾向を減少させていくということです。(Kindle ver. No. 1264)

 著者は自身の職務に責任感を持つという自責の重要性を強調し、職務を他人事のように扱って責任を他者に転嫁しようとする他責を問題視する。第一の理由で述べた新しい職務(What)に対して、また職務を新しい方法(How)によって、それぞれチャレンジすることが他責になる事態を防止する。意識の問題は、意識を前向きにするというようなことではなく、行動によって変えることができるのである。

 成功法則に当てはまる人々は、会社から「やりたいこと」をやるという指示が自分に出るように、事前にうまくコントロールしていたのです。(Kindle ver. No. 1481)

 自責という概念を、職務を自分自身のものとしてだけ捉えるのでは窮屈に思えるかもしれない。上司から指示されたものを粛々とこなすというイメージを想起させるからである。しかし、自責で職務を捉えることは、自分自身の創意工夫や、自身の方向性とアラインメントが取れた職務を自身に引き寄せることに繋がると著者は指摘する。つまり、自責によって成果を出すという説明変数が、自身が大事にしたい職務という結果変数を生み出すのである。さらに言えば、当初思い描いた「理想の仕事」というものは、将来時点から振り返ってみれば成長途上の自分自身が生み出した低い理想にすぎないことは多いだろう。そうではなく、自責で与えられた職務で成果を出し続けることで、自分自身の視点が上がり、理想の職務像や方向性が修正される。そうした修正能力や補正能力こそが、私たちの「やりたいこと」を柔軟に捉え、自分自身の成果が組織や企業の成果へと繋げることになるのではないだろうか。

 最後にTipsを一つだけ。

 資格を取得するのであれば、まず自分の専門性の裏づけとなる経験、スキル、能力を理解したうえで、その専門性の方向性に合った資格を取得し、知識面を強化していくことが望ましいでしょう。自分の専門性の方向性とは関係なく、やみくもに資格を取得しても、企業から見れば、無計画に勉強しているように見えるので、これは不利な要素になりかねません。(Kindle ver. No. 710)

 職務が複雑になり、求められる能力要件が複雑になればなるほど、シンプルな解決策としての資格に魅了されるという現象が生じる。とりあえずMBAに留学する、TOEICで730点を取る、簿記を受験する。資格を取得する上でのプロセスで学ぶもの、取得するという結果を得ることによる自己効力感を否定するつもりはない。しかし、取得した後に自分自身の職務経験との繋がりをどのように見出すことができるか。もっと言えば、そうしたものの方向性を事前に見極めた上で、何を行うべきかを考えるべきなのだろう。資格取得は、その選択肢の一つにすぎないのである。

2013年12月21日土曜日

【第231回】『続・悩む力』(姜尚中、集英社、2012年)

 前作『悩む力』に続き、著者は漱石を用いながら現代社会を縦横無尽に描き出す。

 漱石の作品には大きな特徴があります。それは、主な登場人物が中流以上ばかりだということです。 そういう人たちが、豊かさゆえに、あるいは教育の高さゆえにどつぼにはまる姿ーー、ほとんどそればかりを書いたといってもいいくらいです。底辺に生きる人間のたくましさだとか、プロレタリアートのがんばりだとかいったことには、漱石は少なくとも作品中ではほとんど関心を示していません。 そのように、漱石の小説に展開されているのは、当時としてはかなり上のほうの特殊な人たちの世界だったのですが、しかし一〇〇年後の現在、そのような状況は一般化、大衆化してまんべんなく社会を覆うようになりました。(27~28頁)

 漱石は、自身の作品の中で自我を扱ったと言われることが多い。彼が生きた時代において自我をテーマとして取り上げようとする場合、中流以上を扱わざるを得ないという側面があったのであろう。こうした自我が問題となる現象は、現代のマジョリティに共感を与える、というのは興味深い偶然の一致なのか、それとも漱石が現代を見越してテーマにしていたのか。

 いま世の中を見回せば、実際、このように知性があって、世の中への批評眼もあって、志もあって、なおかつ引きこもり状態になっている人というのは、案外多いのではないかと思います。これも一つ、漱石の先見性であったといえるかもしれない。(70~71頁)

 自我が嵩じてコントロールできなくなると引きこもりが増えるのであろう。そうして引きこもった方の知識レベルはむしろ平均よりも高いケースが多いというのが現代の特徴だ。知識レベルが高いからこそ、自分が失敗したりできないことに対する幻滅感が高まり、自我とのギャップから引きこもるということだろう。引きこもりとは、個人の病ではなく、社会的な病である。

 そのようにして生まれた不特定多数のバラバラの個人は、その後の社会のなかで、変動期になると急進化し、安定期になるとその多くが「私の世界」に閉じこもる傾向を見せました。こうした現象は、現代のネット社会において、より急速に増殖しつつあるといえます。 ネット社会では、形状としては、すべての個人が水平的に平等で、どこかに中心があるわけでもなく、しかも、みながどこにも固定されない形で横につながっている状態です。そしてみなが直接目標にアクセスできる形です。かつて日比谷焼打ち事件に参加した群衆の、一〇〇年後の姿といえないでしょうか。(87~88頁)

 個人がバラバラであるにも関わらず、何かが起こると顔の見えない個人どうしが一気に集約する。ネットでの炎上や、3.11後に日本人のほとんどが「自粛」モード一色になった現象を想起すれば、こうした著者の示唆には首肯せざるを得ない。こうしたバラバラでありながら集約することができる、という現象はインターネットというツールがもたらした功罪であるとも言えよう。

 では、私たちはどのように生きるのか。著者はいくつかのヒントを提示している。

 私には、むしろ苦悩や受苦に目を向け、その意味についてより深く掘り下げていくことで、はじめて新たな幸福の形が見えてくるように思えるのです。(42頁)

 何に対してもポジティヴに捉える、という考え方は一見して私たちの心身にとって良いように思える。しかし、何がポジティヴで何がネガティヴかという発想は、ともすると外的な価値判断に自分自身を委ねるという状態になりがちだ。ある事象がポジティヴであるかネガティヴであるかという判断を留保すること。何に対しても自然な態度を持ち、意味を見出そうとし続けることが私たちには求められるのではないだろうか。

 次に、意味を見出そうと掘り下げるためには私たちはどうすればいいのか。

 「まじめ」という言葉は、やがて来るであろう個人の究極の孤独の時代に、他者との「共鳴」を可能にする最後の砦として、漱石が想いを託したキーワードだったのかもしれない、と考えたりします。 ウェーバーもまた、知の合理化と専門化によって世界の意味がバラバラに解体していくなかで、学問にたずさわるものが最も心を砕かねばならないことは「知的廉直(誠実)」だと言いました。 そこには、はからずも共通点があります。いや、はからずも、ではないかもしれない。彼らは二人とも同じことを考えて、まじめたれと言ったのではないかという気もします。 まじめであるということは、自分のほかに何一つ信を置けるものがなく、何を信じてよいかわからず、絶叫したくなるようなときにも、確実に、人間にとってよすがとなるものだという気がします。(161~162頁)

 「まじめ」に取り組むという極めてシンプルな行為や態度が挙げられている。「まじめ」ということは、自分自身に閉じたもののように思えるかもしれない。しかし、著者によれば、「まじめ」という謙虚な態度の中に、知を育み、他者との共鳴を生み出すという積極的な意味合いを見出している。

 最後に、「まじめ」に生きる意味を見つけ出すためには、時間軸について留意する必要があることを著者は指摘する。

 過去の蓄積だけがその人の人生であり、これに対して未来というのはまだ何もなされていない、ゼロの状態です。あくまでも、未来はまだないものであり、無にほかなりません。はっきりとしているのは、過去は神によっても変えられないほど確実なものということです。極言すれば、「私の人生」とは、「私の過去」のことであり、「我が輩は過去である」といってもいいのです。 ですから、過去を大事にするということは、人生を大事にすることにほかならず、逆に、「可能性」だとか「夢」だとかいう言葉ばかり発して未来しか見ようとしないのは、人生に対して無責任な、あるいはただ不安を先送りしているだけの態度といえるかもしれません。 「未来」へ、「未来」へ、私たちが先のほうにばかり目を向けたくなるのは、これもまた市場経済の特性ととてもマッチしています。市場経済においては、消費の新陳代謝を加速させるために、徹底的に未来だけが問題とされるからです。そこで、市場のなかにどっぷりと浸かっている私たちのほうも、思わぬうちにそのような市場の価値観に引っ張られてしまわざるをえないのです。(186~187頁)

 将来像を描くためには、単に未来を描こうとするよりも、過去を振り返ってからの方が、より遠い未来を、より広い次元で描くことができる、という心理学の実験がある。過去を充分に振り返って、自分自身の人生を描くことこそが、自分自身の将来を見透かす上でも必要なのだろう。

2013年12月15日日曜日

【第230回】『ひとの居場所をつくる』(西村佳哲、筑摩書房、2013年)

 ふと立ち止まり、深呼吸をして、五感を解放してみる。すると、周囲の見慣れた風景の中から、普段は気付かないものが立ち上がり、いつもと異なった世界がそこに広がっていることに驚くことがある。

 著者の本は、これまでも好んで何冊も読んできた。読むたびに、忙しい日常の中で立ち止まることの大切さに気付かされる。ランドスケープ・デザイナーである田瀬理夫さんとの対談をもとにして編まれた本書もまた、ページをめくりながら、何度となく心地よい深呼吸をすることとなった。

 以下では、読みながら思わずハッとさせられたポイントについて、述べていくこととしたい。まずは、感覚を解放するという点について三点から解説を試みる。

 わたしたちが毎日くり返している、ごく他愛のないことの積み重ねが文化であり、景観をも形づくる。 その累積を可能にするのが自分の仕事だと思っているし、そのための試みを自分たちなりにつづけているんです、ときかせてくれた。(11~13頁)

 文化とは意識的に創り出せるものではない。また、要素還元的に因数分解を行い、何をもって構成されているかを論理的に記述することもできない。そうではなく、日常の、個別具体的な、行動や人の有り様の蓄積によって、文化は、嫌が応にも形づくられる。こうした環境との相互交渉を通じた自然の営為を、人がしっくりするかたちで、文化として蓄積することをデザインすること。こうした行為は、景観という観点では田瀬さんの職業であろうが、異なる観点に置き替えてみれば、仕事をする私たち一般にも当てはまるのではないだろうか。こうしたいわば美意識に近いものを持っているか否かによって、仕事を通じて生み出す価値は異なってくるように思える。

 ランドスケープ・デザインは、境界線を消すというか、解き放つというか、そんな仕事だと思う。(144頁)

 境界線を引く作業とは、理性によって分類・識別を行うことによって、自と他を分けることだ。むろん、境界線という存在自体が悪であるということではなかろうが、境界線があまりに多い状況というのは、人間的な営為とは矛盾するものだろう。田瀬さんは、あまりに多い境界線を消し、理性によって制約されすぎた世界を、感性に解き放つということを意識して活動されているのだろう。

