2015年12月27日日曜日

【第531回】『私の個人主義』(夏目漱石、青空文庫、1914年)

 1914年11月に学習院で漱石が行なった講演録である。主要な作品の発表時期からすると、『こころ』を執筆し終えた後である。現在から約一世紀前に述べられた漱石の考える個人主義に、感銘を受けたり考えさせられたりするところに、文豪としての凄みを感じさせられる。

 その名講演が、自虐的なウィットに富んだ表現から始められるのは、漱石の漱石たる所以であろう。

 私から見ると、この学習院という立派な学校で、立派な先生に始終接している諸君が、わざわざ私のようなものの講演を、春から秋の末まで待ってもお聞きになろうというのは、ちょうど大牢の美味に飽いた結果、目黒の秋刀魚がちょっと味わってみたくなったのではないかと思われるのです。(Kindle No. 74)

 落語の噺として有名な目黒の秋刀魚を枕に置いた上で、漱石は自身の講演を卑下してみせる。自己卑下は、行き過ぎると聴いていて居心地悪いものであり、その加減が難しい。新聞小説で広く一般の人々を対象にして読者を得た漱石が、多くの日本人にとって秋の味覚である秋刀魚に自分をたとえているのは、絶妙な喩えと言えよう。

 私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的の思索に耽り出したのであります。(Kindle No. 252)

 イギリス留学時の苦労について語った箇所である。日本における文芸論を考え詰めて壁にぶつかった漱石は、個人主義の大本とも言える自己本位という概念に至る。そうした時に、それまで固執してきた文芸とは異なるジャンルへの研究と思索を開始したという。この個人的な経験を抽象化して、以下のような学生へのメッセージとして置き換える。

 私の経験したような煩悶があなたがたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定しているのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。(Kindle No. 305)

 ここで読み取りたい重要な含意は二点ある。第一に、努力を続けていると、時に煩悶したり悩んだりすることは当り前のものであるということであろう。姜尚中氏の『悩む力』(姜尚中、集英社、2008年)でのエントリーにおいて、漱石作品をもとにして考え、思い、悩むことの意義と効用について考察したので、詳細はそちらを当たられたい。第二に、何かを深掘りして究めようとすることと、間口を広げようとすることは必ずしも矛盾するものではなく、同時並行で行なうものであるということである。もちろん、ある一時点で二つ以上のことを同時に行なうことは物理的に不可能であろう。しかし、中長期的なスパンで自身を眺めれば、意識的に両者を並行して行なうということが研究したり学ぶことであり、これが生涯学習ということの本質なのではないだろうか。

 仕事をして何かに掘りあてるまで進んで行くという事は、つまりあなた方の幸福のため安心のためには相違ありませんが、なぜそれが幸福と安心とをもたらすかというと、あなた方のもって生れた個性がそこにぶつかって始めて腰がすわるからでしょう。そうしてそこに尻を落ちつけてだんだん前の方へ進んで行くとその個性がますます発展して行くからでしょう。ああここにおれの安住の地位があったと、あなた方の仕事とあなたがたの個性が、しっくり合った時に、始めて云い得るのでしょう。(Kindle No. 335)

 生涯を通じて学ぶ上での重要な手段の一つとして、私たちは働く。したがって、仕事においても、私たちは一所懸命に深掘りをしながら、かつ専門を拡げていくことが重要である。それは、社会にとっても、自分自身の幸福にとっても、大事なことなのであろう。現代においては、仕事じたいの質と定義の変容の速度と幅が大きくなっているのであるから、漱石の述べる「安住の地位」とは不変のものではなく常に変わる存在である。こうした時代であるからこそ、仕事や職務という一時点における概念定義と共に、キャリアという時間軸の広い概念をも意識することが私たちにとって必要なのであろう。

 前半において、個人としての生き方という側面における個人主義を述べた上で、漱石は、個人主義とは自分自身にのみ根ざしたものではないという指摘を加えていく。西洋近代が経験した個人視点からの近代化を経験していない日本人にとって、以降の漱石の指摘には刮目すべきものが多い。

 第一にあなたがたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると。しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。(Kindle No. 373)

 近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符牒に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。彼らは自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、個人の自我に至っては毫も認めていないのです。いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。(Kindle No. 384)

 個人の自由は、他者における個人の自由との折り合いをつけることを前提とした、留保つきの自由である。これが、私たちの多くが頭では分かっていても、時に見落としがちな観点ではないだろうか。そして、そうした見落としは、時代を経るに従って、つまり自由を実現する手段が増えてきている現代において、正比例的に増してきているようにも思える。

 いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発揮する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。それをもう一遍云い換えると、この三者を自由に享け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。(Kindle No. 426)