 現代的な生活の中で耳にする音は、どれも近い。音楽も電話も耳の中まで入り込んできたし、テレビやオーディオまでの距離は数メートル。キャンプにでも行けば話は別だけれど、遠くの音に耳を澄ませる機会は、都市生活者の日常にはほぼないだろう。 こうした環境の中で、意図せず「自分」の宇宙というか領域感覚が小さくなっている者同士が集まって、これからの社会のあり方や暮らし方について話し合っても、概念的になりやすい気がするし、小さな空間の充実が散積してゆく事態に留まってしまうんじゃないか。(256~257頁)

 私たちの感覚意識が解き放たれず、あまりに狭い領域に集約している現代社会に対する著者の警鐘と捉えてよいだろう。外界をセンスする上で、近くのものしかセンスしていなければ、世界観は狭いものとなってしまう。その結果、私たちは遠くの物音を聞かないこと、遠くの景色を眺めないこと、理性で識別できない感覚をセンスしないこと、が当たり前となってしまう。これは、日々の生活の蓄積が人間にとってネガティヴに作用し、現代の悪しき文化となりかねない。

 ここまで取り上げた感覚を解放することの重要性を理解した上で、私たちの日常の生活や仕事においてどのように活かすか。著者と田瀬さんの対談から、そのためのヒントとなりそうな示唆に富んだポイントを三点紹介する。

 この場所を人間だけでなく「馬」とともに営んできたことも大きいのかも。人の思惑や事情とは無関係に生きている生き物がいて、日々待ったなしの事態を引き起こしてきたことが。同じく、年周期の中でくり返される畑や田んぼの仕事も、彼らを駆動してきた大切なエンジンなのかも。 時間をかけて土地にかかわってゆくとき、個人の事情に拘泥せずに済むリズムや軸があるのは大切なことかもしれない。(30~32頁)

 遠野で生活を送る田瀬さんならではの言葉である。動物と関わることの大切さ、という点も無論あろうが、日常的に動物と関わることは都会に住む人々にとっては難しい。そこでここでは、「日々待ったなしの事態」が引き起こされるという点に着目したい。私たちの日常の仕事の中において、突発的な業務や、理不尽な指示、際限のないルーティンワークと手戻りの繰り返し、といった「待ったなしの事態」はお馴染みの現象だ。そうした制約をネガティヴなものとして捉えるのではなく、肯定的に捉えることができるのではないか。換言すれば、○○という制約がなければという思考様式を私たちはよく取りがちであるが、果たして制約がなければすべてが解決するということはあるのだろうか。むしろ、制約が多い環境であるからこそ、私たちは意識的であろうと無意識的であろうと、私たちにとって本質的に大事なものを選べるということがある。

 生態系(自然)の力を活かしながら、糧として人が必要な収量を得てゆくには、せめぎ合うものがありますよね。でもそれは、人生のデザインそのものという気がする。(40~41頁)

 先ほどの点においては、日々の生活や仕事の中における制約というスパンであったのに対して、ここでは人生という長いスパンにおける視点で捉えられている。日々の制約の積み重ねが人の人生を形づくるものであり、かつ、それはデザインである。つまり、自分自身が主体的に環境を形成するということでは必ずしもなく、むしろ環境を受け容れ、環境とのすり合せを豊かにすることで、現在の自分自身の有り様や他者との関係性を創り上げる。人生のデザインとはこうしたことなのかもしれない。

 人生のマスタープランはないです。そういうの立てたことない。それは成り行きというか、なるようにしかならないというか。 なにも思い通りにはならないですよね。 ただ「自分はああしてみたい」「こうしたい」という、「したい」ことが、なにについて多いか?というくらいの話だと思います。思い通り、計画どおりにやっている感じではないですよ。仕事も人生も。(166~167頁)

 人生や仕事について、目標を立てて計画へと落とし込むというアプローチを取らないとしても、徒に帰納的にのみ捉える必要性もまたない。ではどのように構えると良いのか。田瀬さんは、方向性について自分自身の感覚も含めて捉まえることの意義をここで触れているように私には思える。こうした捉え方は、キャリア理論において述べられている点と近しく、大変興味深い。(『「働く居場所」の作り方』(花田光世、日本経済新聞出版社、2013年)


2013年12月14日土曜日

【第229回】『日本型人事管理』(平野光俊、中央経済社、2006年)

 修士時代、人事の機能について学術的に考察する上で、本書は私にとってのバイブルの一つであった。数百の論文や書籍を渉猟する過程で、この本に出会った時は、知的興奮をおぼえたものだ。日本におけるHRMの有り様をアメリカ型企業におけるそれとの比較によって明らかにし、その展望を示唆することが本書の目的である。彼我のマネジメントの相違は、本書が述べるように、求められる人事管理の相違に繋がる。私自身は、修士号を取得した後、日本企業での人事実務を経験し、現在は外資での人事実務を担っている。自分自身を被験者としたいわば人体実験の過程で、日々、肌感覚をもって経験している事象を改めて抽象化して深く学ぼうと思い、本書を再読することにした。

 まずは「先行研究レビュー」のレビューから始めよう。

 本書では、日本型の組織モードと、アメリカ型の組織モードとの違いを明確にするために、情報システム特性と人事管理特性という二つの軸に基づいて二つの理念型を明らかにしている。

 情報システム特性は、「集中的情報システムと分権的情報システムに分類される」こととなる(59頁)。前者(CI)は「情報管理および意思決定がセンターに集中されるシステム特性で、センターはタスク単位間の活動と取引を規定する集中的な計画策定とその実行指示に関する権限を有している」(59~60頁)。ために「ヒエラルキーに沿った垂直的コーディネーションと仕事の専門化」(60頁)が集中的情報システム特性の特徴となる。反対に、後者(DI)では「センターによって作成される計画は単に一定期間における作業活動のフレームワークを提示しているにすぎず、各タスクは計画策定後の事後的な現場情報にしたがって、アドホックに活動する権限を有している」(60頁)。したがって「責任権限の配分が曖昧であり、非ヒエラルキー的な水平的コーディネーションと伸縮的な職務の仕分け」(60頁)がその特徴となる。

 他方の人事管理特性とは、「組織の個々のメンバーが仕事のコーディネーション様式と一貫した技能形成、情報処理、そして意思決定を行うように動機づけるインセンティブ・システムやトレーニング方法(キャリア開発)の選択様式、および人事管理の主体が人事部であるかラインであるかの相違」(60頁)を示すものである。こちらについても、情報システム特性と同様に、センターに集中化するか(CP)、各セクションに分権化するか(DP)、という集中化と分権化という軸でプロットされる。

 両者を掛け合わせると、日本型はDIかつCPという象限にプロットされる。つまり、タスクを通じた情報は現場で柔軟に運用されることで知恵も現場に蓄積されるが、それがシステムを通じた標準化によって本社スタッフが集約することはあまりない。一方で、人事情報については本社スタッフが細かなものも含めて現場の社員の情報を集約し、本社主導での人事異動や採用が行われる。

 アメリカ型は日本型の逆だ。システムにより現場におけるタスク情報を標準化して集約化する(CI)一方で、ライン主導の採用とラインに閉じたプロフェッショナル・キャリアを積ませる人事特性(DP)がその特徴である。

 こうした既存の日本型企業とアメリカ型企業とを先行研究レビューによって同定した上で、現在の両者の企業がどのような動きをしているかについて、著者は調査・分析を行う。その考察において、特筆すべき理論的示唆について見ていこう。

 ある日本の化学メーカーにおける調査の結果として、情報システム特性がDIからCIへ、人事管理特性がCPからDPへと接近している様を観察したと結論づけている。大事な点はこうした動きのプロセスである。つまり、「まず情報システム特性の変化が先行し、それに適合させる形で人事管理特性が追随することが確認された」(199頁)というのである。実務的なインプリケーションへの翻訳を試みれば、現場における情報がITを用いて集約・標準化する傾向が強まり、現場における知識を全社において共有する動きが生じる。それに付随する形で、人事情報に関する本社サイドのコントローラビリティがやや低下し、ラインにおける人事情報が閉じる傾向が出始める。つまり、ラインにおける採用権限の強化、人材の抱え込みが生じる頻度が増える、ということである。

 こうした状況に対して人事の対応はどうあるべきか。著者は以下の三点がポイントとなることを結論として述べている。

 第一に、職能資格制度から役割等級制度への移行である。日本型の職能資格制度からアメリカ型の職務等級制度へとドラスティックに変わることもあろうが、その副作用への対応として日本企業は役割等級制度を生み出した。つまり、「事前に決められた職務等級の基準に基づく職務評価の厳密な運用でなく、当該社員の能力に応じた職務範囲の伸縮に柔軟に対応する」(206頁)ために役割等級制度が適用されているのである。

 しかし、「役割等級制度であってもランクや職務割当の決定権をラインに委譲するように作用するので、ラインと本社人事部の人事情報の偏在は大きくなる」(232頁)。したがって、人事情報の偏在を減少するべく、本社人事部が人事情報を集約(CP)しようとする力学が働くことになる。それが第二、第三のポイントである。

 第二のポイントはコア人材の人事部個別管理強化である。いわゆるサクセッション・プランが該当し、次世代の経営者候補となるコア人材を養成するという目的のもとに、本社人事部が人事情報を個別に管理する。集約する人事情報をもとに、部門を超えた異動をも本社人事部が主体的に動かすことになる。こうすることで、現場の文脈における粘着度の高い人事情報を本社人事部が集約するのである。

 第三はキャリア自律支援である。具体的には、キャリアアドバイザーやキャリアカウンセラーの導入であり、キャリアを考えてもらうワークショップの開催が該当する。第二のポイントが職務におけるパフォーマンスといった人事情報に特化するのに対して、キャリア自律支援では各人のソフト面の情報を吸い上げる機能を持つと言えるだろう。

2013年12月8日日曜日

【第228回】『マネジャーの実像』(H・ミンツバーグ、日経BP社、2011年)【2回目】

 本書はマネジメントに携わる役割、とりわけ中間管理職に焦点を当てたものである。先ず著者は、中間管理職を取り巻くリーダーシップとマネジメントという近しい概念について以下のように述べる。

 マネジャーとリーダーを区別するのではなく、マネジャーはリーダーでもあり、リーダーはマネジャーでもあるべきなのだと、理解する必要がある。(13頁)

 マネジメントとリーダーシップ、マネジャーとリーダーとを厳密に分けようとするのは神学論争にすぎない。両者の定義を考える上では、ドラッカーを引用しても良いだろうし、コッターを引用しても良いだろう。しかし、管理職として求められるのは両者を兼ね備えることであり、両者を識別することではない。

 優れた管理職はリーダーでありマネジャーでもある、という視点に立った上で、リーダーシップをややもすると重要視しすぎる現状について以下のように警鐘を鳴らす。

 実際には、いま私たちが憂慮すべきなのは、マイクロマネジャーではなく、おおざっぱにリーダーシップを振るいすぎる「マクロリーダー」だ。組織の上層部の人間が現場を知らずに「大きなビジョン」だけを振りかざし、いわば遠隔操作でマネジメントをおこなおうとする風潮がある。一般に、マネジメントの過剰とリーダーシップの不足を問題視する論者が多いが、私に言わせれば、問題はリーダーシップの過剰とマネジメントの不足である。(12頁)

 マイクロ・マネジメントという言葉が否定的に使われ易い現状に対する痛烈な批判と言えるだろう。現場を知らずにリーダーシップばかりを振りかざすことは、現場のためにならない。私たちは改めてマネジメントの重要性、ひいては現場の情報を吸い上げる中間管理職の機能に注目する必要があるのだろう。

 中間管理職の多くはプレイングマネジャーであり、とにかく時間が逼迫しているケースが多いのが現在の彼(女)らの悲哀である。そうした状況の中でうまく対処している優れたマネジャーは何を行っているのであろうか。

 マネジャーは状況をコントロールするために、新しい義務をつくり出したり、既存の義務をうまく利用したりしている。 うまくいくマネジャーとそうでないマネジャーの最も際立った違いは、おそらくここにある。成功するマネジャーは、誰よりも大きな自由を手にしている人物ではなく、手持ちの自由を最大限活用できる人物のようだ。(51頁)

 個人の趣味のようなチームビジョンを提示したり、飲みニケーションを試みることが良いマネジャーではない。忙しい現場を混乱させることを招きかねないばかりか、それ以上に忙しいマネジャー本人にとっても苦痛だろう。組織にとって必要な業務を通じて、求められる役割の中で有効活用することがマネジャーには求められるようである。現実を踏まえた極めて合理的かつ分かり易い実務的なインプリケーションと言えるだろう。

 このように考えれば、仕事の多様性、働く社員の多様性が高まる現在の企業においては、効率的にマネジャーが動くためには上下の問題だけではないことが分かるだろう。

 マネジメントとは、組織階層のタテの関係だけでなく、対等な人物同士のヨコの関係に関わるものである。(45頁)

 マネジャーは部下との関係性、上司との関係性だけを考えれば良いものではない。企画を通すためには、斜め上の上司や他部署のマネジャーへの調整が必要不可欠だ。したがって、上司や部下との関係性だけではなく、他部署のマネジャーとの良好な関係性を耕し、認められていることが求められる。むろん、他部署のマネジャーとの関係性が優れていないマネジャーが、自身の上司や部下との関係性だけは優れている、ということはあまりないのであろうが。

 ではマネジメントはどのように開発されるのか。

 マネジメントは実践の行為であり、主として経験を通じて習得される。したがって、具体的な文脈と切り離すことができない。(14頁) かなりの量のクラフトに、ある程度のアート、それにいくらかのサイエンスが組み合わさった仕事ーーそれは実践の行為と呼ぶのが最もふさわしいだろう。(16頁)

 マネジメントを開発するためには、研修(サイエンス)だけでは足りず、個々人の創造性(アート)を加えても足りない。経験(クラフト)が揃ってはじめて実践の行為としてのマネジメントが開発されることになる。机上の空論ではなく、実務における実践こそが重要であると同時に、科学的な知見に基づいた研修や、幅広い教養に根ざしたアートも寄与することを忘れてはいけない。

 では、マネジメントに求められるスキルやマインドセットをどのようなプロセスで開発すれば良いのか。著者は振り返りの重要性を述べている。

 振り返り(省察)とは、「検討、調査、分析、総合、結合を通じて、『(ある経験が)自分にとってどういう意味をもつのかじっくり慎重に考える』こと」である(中略)。「リフレクト(振り返る)という英単語の語源は、「折り曲げる」という意味のラテン語だ。この点からもわかるように、まず内面に着目し、その次に外面に目を向けることを通じて、見慣れたものごとを別の角度から見る活動が「振り返り」である(中略)優れたマネジャーは自分の頭でものを考えるのである。(324頁)

 reflectの語源から紐解いている点が興味深い。柔軟に、かつ多様な側面から自分自身のマネジメント行動を見つめ直すこと。そこから見出したものを自分の頭で、いわば客観的に分析すること。その上で、自分自身のこれからのマネジメント行動の改善に活かすようにすること。これらを含めた総体がマネジメントに求められる振り返りなのだろう。

 優れたマネジャーは、振り返りのための時間を取りづらい環境のなかで、振り返りをおこなう方法を見いだしている。(326頁)

 「忙しいから振り返る時間がない」というマネジャーから予想される反論について、予め釘を刺している。振り返りの時間を設ける上での工夫はいくらでもある。北海道大学の松尾教授も指摘しているように、業務を行いながら行う振り返りや、他者を利用した振り返りといった点が参考になるだろう。(『「経験学習」入門』(松尾睦、ダイヤモンド社、2011年)

 最後に、はじめてマネジャーになる際に心がけたい点について。

 新人マネジャーたちは、「指示するのではなく、説得することを通じて人々を導く術を学び」[Hill 2003:100]「なにをもって成功とみなすかの基準を改め、それまでと異なる方法で仕事から満足感を得ることを学ぶ必要があった。要するに、まったく新しい職業上の人格を形成しなくてはならなかった」[Hill 2003:x]。具体的には、どうすればいいのか。「マネジャーになったばかりの人は、過酷な自己開発のプロセスに放り込まれたのだと自覚」して、「仕事の経験を通じて学習する」ことを目指すべきだ(223頁)

 プレイヤーとマネジャーでは全く異なる役割が求められることになる。したがって、プレイヤーとしての力量を一旦脇において、マネジャーとしての業務経験を謙虚に積み上げていくしかないのだろう。こうしたマインドセットであれば、マネジャーになった当初からパフォーマンスを高くしなければならないといったように自分自身を追い込むことは避けられそうだ。

2013年12月7日土曜日

【第227回】『<育てる経営>の戦略』(高橋伸夫、講談社、2005年)

 著者は冒頭で、本書の前に出版されビジネス書の枠を超えたベストセラーとなった『虚妄の成果主義』について、自ら以下のように要約している。

 ある程度の歴史を持った(つまり、生き延びてきた)日本企業のシステムの本質は、給料で報いるシステムではなく、次の仕事の内容で報いるシステムだった。仕事の内容がそのまま動機づけにつながって機能してきたのであり、それは内発的動機づけの理論からすると最も自然なモデルでもあった。他方、日本企業の賃金制度は、動機づけのためというよりは、生活費を保障する観点から平均賃金カーブが設計されてきた。この両輪が日本企業の成長を支えてきたのである。それは年功序列ではなく、年功ベースで差のつくシステムだった。(7頁)

 著者の拠って立つ論拠は、突き詰めて言えばデシに尽きる。デシを嚆矢とした内発的動機づけの理論を論拠に置いて、「日本型」年功制こそが日本企業においては機能することを一貫して主張している。

 では著者の述べる「日本型」年功制の特徴とは何か。以下の二点に絞られる。

 第一に主観的評価である。いわゆる成果主義型人事においては、仕事に対して給与で報いようとするが故に、給与を正当化するための客観的評価が必要となると著者はしている。こうした客観的評価とは、上司や人事が責任逃れをするための方便に過ぎないと以下のように強弁する。

 評価することは、それ自体に責任が伴うものなのだ。こんなことは当たり前のことではないか。本来評価というものは、おおげさにいえば、上司が己の全存在をかけておこなうべきものなのであって、ダメならダメ、よいならよいとはっきり判断して、自分が責任をもって伝えるべきなのだ。最後の最後は主観的なのである。上司の判断そのものなのだ。(23頁)

 ある面では正鵠を射た主張であろう。つまり、部下のポテンシャリティを信じるという性善説に立てば、という留保がつくことにはなるのではないだろうか。たとえば、PIP(Performance Improvement Program)をはじめとしたネガティヴサイドをケアする人事の施策を行わざるをえない状況も現実にはままある。そうした場合には、労働法の判例法理に鑑みると、主観的な評価だけではいささか心もとない。著者は引用箇所の後に抜擢人事の例を挙げているが、そうしたポジティヴな人事の運用であればこそ成り立つロジックとも言えるだろう。

 原点に立ち戻って、一体、何のために評価をしてきたのか、何のために評価をすべきなのかを考え直してほしい。同じ金と時間をかけるのであれば、評価よりも、人材の育成にこそ金と時間をかけるべきなのだ。(64頁)

 先ほどの主観的評価に関する論点に加えて、このような補足が為されれば首肯できる。評価の客観性を過度に求める人事制度の運用では、評価の作業に時間が掛かりすぎる。評価の時期には会議室が満室になり、挙げ句の果てには、そのせいで評価のスケジュールが遅延するという笑えない話もよく聞かれる。これでは本末転倒であろう。

 評価に時間をかけるのではなく人材の育成にリソースを割く、という著者の論旨は明快だ。これが第二の点、次の仕事によって人を育てるという点に繋がる。

 金ではなく次の仕事を求めているのである。そうやって与えられる新しい仕事、次の仕事を通して、人は仕事の面白さに目覚め、成長していく。金では人は育たない。次の仕事を与えられることで、はじめて人は育つのだ。(92頁)

 デシのソマパズルを想起してほしい。金銭が直接的な報酬になることによって、人は、仕事そのものに本来感じる魅力の度合いを減衰させてしまう。したがって、金銭によって直接的に人の成果に報いるということは時に逆効果である。そうではなく、一つの仕事の成果が、次のより大きな仕事へのチャレンジに繋がること、さらにはチャレンジを通じて成長感を得ることによって人は育ち続けるのである。

 これは「年功序列」ではない。あくまでも「日本型年功制」と呼ぶべきものなのである。日本型年功制では、仕事の成果は短期的・直接的には金銭的な報酬に連動しない。「次の仕事内容」が報酬なのである。(77頁)

 ために、著者のこだわる「日本型年功制」はぬるま湯を許容する「年功序列」ではないという点を私たちは充分に意識するべきであろう。

2013年12月1日日曜日

【第226回】『人事と法の対話』(守島基博・大内伸哉、有斐閣、2013年)

 人事管理論(HRM)の学者と労働法の学者とが、それぞれの立場から企業における人事に関するテーマについて語るという興味深い対談書である。事業会社で働く人事担当者としては、自分たちが取り組むテーマについて俯瞰しながら、問題を問題として捉まえられるようになる刺激的な一冊である。

 以下では、とりわけ興味深く感じた三点について考察を加えていく。

 第一に、賃金について。

 大内 法律の世界では、労働基準法では「賃金は労働の対償だ」という捉え方で、労働に対する報いとされています。その対償性をどういう基準で判断するかについては不明確なところが残っていますが、いずれにせよ労働に対する対償という捉え方が法律家の賃金論です。一方、人事管理論では、もっといろいろな機能というか、インセンティブの機能も与えている。(69頁)

 人事管理論と労働法という二つの側面から見た賃金観の違いがこれほどまでにくっきりと表れているのが面白い。労働法の考え方は、働く個人に寄り添ったものであるということが分かる。なぜなら、労働の対償としての賃金という考え方には、働く個人が投資した時間や労力に対する償いという概念が内包されているからである。それに対して、人事管理論では企業が主体である。つまり、企業が求める行動を社員に取らせるために、その誘因として、またそうした優秀な人材をリテインするための一環として、賃金を位置づけているのである。ここには、主体の違いに伴う、賃金の捉え方の違いが表れている。人事としては、経営の視点と働く個人の視点とから、両者の均衡をどこに置くかが課題となることは自明であろう。

 第二に、判例法理について。

 大内 いまのお話を敷衍すると、労働法のルールは、法律と判例で構成されていますが、その中の判例は実際に訴訟が起きているところでの紛争を解決するための規範なのです。そうすると大企業とか、組合のあるところが多いわけです。(中略) 判例法理というのは、おそらく大企業限定型というか、大企業によりピッタリするものなのかもしれません。しかし、これが判例という形で法的ルールになると、結局一般化してすべての企業や従業員に適用されてしまうので、どうしてもずれが出てくるのです。(212頁)

 日本における法制度の基本的な考え方は英米法であり、したがって判例主義を取る。こうした法学の教科書的な解釈から鑑みれば、労働法の分野における判例法理のあやうさが、上記の指摘に端的に表れている。指摘されてみれば当たり前のように思えてしまうが、裁判例にまで至るようなケースというのは、企業側が資金的にも期間的にも裁判に耐えられる大企業であることが多い。したがって、判例は大企業のものをもとにして積み上げられることになる。しかし、大企業でのケースを中心とした判例が蓄積されて法理になると、それは大企業だけではなく、日本で事業を展開するあらゆる企業において適用されることになる。ここに、多くの企業における現実と判例との乖離現象が生じる。判例主義を取る以上は宿命的なこの齟齬に対して、どのように対応するのか。人事としては、現実を捉えながらプロアクティヴにきめこまかな対応を心がける、ということしかできないのではないだろうか。

 第三に、定年制について。

 守島 ほんとうは五〇歳だと遅いと思います。というのは、一つのスキル、能力を蓄積して他のところへ移るにしても、独立してものになるレベルまでいくには、やはり、一〇年ぐらいはかかるのだと思うのです。そうすると、五〇歳で始めて一〇年経つと六〇歳ですから、かなり高年齢になってしまいます。例えば四〇歳とか、三五歳ぐらいで一旦のポイントを置いて、そこでもう一回ということはあり得るとは思いますが、五〇歳は少し遅いような気がします。 大内 そうすると、やはり四〇歳定年みたいな話になってくるのですね。第二のキャリアを考えるということだと、四〇歳が限界ということですね。(227~228頁)

 昨年の国家戦略会議での議論で東大の柳川准教授の四〇歳定年制を彷彿とさせる考え方である。多様な生き方や働き方を前提とした場合、ユング派の言葉を使えば「人生の正午」と呼ばれるこうした時期に従業員に自分自身の選択を求めることもあり得るだろう。終身雇用を所与のものとしてきた旧来の日本の大企業に勤務する方には受け容れがたい部分もあろうが、個人的には合理的であると考える。ただし、こうした考え方を受け容れられない多数派に対して、企業として事前にメッセージを与えることは必要不可欠であろう。定年制とキャリアとは車の両輪であり、定年制を変えるのであれば、キャリアの取り組みをも充実させることは人事の対応として外せないのではなかろうか。


2013年11月30日土曜日

【第225回】Number842「W杯出場32カ国を格付する。」(文藝春秋、2013年)

 W杯優勝国の予想に関する本誌のモウリーニョへのインタビュー記事を読み、愕然としてしまった。

 私はスペインは優勝できないと考えている。 最大の理由は、ワールドカップにおける連覇の難しさだ。スペインは2008年ユーロ、2010年ワールドカップ、2012年ユーロと、主要な国際大会で6年間も勝ち続けている。当然、対戦国はスペインに対して分析や研究を行ない、十分な対策をとってくる。サッカーにおいて難しいのは勝つことよりも、勝ち続けることなんだ。(27頁)

 スペインは連覇ができないと断言しているが、彼の論旨には矛盾がある。彼は対戦国が分析や研究をして対策を講じるために主要大会の連覇は難しいとする。しかし、ここでも述べているように、スペインは、現にユーロを連覇しているのだ。対策を講じられようと勝ち続けているのである。W杯を連覇できないという彼の発言には論理矛盾があることは明らかだろう。

 断っておくが、私はモウリーニョのファンである。しかし、それ以上にスペインサッカーへの愛情が強い。自分の願望を否定しようとする方のあら探しはここまでにして、目前に迫ったW杯ブラジル大会を特集した本号から、三つほど興味深い記事を取り上げたい。

 まずは、遠藤保仁選手へのインタビュー記事から。

 今、大事なことは結果がどうあれ自分たちのサッカーを変えずに最後までやり抜く事でしょ。チームが強くなるには、そうして貫いた中でできたこと、良かったことを地道に積み重ねていくしかない。(20頁)

 勝ち試合の後にこうした発言をするのは優等生発言と捉えられ、負け試合の後に述べれば言い訳のように捉えられがちだ。しかし彼は、8月にウルグアイに負けた後も、9月のガーナに勝った後も、そして世界ランク5位のベルギーに勝った11月においても同じ趣旨の発言を繰り返したそうだ。ぶれずに自分自身およびチームのサッカーを信じ続けること。これは仕事でも大事にしたい考え方であり、分野を問わず、プロフェッショナルの言葉には気付かされるものが多い。

 次に、本田圭佑選手の記事を見てみよう。

 勝ったときというのは、良かった点に目を向けるのではなく、悪かったところに意識を向けないと。もう僕は頭の中で分析して、試合が終わってからある程度の整理がついている。(中略)僕だけじゃなくて、全員がそこを意識しないといけない。(23~24頁)

 前半はマインドセットに関して参考になる。「勝って兜の緒を締める」ではないが、勝った時は気分が良いために、他人のフィードバックを素直に聴き、厳しい点に目を向けて改善を行う気持ちの余裕があるものだ。後半では、こうしたことを自分一人ではなく、何を是として何を非とするかをチームとして共有し、同じ理想を描くことの重要性を指摘している。己に打ち勝つ強い個が前提としてありながら、チームとしての成熟度を高める姿勢。今大会の日本代表のサッカーに興味がわいてきた。

 最後に、スペインの強さの分析に関する心地よい記事を扱うこととする。

 どの国も真似できない華麗なパスサッカーで欧州と世界の頂点を極めたチームは、ベースとなる選手や戦術には手をつけず、活きのいい“新人”を加入させて進化を続けている。(52頁)

 戦略やゴールイメージを共有させながら、新しいタレントを少しずつ引き入れて、チームに浸透させる。他国を寄せ付けず、美しくエレガントに勝つサッカーにまた魅了されるブラジル大会が今から待ち遠しい。



2013年11月24日日曜日

【第224回】『変革型ミドルの探求』(金井壽宏、白桃書房、1991年)

 名古屋に引っ越してから、自宅の近所にある図書館を利用することが増えた。本書も図書館で借りて読んだのであるが、数頁にわたって書き込みがあった。重要な点に線を引いたりキイワードが抜き書きされていたりするのではなく、文末の口調を書き変えるだけのものである。私にも似た経験がある(むろん、書き込みをしたことはない)のだが、学生がレポートやプレゼンテーションをするために書物を調べて、適したテクストとして本書を借りたのだろう。自分が書きたいテーマや主張に近いものを参考にしようとしながら、いざレポートを書き始めると愕然とする。著者が言いたいこと以上のことが思いつかないのである。どう考えても、自分の内奥からなにかを取り出そうとしても何もアウトプットできない部分について、著者の文章を拝借する。こうしたことが背景にあっての鉛筆書きだったのではないだろうか。

 コピー&ペーストのみでレポートを書く行為の横行は学生教育にとって由々しき事態であるが、適切な良書を自分で選び、適切な引用をすることは奨励されるべきだ。そのためにも、研究のあり方や方法、とりわけ先行研究について学生時代には学んでおきたいものだ。いわば、学び方の学び方というメタな学習経験の獲得である。私自身、学部時代には研究については理解していなかったために修士時代に苦労をしたのであるが、高等教育機関において研究活動を経験しないことは実にもったいない。研究活動は、その後の社会人生活においても、物事を考えてアウトプットをする上で極めて有用な示唆を与えるものだからである。

 いささか前書きが長くなった。本書のような研究書を読むと、自身の研究活動を思い返して自省的なモードに入るようだ。

 本書の研究は、ミドル・マネジャーに焦点を当てて、管理者行動について明らかにしようとするものである。分析枠組みは、タスクの特性と管理者行動との関係性によって、業績、職務満足、有能感、成長感、有意義感、職場活性化のタイプ、といった成果変数へと繋がるというものである。

 分析の結果として明らかとなった発見事実はどれも興味深いものである。中でも実務において示唆に富んだものについて以下から四点ほど見ていくこととしたい。

 【発見事実2】 育成の次元が、タスク不確実性との結びつきで他のどの次元よりも強い。不確実性が高くなると、部下を信じて思い切って任せざるをえない。(337頁)

 不確実性が高い状態とは、日々の業務がルーティン的ではなく、求められるタスクの目標や職務行動の変更が激しい状態である。ビジネスを取り巻く環境変化が激しく、職場において働く社員の多様性も拡大する現代の企業においては、不確実性が高い職場が圧倒的であろう。そうした状況化においては、マネジャーが現場を取り仕切って、行うべき行動を事細かに説明し、逐次モニタリングする、という行動は不可能だ。部下にデレゲーションすること。さらには部下を信じた上でデレゲーションを行うことが求められるのである。

 【発見事実9】 事前に予測されていなかったが、信頼蓄積の次元とタスク不確実性との間で業績に対する交互作用効果がみられた。モデリング促進も、それより弱いが交互作用効果があった。高タスク不確実性のもとでより望まれる行動は、信頼蓄積とモデリング促進である。不確実な状況では、リーダーとしてのクレディビリティや管理者のもつノウハウ、自部門や他部門のスター人物からの観察学習が可能となる。(340頁)

 不確実性が高い流動的な職場環境において、信頼の蓄積が業績に影響を与えている事実に着目するべきだろう。【発見事実2】との関係で言えば、部下への積極的なデレゲーションが機能するためにはリーダーへの信頼が蓄積されていることが土台となる。信頼されていないリーダーからの指示であれば、それがいかに組織やメンバー自身の発達にとってためになるものであっても、機能しない。ただし、メンバーの目線に立てば、自身の上司に依存することは必ずしも必要ないことをもこの発見事実は示唆している。部門の枠を超えてロールモデルとなる他者からの観察学習によって自分自身を高めれば良いのである。

 【発見事実12】(一部のみ抜粋) 戦略的課題の提示および革新的試行の次元とタスク依存性との間に(業績に対する)交互作用効果がみられた(342頁)

 本研究の眼目は、決められた業務を決められた手順で行うことをマネジするという旧来のマネジャー像ではなく、新しい変革型のマネジャー像を明らかにした点にある。こうした文脈から捉えれば、本発見事実は至極当たり前の帰結とも言える。すなわち、組織として求められる戦略のカスケーディングを担うミドル・マネジャーは、不確実性の高い職場において日々のトライアルアンドエラー、すなわち革新的試行が求められる。こうして新しい働き方を試みることによって、他チームや他部門とを巻き込みながら仕事を進めることが求められるようになると、部署やステイクホルダーを巻き込んだタスク依存性は高まらざるをえない。【発見事実9】を踏まえれば、タスク依存性が高い状況下においては、上司部下間だけではなく、依存関係にある各メンバーとの信頼蓄積がキーとなるだろう。

 【発見事実16】 育成の次元の効果も信頼蓄積に左右される。つまり、日常的に信頼を蓄積していないと、思い切って部下に任せて育成しようとしても、部下はあまり燃えない。(345頁)

 上司の視点に立てば育成と呼ばれる事象は、メンバーの視点に立てば成長/発達と呼ぶことができる。自身の成長/発達が本人の為にならないことはない。しかし、そのためにはチャレンジがセットで必要となることが多い。そうしたチャレンジングな職務は、通常、直属の上長から任されるものだ。その際に、上司への信頼が蓄積されていないと、上司としてはチャレンジングなデレゲーションと認識されていても、部下からはそのように捉えられない。【発見事実2】から不確実性の高い現代の職場においてリーダーはメンバーに大胆なデレゲーションが求められるが、信頼蓄積が足りない場合にはそれは「丸投げ」にしか見えない。現代における職場の機能不全の病床はこの辺りにあるのではないだろうか。

 こうした発見事実をもとにして、著者は以下のようにポイントを簡潔にまとめている。

 これらの仮説検証のプロセスを通じて判明した最も顕著な発見事実は、管理者行動の効果を左右するモデレータ要因として、タスク不確実性よりもタスク依存性がはるかに重要だということである。ミドルという立場の本質的属性は、タスクを遂行するのに部下だけでなく、上司や他部門にも依存せざるをえないことである。タスク不確実性(タスクを遂行するのに十分な情報をもっていないこと)は、管理者や経営者のおかれた状況を特徴づける。しかし、それはミドル・マネジャーにだけ固有の挑戦課題ではない。依存性対処こそミドルに固有のタスク・コンティンジェンシー要因であることが、本章でわかった。(347頁)

 発見事実をもとにしながら、著者は、旧来のマネジメント像を<表マネジメント>と呼んだ上で、対比的に<裏マネジメント>の重要性を指摘する。詳細は表11−1(360頁)を参照いただきたいが、時代が変われば求められるマネジメントのスタイルも変わる。<表マネジメント>が廃れるわけではないが、マネジャーとしては<裏マネジメント>を意識し重視する必要性が増していることは厳然たる事実であろう。おそらく、最も悲劇的な事象の一つは、マネジャー本人は<裏マネジメント>を意識しているつもりが、部下からは<表マネジメント>にすぎないと映っているケースであろう。

2013年11月23日土曜日

【第223回】John C. Maxwell, “The 21 indispensable qualities of a leader”

This book seems to me a casual essay, but brings us some important implications in our business and private life. In this book, there are especially two impressive chapters for me.

Firstly, I’m going to write about chapter 2, “Charisma : the first impression can seal the deal”. 

Most of us regard charisma as an innate talent which can’t be attained in our lives. But, the author doesn’t have such attitude to it.

Charisma, plainly stated, is the ability to draw people to you. And like other character traits, it can be developed. (No. 191by Kindle ver.)

According to him we can obtain charismatic character even after our birth. Then, how to do it?

If you appreciate others, encourage them, and help them reach their potential, they will love you for it. (No. 206 by Kindle ver.)

It is important for us not to be concentrated on ourself, but to make attention for other people carefully and to believe their potential strongly. Such warm and continuing attitude to others will cause charismatic relationship between them and you. So, charisma is not a trait which some person has, but a relationship between some person and you.

Secondly, let’s talk about chapter 8, “Focus : the sharper it is, the sharper you are”.

As most of us understand, it is important for us not to allocate our resources into every factors equally, but to prioritize intentionally. Cited from the author’s comments, there are three strategies about how to allocate our resources.

1) Focus 70 Percent on Strengths (No. 698 by Kindle ver.)

We sometimes tend to be focused on our weak points, because we’re  always given negative feedbacks when we mistake something caused by weakness. Whenever we’re given them, we have to be faced on our weakness. But, cited with the comment by Peter Drucker, the author suggests that we should focus on our strengths. In order to accomplish something, we have to focus on our strengths, just because it will be reasonable and effectively to use them.

2) Focus 25 Percent on New Things (No. 698 by Kindle ver.)

Though it is important to focus on our strengths, they will be changed in order for us to adjust to our environments and to meet expectations from surrounding people. As the author says, “Growth equals change. If you want to get better, you have to keep changing and improving.” (No. 698 by Kindle ver.)

3) Focus 5 Percent on Areas of Weakness (No. 713 by Kindle ver.)

We ONLY allocate 5 percent on our weakness. The most important strategy to care about our weaknesses is to minimize the negative impact brought by them. Then, if we can delegate our tasks which are related to our own weak points, we should optimize our resource as one team.


2013年11月17日日曜日

【第222回】Number841「東北楽天、9年目の結実。」(文藝春秋、2013年)

 昨年、一昨年のエントリーでも書いたが、Numberの日本シリーズ特集号は毎年欠かさずに買い求めている。日本シリーズの覇者は、2011年のソフトバンク(Number792「ホークス 最強の証明。」(文藝春秋社、2011年))、2012年の巨人(Number816「日本最強のベストナイン」(講談社、2012年))と続いて、今年は楽天だ。

 まずは、楽天のエース田中将大投手の言葉から。

 「最後までマウンドに立ってやろうという気持ちはありました。投げミスが多く、こういう大事なところで出てしまったのは、自分の力のなさです。今シーズン、もっときつい時があったし、コンディションはいつもと変わらなかった。最後は球場がどうやったら盛り上がるか考えました。三振をとれたのはよかった。明日は自分のできることをやりたい」(21頁)

 シーズン中に24勝0敗という金字塔を立てた彼が、ポストシーズンとは言えども唯一負けた試合の後に残したコメントである。記録が途絶えたことに対する悔しさではなく、客観的に試合を振り返ることのできる冷静さ。これこそが田中投手の類い稀な才能の一つなのではないだろうか。さらには、160球の熱投の後にも関わらず、翌日の第七戦を見据えた発言をしている点にも脱帽だ。

 次に、敗軍の将となった巨人の原辰徳監督の言葉について述べたい。彼は『真の強い組織とは』という題目で今夏のAKB48のドームツアーに文章を寄せたそうだ。その中で、「集団を支える個の技術」「リーダーの非情さ」「”孤独”の解消」の三つのその条件として挙げたとされている(34頁)。

 リーダーシップというような包括的な概念を用いずに、敢えてリーダーの「非情さ」に限定しているところが面白い。選手起用の権限のある監督としての自分自身に試合の勝敗の責任を負わせるような厳しさが垣間見える。本誌での論考では、原監督が非情になりきれなかったことが敗因の一つとして提示されているが、果たしてどうか。一手に勝敗の責任を負おうとする彼は「真の強い組織」にふさわしいリーダーの一人だろう。

 最後に、日本シリーズとは関係はないが、ジョゼ・モウリーニョの言葉を取り上げたい。

 「毎試合前、ホテルの部屋で2分かけて読んでいる。聖書をランダムに開いて、目に留まった章をたどる。そこには救いや希望がある。私はそれで少しだけ前向きになることができる。それは心に平穏を与えてくれるメッセージのようなものなんだ。」(95頁)

 インタビュアーの「聖書は読みますか?」という質問への回答である。大言壮語をして選手を奮い立たせ、自身へプレッシャーをかけ続ける彼が、試合に臨む前に聖書を読んでいるという事実はいささか意外だ。しかし、自分を厳しく律する姿勢を持ちながら、同時に何かに自分を委ねる一瞬を持つこと。これが強いリーダーシップを発揮する上での礎の一つになっているのかもしれない。

2013年11月16日土曜日

【第221回】『戦争と平和(四)』(トルストイ、工藤精一郎訳、新潮社、1972年)

 まず、アンドレイ公爵とピエールとの対比をもとに検討を試みる。

 『そうだ、あれは死だった。おれは死んだーーとたんに目をさました。そうだ、死はーー目ざめなのだ』と、ふいに彼の心の中にひらめいた、そしてこれまで知りえぬものをかくしていた帷が、彼の心の目の前に開かれた。彼はそれまで縛られていた身内の力が解放されたような気がして、それ以来彼を去らなかったあのふしぎな軽さを感じた。 彼が冷たい汗をかいて目をさまし、ソファの上でわずかに身体を動かすと、ナターシャがそばによって、どうなさったの、とたずねた。彼はそれに答えなかった、そして彼女の言葉がわからずに、ふしぎそうな目で彼女をみた。(121頁)

 死の直前に最愛の存在を前にして、絶対的な孤立をアンドレイ公爵は感じる。その孤絶感こそが、目ざめであり、目ざめることとは彼にとって死を意味することであった。これと対照的な著述がピエールの感覚の描写に表れている。

 結婚生活七年後にピエールは、自分は悪い人間ではないという、うれしい、確固たる自覚をえた、そしてそう自覚したのは妻の中に映し出されている自分を見ていたからだった。自分の中には、彼はすべてのよいものと悪いものがまじりあい、たがいに影を落し合っているのを感じていた。しかし妻に映っている彼の映像は、真によいものばかりだった。いくらかよくないところのあるものはことごとくはねのけられていた。そしてこの映像は論理的な思考の方法からではなく、別なーーふしぎな、直接的な方法から生れたのだった。(501~502頁)

 同じ愛する存在を前にしている状況においても、アンドレイ公爵が孤独から目ざめを意識したのに対して、ピエールは妻という存在から自分を意識する。アンドレイ公爵が戦争で負った大けがによって死ぬのに対して、ピエールは妻と子どもたちと平和に生きている。生と死、孤立と連帯、戦争と平和。アンドレイ公爵とピエールとを対比させながら、この大作は完結を迎えるのである。

 次に、戦争について。

 当時フランス軍が占めていたその輝かしい状態を保持するためには、思うに、特別の天才など必要としないはずである。そのために必要なことは、軍に略奪を許さず、モスクワで全軍に支給するだけ手に入れられたはずの冬の衣類を用意し、モスクワにあった全軍を半年以上養うことのできる食糧(これはフランスの歴史家たちの指摘するところである)を確実に掌握するという、きわめて簡単で容易なことを実行することであった。ところが歴史家たちの認めるところによれば、この天才の中の天才で、軍を支配する力をもっていたナポレオンが、これを何もおこなわなかったのである。(155頁)

 なぜフランス軍はロシア軍に負けたのか。戦争の天才ナポレオンはなぜ負けたのか。演繹的にゴールから落とし込んで戦術を打っていくわけではない。一つひとつの積み重ねこそが戦争なのである。そしてそれは、一つの失敗が次々に連鎖していくものでもある。

 規則による決闘を要求した剣士は、フランス軍であり、剣を捨てて、棍棒を振上げた相手は、ロシア軍である。フェンシングの規定の中ですべてを説明しようとする人々が、ーーこの事件を書いた歴史家たちである。(221~222頁)

 フランス軍の打った手が合理的でなかったということではない。喩えれば、サッカーをまっとうに行おうとするフランス軍に対して、ロシア軍は敢然と手を使ってボールをゴールに押し込んだのである。公然としたルール違反が許されたのは、領土の問題もあろう。すなわち、ロシア軍は「自分たちの国土」というナショナリズムを喚起されるものであり、是が非でも守らなければならないものであった。そうした感情が、冷静にルールを守る姿勢を遠ざけたのであろう。

 戦争のいわゆる規則からのもっとも明白で有利な逸脱の一つは、かたまりあっている人々に対する、ばらばらな人々の行動である。この種の行動は、戦争が国民的な性格をおびた場合に常にあらわれるものである。このような行動は、集団と集団の対決という形のかわりに、分散して、小人数で襲撃し、大きな力を向けられると、すぐに逃げ、機会をねらって、また襲撃するという方法である。スペインでゲリラがとったのがこの行動であり、コーカサスの山岳民がおこなったのがこれであり、一八一二年にロシア人がおこなったのがこれであった。 この種の戦いはパルチザン戦法と称され、こう名づけることによって、その意味は説明されていると思われてきた。ところがこの種の戦いは、どのような規則にもあてはまらないばかりか、神聖なものと認められている一定の戦術上の法則にまっこうから対立するのである。法則は、攻撃する者は、戦闘の瞬間に敵よりも強力であるために、その兵力を結集しなければならぬ、と語っている。 パルチザン戦法は(常に成功であることは、歴史が示しているところだが)この規則にまっこうから対立している。(223~224頁)

 相対的に劣位にある国民国家はパルチザン戦法をとることが往々にしてある。それは自然の発露であるとも言える。ベトナム戦争でも有効であり、テロリズムもこの戦法の応用と考えることはできるだろう。戦争とはなにか。守るべきものはなにか。戦争という一つのテーマをもとに、様々なことを考えさせられる。

 最後に、歴史について。

 機関車の運動を説明しうる唯一の概念は、目に見える運動に見合う力の概念である。 諸民族の運動を説明しうる方法となる唯一の概念は、諸民族のすべての運動に見合う力の概念である。 ところが、さまざまな歴史家たちが、じつにさまざまな、目に見える運動にぜんぜん見合わない力を、この概念の意味と見ている。ある者はそこに、英雄に本来そなわっている力を見ている、ーーこれは百姓が機関車の中に悪魔を見るようなものである。ある者はーーいくつかの力から派生する力を見る、ーーこれは車輪の回転のようなものである。またある者はーー知的影響を見る、ーーこれは風に流される煙のようなものである。 それがシーザーやアレクサンドルにせよ、ルターやヴォルテールにせよ、個々の人物の歴史ばかりが書かれて、すべての人々、一人の例外もなく、事件に参加したすべての人々の歴史が書かれないあいだは、ーー他の人々をして一つの目的を目ざす活動に向けさせる力を、個々の人物に帰さぬわけにはいかない。そして歴史家たちが知っているただ一つのこのような概念が権力なのである。 この概念こそ、現在の叙述法に際して、歴史の在留を自由にこなすことのできる唯一のペンなのである。(570頁)

 私たちはとかく特定の「歴史的」人物が「歴史」を創っていると捉えがちである。藤原道長が貴族政治の礎を築き、源頼朝が武家政治を確立し、坂本龍馬が近代社会を創った、と教わることが多い。しかし、著者はある時代に生きている一人ひとりの営為の連なりが歴史を作るという歴史観をここで提示している。『戦争と平和』においても、ナポレオンを特別視せず、また冬将軍とも呼ばれるロシア軍によるフランス軍撃退をも一つひとつの部隊や個人の営為の為せる業であるとするのである。


2013年11月10日日曜日

【第220回】『戦争と平和(三)』(トルストイ、工藤精一郎訳、新潮社、1972年)

 トルストイの長編も後半戦に入った。幼い頃に読んだはずなのに、残念ながら私の記憶は全く呼び起こされない。

 アンドレイ公爵は連隊を指揮していたので、連隊の規律や、兵たちの状態や、命令の受理伝達などに心を奪われていた。スモーレンスクの炎上と放棄はアンドレイ公爵にとって画期的な事件だった。敵に対する憎悪の新たな感情は彼に自分の悲しみを忘れさせた。彼は自分の連隊の運命にすっかり心をうちこみ、部下の将兵たちの安否と、彼らに愛情を注ぐことに心を砕いていた。(225頁)

 悲しさを乗り越えるためには、情熱を注げる他の対象を見つけ、そこへのコミットメントを持つことが必要だ。アンドレイ公爵の場合、それは敵への憎悪の感情であり、敵と対峙する味方への愛情の感情であった。憎悪と愛情を生み出す戦争という存在は、それが必要とされる理由が、国家単位だけではなく、個人の単位にもあるのだろう。そうであるからこそ、戦争は美しく描かれ、魅了されることになってしまうのである。

 明日の戦闘が彼のこれまで参加したすべての戦闘の中でもっとも恐ろしいものになるはずであることが、彼にはわかっていた、そして生れてはじめて、自分は死ぬかもしれぬという考えが、現世とは何のかかわりもなく、それが他の人々にどのような影響をあたえるかなどという考慮はいっさいなく、ただ自分自身に、自分の魂にかかわるものとして、まざまざと、ほとんどまちがいのないものとして、飾らぬ恐ろしい姿で、彼の脳裏にあらわれた。そしてこの心象の高みから見れば、これまで彼を苦しめ、彼の心を塗りつぶしていたものがすべて、ふいに冷たい白い光におおわれて、陰影も、遠近も、輪郭もないものになってしまった。(382頁)

 死を間近に意識することではじめて至れる認識。死生観は生命観に通ずるのだろう。こうした死生観によって、自分自身を苦しめてきた主体が自分自身が生み出したものであり、それを達観することができるのかもしれない。

 『でも、いまとなってはもう同じことではないか』とふっと彼は思った。『だが、あの世には何があるのだろう、そしてこの世には何があったか?どうしておれはこの生活と別れるのが惜しかったのか?この生活には、おれのわからなかったものが、いまもわかっていないものが、何かあった』(476頁)

 戦場で負った怪我によって死に瀕する中でアンドレイ公爵が至った心理状態。達観してもなお自分自身の生を諦められない自分自身に気付き、その存在が何なのか、彼は自問する。

 『あわれみ、兄弟たちや愛する者たちに対する愛、われわれを憎む者に対する愛、敵に対する愛ーーそうだ、これは地上に神が説いた愛だ。妹のマリヤに教えられたが、理解できなかったあの愛だ。これがわからなかったから、おれは生命が惜しかったのだ。これこそ、おれが生きていられたら、まだおれの中に残されていたはずなのだが、いまはもうおそい。おれにはそれがわかっている!』(481頁)

 自問自答を何度となく繰り返した結果、アンドレイ公爵はキリスト教の隣人愛に辿り着く。「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」(レビ記、19章、18節)


2013年11月9日土曜日

【第219回】『戦争と平和(二)』(トルストイ、工藤精一郎訳、新潮社、1972年)

 前回に引き続き『戦争と平和』。内面描写が印象的な一冊であった。

 ところで、おれがドーロホフを撃ったのは、自分が侮辱されたと思ったからだ。ルイ十六世が処刑されたのは、犯罪者と考えられたからだが、一年後に、彼を処刑した連中も殺された。これも何かの理由があったからだ。何が悪いのか?何がよいのか?何を愛し、何を憎まねばならぬのか?何のために生きるのか、そしておれはそもそも何なのか?生とは何か、死とは何か?全体をあやつっているのはどんな力なのか?』と彼は自分に問いかけた。しかしこれらの問題のどのひとつに対する解答もなかった。ひとつだけ非論理的な答えはあったが、それもぜんぜんこれらの問題に対するものではなかった。それは、『死ねばーーすべてが終りだ。死ねばすべてがわかるかーーあるいは問いかけることをやめるだろうさ』ということだった。だが、死ぬのも恐ろしかった。(130頁)

 莫大な資産を得たピエールは、その資産目当てで結婚した妻から受けた裏切り行為に苛まれる。苦しむ中で、善と悪、生きる目的、考える意味について自問自答する。デカルトの述べるようなコギト的世界観に至りながらも、考える主体たる自分自身を否定することもできないという人間の弱さを白状する。生きる意味を真剣に考える、思春期に私たちの多くが経験するであろう内面の苦しみが、鮮やかに描写される。

 一人きりになっても、ピエールはまだ苦笑をつづけていた。彼は二度ほど肩をすくめて、はずそうとするように、手を目かくしのところへもっていったが、思い直しておろした。目かくしをされていた五分ばかりのあいだが、彼には一時間ほどにも思われた。手がむくんで、膝ががくがくした。疲れが出たような気がした。彼はひどく複雑な、さまざまな感情に責められていた。これから起ることが、恐ろしくもあったが、なんとか恐怖心を見せたくないという思いのほうが、それよりも不安だった。何が起るのか、どんなことが彼のまえに展開されるのか、知りたい好奇心もあった。しかし何よりもうれしかったのは、ヨセフ・アレクセーエヴィチとの出会い以来たえず空想してきた、あの更生の道へ、善徳と活動の生活の道へ、ついに踏み出す瞬間が来たのだという思いだった。(148~149頁)

 宗教的経験とはこうしたものなのかもしれない。苦しい状況の中で宗教に光を見出す心情は私には分からないが、そうした状況下でピエールのような判断を下すということもあり得るのだろう。しかし、ピエールがその後も悶え、苦しむという事後の展開にもまた、現実世界に対する著者の描写が表れている。

 長い別れののちに会うと、いつもそういうものだが、話は長いこと落着かなかった。彼らは自分でも簡単には語りつくせないと承知しているようなさまざまなことを、短くたずねたり、答えたりしていた。そのうちにようやく、話は徐々にさっきまでは断片的に語られたにすぎなかった過去の生活や、未来の計画や、ピエールの旅行や、その取組んでいる仕事や、戦争などといった線に落着きはじめた。(204~205頁)

 ピエールとアンドレイ公爵とが、久しぶりに会った際の情景である。古くからの友人や懇意にしている知人と長い期間を経て会うとよく起こる収まりの悪さ・居心地の悪さを見事に描き出している。近しい間柄であればあるほど、自分の文脈を相手が分かってくれている、もしくは分かっていてほしいと思う。そうであればこそ、こうした落ち着きのなさが当初は起こるものなのだろう。

 「何が正しく、何が正しくないかなどということはーー人間の決められることじゃないさ。人間てやつはつねに迷ってきたし、これからだって迷いつづけるのさ、しかも正しいとか正しくないとか決めようとするときほど、ひどい迷いにおちこむものさ」(208頁) 「しかし、人それぞれの生き方があるさ。きみは自分のために生きて、そのために危うく自分の生活を滅ぼしかけたと言い、今度他人のために生きるようになって、はじめて幸福を知ったと言う。ところがぼくが経験したのは、まるで反対のことだ。ぼくは名誉のために生きてきた(だが、そもそも名誉とは何だ?これもまた他人に対する愛ではないか、他人のために何かしてやろう、そして他人の賞讃をえようという願望ではないか)。このようにぼくは他人のために生きてきた、そしてほとんどどころか、完全に、自分の生活を滅ぼしてしまったのさ。そして、自分一人のために生活するようになってからだよ、やっとすこしずつ落着きをとりもどしてきたのは」(210頁)

 先述した居心地の悪さには、お互いの見えない経験の相違による内面のすれ違いも表れている。何をもって正しいものと見做すのか。この命題に対するピエールとアンドレイ公爵との違いを明確にすることで、著者は読者に対して問いかけている。

 彼が泣きたい気持になった最大の理由は、ふいにまざまざと彼に意識された恐ろしい矛盾、彼の内部にあったある限りなく大きな漠然としたものと、彼自身がそうであり、彼女さえもそうである、あるせまい肉体的なものとのあいだにある矛盾であった。彼女がうたっているあいだ、この矛盾が彼を悩ましもし、喜ばせもしたのだった。(402頁)

 アンドレイ公爵が深い沈鬱から解放された瞬間の心理的描写である。沈鬱からの解放は、単純な喜びではなく、悩みというマイナスの感情をも伴うと著者はしている。単純にポジティヴにもなれないし、また単純にネガティヴな感情だけが私たちの心を占めるということもないものだ。

2013年11月4日月曜日

【第218回】『戦争と平和(一)』(トルストイ、工藤精一郎訳、新潮社、1972年)

 小説というものは、全体のストーリーに焦点を当てることもさることながら、断片において自分が感じ入ったものに焦点を当てることも趣き深いものである。全体の文脈と離れたところにおいて、なにか自分に引っかかる部分がある。こうした細かな部分の中に、自身の内奥にある全体像を把握する何かがあるのではないだろうか。

 どんなに美しい、純粋な友人関係にも、車輪がまわるためには油が必要なように、追従か賞賛が必要なものである。(69頁)

 本作品の中心を為す人物のうちの二人であると思われる、アンドレイとピエールとのやり取りをもとに、著者は友人関係という繊細な事象を扱っている。友人関係、とりわけ親しい友人関係というものは、自然の為すわざであるとともに、それぞれの努力の為せるわざでもある。農作物にとって土壌が大事であることと同じように、豊かな自然の営為と共に、人間が絶え間なくケアすることが必要なのであろう。

 アンドレイ公爵は、戦局の全般の動きに主たる関心をおいている、司令部に数すくない士官の一人だった。マックを見て、その敗北の詳報を知ると、彼はこの戦争の半分が失敗に帰したことをさとった、そしてロシア軍のおかれた状況のあらゆるむずかしさを理解し、ロシア軍を待ち受けているものと、その中で彼が果さなければならぬ役割を、まざまざと思い描いた。(中略)一週間後には、おそらく、ロシア軍とフランス軍の遭遇を自分の目で目撃し、自分もその戦闘に参加することになろうと思うと(中略)、彼は思わず胸のおどるような喜びをおぼえた。しかし彼はロシア軍のあらゆる勇敢さに優るかもしれぬボナパルトの天才に恐れを感じていた、だがそれと同時に自分の好きなこの英雄の屈辱を許すこともできなかった。(290頁)

 広い視野を持つが故に、近い将来を見通すことができ、そこでの厳しい局面をイメージできてしまう。これが幸福なことなのか、不幸せなことなのかは難しい。さらに、敵将ナポレオンの政治的理念や戦略的天才性への共感と尊敬を抱きながら、軍人として闘うことへの躍動感とを彼は併せ持つ。どちらが本当の自分ということではなく、アンビバレントな中で選択を下し続けることが生きることであるということを著者は伝えようとしているのであろうか。

 ピエールは、自分が晩餐会の中心になっていることを感じていた、そしてこの状態は彼にはうれしくもあったし、窮屈でもあった。彼は何かの仕事に深く打込んでいる人間のような状態にあった。彼は何もはっきりは見えなかったし、わからなかったし、聞えなかった。ときおり、ふいに、彼の心の中に断片的な考えや現実からの印象がひらめくだけだった。(487~488頁)

 莫大な遺産を受け継ぐことになったピエールは、自身が誰と結婚するかということで注目を浴びる。自分自身が注目を受け、話題の中心になることが好きであるのに、そうした現状と自身が結婚することに対して冷めた目で眺めることもしている。アンドレイの状況と同様にピエールの状況においても、人間の単純性ではなく、アンビバレントな中でいかに生きるか、という著者のテーマ設定が提示されているようだ。


2013年11月3日日曜日

【第217回】Edgar H. Schein, “Humble Inquiry”

What is ‘Humble Inquiry’? What is the difference between usual hearing and  ‘Humble Inquiry’. Dr. Schein defines it as below.

Humble Inquiry is the fine art of drawing someone out, of asking questions  to which you do not already know the answer, of building a relationship based on curiosity and interest in the other person. (No.93)

According to him, having attitude of Humble Inquiry is very important in any situations including business and private life, because work and life become more and more complex today. Doing Humble Inquiry brings us many advantages in these situation.

Ultimately the purpose of Humble Inquiry is to build relationships that lead to trust which, in turn, leads to better communication and collaboration. (No.337)

It is important for us to use Humble Inquiry to build good relationship and  trustfulness. Then, good relationship and trustfulness bring us better communication and collaboration.

These cases also illustrate that Humble Inquiry is not a checklist to follow or a set of prewritten questions -- it is behavior that comes out of respect, genuine curiosity, and the desire to improve the quality of the conversation by stimulating greater openness and the sharing of task-relevant information. (No.548)

Humble Inquiry is not a checklist but a behavior which comes from their own mind. When we do something based on some checklist, we tend to be just focused on actions without any consideration and reflection. It’s not the attitude of Humble Inquiry. If we are based on it, we take care of other person’s mind and ourselves.

The skills of Asking in general and Humble Inquiry in particular will be needed in three broad domains: 1) in your personal life, to enable you to deal with increasing cultural diversity in all aspects of work and social life; 2) in organizations, to identify needs for collaboration among interdependent work units and to facilitate such collaboration; and 3) in your role as leader or manager, to create the relationships and the climate that will promote the open communication needed for safe and effective task performance. (No. 1253)

In order to develop our attitude of Humble Inquiry, these lists above seem to be useful. These are not checklist to be focused on outer actions, but  guideline to be focused on inner feeling and mind.

2013年11月2日土曜日

【第216回】『孔子伝』(白川静、中央公論新社、1991年)

 本書は、三年半ほど前にある恩師から頂戴したものであり、通読するのはその際に読んで以来である。それまでは孔子や儒教というものとは縁のない生活を送り、歴史の一つであるとしか考えていなかった。しかし、変化が激しく、不安定な社会、という孔子が活躍した春秋時代の特徴は現代にもそのまま該当する。歴史や古典を学ぶということは翻って現代を眺める上でも有益である。遠回りのように思える過程から見える景色は格別だ。

 まず、孔子その人についての著者の論評を見てみよう。

 自己の理想像に対する否定態としての、堕落した姿を、孔子は陽虎のうちに認めていたのではないか。孔子はつねに周公を夢みることによって、理想態への希求を捨てなかった。それが孔子の救いであった。はじめての亡命以来、二十二年の間、孔子は一つの声と、一つの影の中でくらした。それは何れも、孔子自身が作り出したものである。 人は誰でもみな、そういう声を聞き、影をみながら生きる。それが何であるかを、はっきり自覚する人は少ない。その意味で、孔子やソクラテスのような人は、稀な人格であった。偉大な人格であった。そしてもしそのことに注意しなければ、この偉大な人格の生涯を貫くリズムを、把握することは困難であろう。(62頁)

 自分自身がなにを是としてなにを非とするかを自覚すること。次に、それぞれを具現化するイメージをはっきりと持つこと。肯定することと否定することとを比較すると、否定する力の方が時に強くなりがちだ。他国を否定することで、自国民としてのアイデンティティーを持とうとするナショナリズムという現象を想起すれば分かり易いだろう。こうした中で、いかに肯定する力を持つかが大事になる。孔子にとっては、善政としての誉れが高かった周公をイメージしながら理想態を希求できたことが、彼の考えを練り上げていくうえで大きかったのであろう。

 体制が、人間の可能性を抑圧する力としてはたらくとき、人はその体制を超えようとする。そこに変革を求める。思想は、何らかの意味で変革を意図するところに生まれるものであるから、変革者は必ず思想家でなくてはならない。またその行為者でなくてはならない。(119頁)

 理想態を希求するということはすなわち、現在の否定態との対立をも厭わないということである。変革を起すためには、その礎となる考え方を提示することが大事である。それとともに、単に頭で考えるだけではなく、それを伝道すること、さらには伝道するために日々の生活の中で実践し続けること。こうした地道な一つひとつの活動が大きな変革へと繋がるのである。

 次に、新しいものを創造する際の伝統の重要性について取りあげる。

 哲人は、新しい思想の宣布者ではない。むしろ伝統のもつ意味を追及し、発見し、そこから今このようにあることの根拠を問う。探求者であり、求道者であることをその本質とする。(13頁)

 いたずらに、新しいこと、革新的なこと、創造的なことばかりを求める人がいる。そうしたものが肯定的なものを生み出すことがあるのも事実であろうが、変えること、刷新すること、そのこと自体が目的になり、現実を見ていないことも多い。孔子のような、思想を生み出した人物が、伝統的な価値観や現実を見据えた上で、探求を行ったという著者の考察にいま一度留意してみたい。

 ではそもそも伝統とは何なのだろうか。

 人々の生きかたのあらゆる領域にはたらきながら、そのはたらきを通じて精神的定型ともいうべきものを形成し、発展させてゆくものが伝統であるとすれば、それはきわめて多元的・包摂的でありながら、しかも体系をもつものであることが要求される。その条件をみたしうるものが、伝統でありうるのである。そしてそれをはじめてなしとげたのが、孔子であった。(67~68頁)

 多元的・包摂的であると同時に体系を持つ、という多元性と一元性という一見すると相矛盾するものを成立させているものが伝統であると著者はしている。南北に空間的に広がる一方で、元号という時間的な統一体を用いているという現代の日本という国を考えれば、ここでの伝統についてイメージを持てるだろう。ともすると正しい歴史や一つの歴史観という体系ばかりに目が向きがちになるが、伝統が保有する多様性/ダイバーシティにも私たちは目を向けるべきだろう。伝統から学ぶということは、こうした相反する二つの態度を併せ持つことによって為されるのではないだろうか。

 儒はもと巫祝を意味する語であった。かれらは古い呪的な儀礼や、喪葬などのことに従う下層の人たちであった。孔子はおそらくその階層に生まれた人であろう。しかし無類の好学の人であった孔子は、そのような儀礼の本来の意味を求めて、古典を学んだ。(109~110頁)

 過去から学ぶという行為は、現在行われている事象に関して、その過去からの変遷を学ぶことである。孔子が行ったように、自身を取り巻く環境についてその本来的な意味を探求することが自然であり効果的なのであろう。隣の芝生は青く見えるものだが、私たちが学ぶべき教材は存外身の回りにあるものだ。

 伝統をもとに新しいものを創造するには一つの核となる考え方が必要であろう。儒の考え方の骨格を為すのは仁であると著者はする。第三の点として仁について見ていく。

 孔子が、従来その意味に用いられたことのない仁の字を、最高の徳の名としたのは、「仁は人なり」ともいわれるように、同音の関係によって、いわば全人間的なありかたを表現するにふさわしい語と考えたからであろう。そしてこれによって、伝統的なものと価値的なものとの、全体的な統一を成就しようとしたのであろう。(中略)仁は単に情緒的なものではない。「あはれ」というような感情でなく、きびしい実践によって獲得されるものである。しかもその実践は、行為の規範としての礼の伝統によるものでなければならない。(113頁)

 伝統を用いて、厳しい実践の繰り返しによって、新しい価値観としての儒として成り立たせること。論語の中にある温故知新を地でいくような考え方である。伝統をいかに現実に活かすかという取り組みは厳しいものである。その過程ではうまくいかないことの方が多いに違いない。しかし清濁を合わせ飲んだ結果として、現実的でかつ革新的な考え方が生まれるものなのだろう。

 儒教は、中国における古代的な意識形態のすべてを含んで、その上に成立した。伝統は過去のすべてを包み、しかも新しい歴史の可能性を生み出す場であるから、それはいわば多の統一の上になり立つ。(中略)そしてその統一の場として、仁を見出したのである。(中略)伝統は運動をもつものでなければならない。運動は、原点への回帰を通じて、その歴史的可能性を確かめる。その回帰と創造の限りない運動の上に、伝統は生きてゆくのである。儒教はそののち二千数百年にわたって、この国の伝統を形成した。(115~116頁)

 仁によって統一された儒の考え方の中には、本質的な多様な過去の伝統が包含されている。ために、伝統の内側に運動の萌芽が含まれることになる。静と動とが同居することも伝統の一つの特徴であり、ゆたかな可能性の源となるのであろう。

 第四に批判に対する孔子の向き合い方について。

 批判とは、自他を含む全体のうちにあって、自己を区別することである。それは従って、他を媒介としながら、つねにみずからの批判の根拠を問うことであり、みずからを批判し形成する行為に他ならない。思想はそのようにして形成される。(175頁)

 批判を行うことで自説の存在価値を明らかにする。そのためには、批判の対象物は世間に真っ当なものとして認知されている方が望ましい。したがって、孔子の儒教は批判の対象として晒されることが多かった。批判がなされ、その批判に対して再批判がなされる。こうした運動によって考え方が深まる。儒教は思想の媒介的な役割をも担ってきたし、現在でも担っている。

 それぞれの思想の根源にある究極のものを理解することは、それと同一化することとなるのではないか。それゆえに批判は、一般に、他者を媒介としながらみずからをあらわすということに終る。それは歴史的認識を目的とするいまの研究者にとってもいいうることである。(182頁)

 批判をすることにって、自分自身のかたちを明らかにする。他者との境界を打ち出すことによって、自分自身の輪郭を明らかにする。換言すれば、批判するという行為によって、批判者の力量や懐の深さが自ずと外に表れる。著者がわざわざ「いまの研究者」にも当てはまるということを付言している意味について私たちは考えるべきだろう。

 相似たものほど、最もきびしく区別されなければならない。そのために、その対立点は極端にまで強調される傾向がある。(179頁)

 すべての批判行為が許されるわけではないだろう。とりわけ、不必要なまでに対立点を強調するときには、いったん立ち止まって自分自身のあり方を考えるべきかもしれない。

2013年10月27日日曜日

【第215回】『はじめての課長の教科書』(酒井穣、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2008年)

 25歳の時に、ある日本の大手IT企業で係長向けのマネジメントのテキストを上梓したことがある。全係長を対象としたマネジメント研修の事前の読み物として配布され、それに基づいた研修がデザインされるという位置づけのものであった。先方の担当者の要求水準は高く、三万字ほど書いていたもののうち、度重なる加筆・修正を経て、結果的に半分程度に削られた。とはいえ、文字数が少なくなるということは、論旨がシンプルになり、中身が凝縮されるということでもあり、納得のいく中身になったと自負していた。

 その一年半後、ややもすると夜郎自大になりかけていた私の目を覚まさせてくれたのが本書である。新婚旅行のためにモルディブへと向かう機中で読んだところ、目から何枚も鱗が落ちるような想いであった。課長や課長になる前の層を読者として想定し、徹底的に課長の視点に立った上で、課長の役割について未体験の者に腑に落とさせながら理解させている。通読するのは今回が三回目であるが、個別具体的なビジネスの文脈から適度な距離を保ちつつ、徹底的に課長の立場に寄り添って書かれたビジネス書は今でも他にないだろう。

 改めてとりわけ感銘を受けた、課長の役割、求められるスキル、取り巻く環境、という三点について述べていきたい。

 第一に、課長の役割について。ともすると、中間管理職である課長の役割は、経営と現場とを両極にする二元論の中の情報の結節点としてのみ描かれる。こうした考え方では、経営が情報の起点になるか、現場が情報の起点になるかという違いはあれども、中間管理職には情報をなるべく希釈化させずに上下に通すことだけが求められる。しかし著者は、野中郁次郎のMiddle Up-Downの考え方を援用しながら、現場と経営を介在しながら自らが第三極として戦略の起点となる存在として課長の役割を位置づけ直す。こうした経営者・現場・課長という三元論としての情報システムは「できる課長」がいることで初めて成り立つものであり、経営者にとっても現場にとってもありがたい存在であろう。

 第二に、課長に求められるスキルについて見ていこう。著者が主張するコーチングによる方向付けの重要性は、現在のビジネス環境において必要不可欠であることは最新の学術的研究でも明らかだ(労働政策研究・研修機構「特集 人材育成とキャリア開発」『日本労働研究雑誌』Oct. 2013 No. 639)。その中でも、具体的に「上司の「沈黙」は、部下への期待値の低さを伝えてしまう」(73頁)という著者の主張は慧眼である。課長が自分自身で思う以上に、部下は課長の「沈黙」に敏感である。「沈黙」があまりに多いと、課長からどんなに創意工夫を求められたとしても、課長の思う正解を探して受身な姿勢になってしまいかねない。オーバー・アクションも考えものであるが、「沈黙」のようにノー・リアクションの与える部下へのダメージについて、課長は留意することが大事であろう。

 第三に、課長を取り巻く非合理な環境をどのように捉えるか、というマインドセットについて取り上げたい。情報経路が複雑になり、オープン・タスクが占める比率が高い現在のビジネス環境とは、意思決定を行う上での変数が非常に多岐にわたる状況であると言える。ために、経営と現場の結節点であり加工情報の第三の発信地点としての課長の位置づけは、本来的に非合理なものとなりやすい。そうであれば、「割り切って、ゲームのようにとらえて手早く切り抜けることで、他のもっと大事な仕事の時間を確保する」(114頁)という考え方もあり得るだろう。ゲームというカジュアルな感覚を持つことによって、下手をすると精神的にダメージを蓄積し易い状況を気軽に捉えることもできるかもしれない。そうした達観した態度が精神的なゆとりへと繋がり、課長起点の創造性や戦略立案という第三極としての役割を全うできることに繋がり得るのだ。

2013年10月26日土曜日

【第214回】『銀の匙』(中勘助、岩波書店、1935年)

 本書は、夏目漱石がその独創性を評価したことで有名である。なにがそれほどまでに独創的なのか。端的に記せば、子どもの世界を子どもの視点で描いていることだと、本書を解説している和辻哲郎が以下のように述べている。

 『銀の匙』には不思議なほどあざやかに子供の世界が描かれている。しかもそれは大人の見た子供の世界でもなければ、また大人の体験の内に回想せられた子供時代の記憶というごときものでもない。それはまさしく子供の体験した子供の世界である。子供の体験を子供の体験としてこれほど真実に描きうる人は、(漱石の語を借りて言えば)、実際他に「見たことがない」。大人は通例子供の時代のことを記憶しているつもりでいるが、実は子供として子供の立場で感じたことを忘れ去っているのである。(中略)こうなると描かれているのはなるほど子供の世界に過ぎないが、しかしその表現しているのは深い人生の神秘だと言わざるを得ない。(225~226頁)

 子供時代のことを子供の視点で書き、その筆致が他の先行する小説家の書き方や考え方と異なるという点に漱石はその独創性を見出したのである。子供の視点で書けるということは、シンプルで本質を見抜く子供から見た世界を描き出せるということである。では著者は、本書でなにを見出しているのだろうか。それは以下の場面に典型的に現れているようだ。

 次の日には桜の花の徽章のついた帽子をかぶり、持ちつけぬ鞄をはすにかけてなんともいえない混乱した気もちをしながら伯母さんに手をひかれて学校へいった。この不慣れな様子を人に見られるのが恥しいのとまだ知らぬ学校生活の心配とに小さな胸を痛めて自分の爪先ばかり見ながらそろそろとついてゆく。(80頁)

 持ち慣れない真新しい鞄を持つときの違和感。恥ずかしいために前を向いて歩けず、唯一信じられる自分の身体感覚に頼ろうと自分の足元を見続ける頼りなげな視線。自分だけでは新たな世界に行く自信がないために、大人に手を引かれることを契機として不安を感じながら踏み出す第一歩。はじめて学校に行った時の経験がフラッシュバックするかのような経験ではなかろうか。書かれてみれば共体感できるものであるが、著者のこの言なくして自分自身でアウトプットすることは難解であろう。

 次に、学ぶというものに魅了される過程について。

 面目ないことだが私には今まで習ったことがかいしきわからない。で、落胆して何度投げ出そうとしたかしれないのを御褒美の菓子やなにかで騙され騙されしてつづけるうちになにか薄紙でもはぐようにすこしずつわかりはじめた。読本の文字を一字おぼえ、二字おぼえ、算術が一題とけ、二題とけするにしたがい次から次へと智識は幾何級数的に進んでゆくので終いには自信もでき、興味も加わって、家へ帰ればいわれぬうちに自分から机をもちだすようになった、もとよりひとに褒められたいのがおもな動機で。試験には間もなかったが勉強のかいあって次の学期には二番になった。(108頁)

 ものごころがついたときから勉強が好きで、得意だという方もいるだろうが、私には著者の感覚がとてもよくわかる。いやいやながら宿題をする。他人に認められることで自分が「ここにいていい手応え」を得るために勉強をする。過程における喜びなどどうでもよく、ひたすら試験の結果だけを追い求める。しかし、こうした無味乾燥な勉強が積み重なることで、一つひとつの断片の知識が繋がり、勉強するたのしさにはたと気付く瞬間が訪れる。

 こうした主体的な営為の結果として得られる学びの深さに対して、他者から正論ばかりを押し付けられる学習には反感を覚えるものだ。

 私のなにより嫌いな学課は修身だった。高等科からは掛け図をやめて教科書をつかうことになってたがどういう訳か表紙は汚いし、挿画はまずいし、紙質も活字も粗悪な手にとるさえ気もちがわるいやくざな本で、載せてある話といえばどれもこれも孝行息子が殿様から褒美をもらったの、正直者が金持ちになったのという筋の、しかも味もそっけもないものばかりであった。おまけに先生ときたらただもう最も下等な意味での功利的な説明を加えるよりほか能がなかったのでせっかくの修身は啻に私をすこしも善良にしなかったのみならずかえってまったく反対の結果をさえひき起した。(169~170頁)

 深く学んでいる者ゆえに、浅薄な正論を単に押し付けられることへ抵抗感をおぼえるのだろう。小学校の「道徳」の授業も同じようなものであった。誰もが一見して是としか言いようのないものを教材にしたところで、深く考えさせた結果として得られる豊かな学びは得られない。小学校低学年で覚えた掛け算九九を高校生になってわざわざ試験されると、受けさせられる側は自分が馬鹿にされているように感じるだろう。単純な是非の問題をいつまでも繰り返すのは学習にとって逆効果だ。教育に携わる身として、意識しておきたい点である。