 だからこそ漱石は、自由としての個性を発揮する上で、修養を重視する。精神を修養し、自らを律すること。その前提のもとに、個人主義は社会において成立する。こうした相対的な個人主義は、国家との関わりを考える上でも有効だ。とりわけ、現代の日本という国における事象を考えれば、一世紀前に現代の日本に警鐘を鳴らすような表現が為されていることが興味深い。最も印象的な部分を最後に引用してみよう。

 いったい国家というものが危くなれば誰だって国家の安否を考えないものは一人もない。国が強く戦争の憂が少なく、そうして他から犯される憂がなければないほど、国家的観念は少なくなってしかるべき訳で、その空虚を充たすために個人主義が這入ってくるのは理の当然と申すよりほかに仕方がないのです。(中略)その日本が今が今潰れるとか滅亡の憂目にあうとかいう国柄でない以上は、そう国家国家と騒ぎ廻る必要はないはずです。家事の起らない先に火事装束をつけて窮屈な思いをしながら、町内中駈け歩くのと一般であります。(Kindle No. 553)


2015年12月26日土曜日

【第530回】『白楽天 ー官と隠のはざまで』(川合康三、岩波書店、2010年)

 詩人という職種には、身体面にしろ、精神面にしろ、何らかの欠落を動機として芸術作品を創り上げるような、どこか不幸なイメージを内包する。しかし、白居易はそうではなかった。彼はどのようにして幸福をもとにして詩作を行なったのか。

 一つは与えられた条件に満足するという彼の態度による。「自足する」、「足るを知る」、こうした言葉は白楽天の詩文のなかにたびたび見える。彼が今置かれている条件に自足する端的な例は、年齢に関する言述にみえる。三十七歳の時、「年を取っているともいえず若いともいえない今がちょうどよい」とうたう(「松斎に自ら題す」詩)。四十七歳の時には「三十代は血気盛んで迷いも多い、六十代になれば体も言うことをきかなくなる。今が一番だ」(「白雲に期す」詩)と言う。六十歳になったらなったで「三十、四十は欲望に縛られる。七十、八十は病気がまといつく。五十、六十の今こそ心身ともに安らかでいられる」(耳順の吟 敦詩・夢得に寄す」詩)と自足する。いずれの時点においても人生のなかで今ほどよい時期はないと満足の思いをうたうのである。(7頁)

 老子を彷彿とさせられると共にほっとさせられる考え方である。もう一つは孔子の中庸を想起させる以下の部分に端的に示されている。

 中間の状態をよしとする態度も白楽天の文学に顕著に見られる。自分の今の年齢に満足するのも、それぞれの年齢を若すぎもせず年を取りすぎてもいない中間状態とみなし肯定していたのだった。年齢に限らず様々な事象について、両極の中間こそ望ましいというのだが、なかでも彼の文学や人生に深く関わるのは、官と隠の中間の状態である。(8頁)

 中国の伝統のたくましさと豊かさを感じさせる。一つひとつの古典が以前のものを踏まえており、時に対立構造を構成しながらもお互いがお互いを補い合っているとも解釈できる。私たちが学べる部分は依然として多いようだ。


2015年12月23日水曜日

【第529回】『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 詩経・楚辞』(牧角悦子、角川書店、2012年)

 四書五経の一つである詩経。その詩経と並び称される古典的詩集である楚辞。その二冊の入門書として最適な一冊である。

 儒教とは、人と人との繋がりを大切にする教えです。子が親を敬うという孝の意識を中心に据えて、それを家族から村へ、村から国、そして天下国家に及ぼすことによって、理想の社会を築こうとする教えです。人と人との繋がりを大切にするためには、規範が必要です。目上の者を敬いましょう、嘘をついてはいけません、礼儀正しく振舞いましょう、などなどの規範を、これらの経典が提供することになります。詩は『詩経』として経典になった時点で、道徳規範の教科書になっていくのです。(18~19頁)

 なぜ詩集が四書五経という中国の文化の要諦を為すテクストの一冊として挙げられるのか。そうしたビギナーが抱く疑問に端的に回答したのが上記の部分であろう。詩経では、様々な人と人の関わり合いが描かれる。そうしたものの描き方は、人と人との繋がりを大切にする儒教の教えと通底したものなのであろう。

 以下では、最も印象的であった詩を一篇だけ紹介してみることとする。

 蟋蟀 堂に在り
 役車 其れ休めり
 今 我れ楽しまざれば
 日月 其れ慆ぎん
 已だ大いに康しむ無く
 職めて其の憂を思え
 楽を好むも荒むこと無かれ
 良士は休休たり(94〜95頁 唐風「蟋蟀」より)

 ゆったりとくつろぐことの重要性を説いている詩である。とはいえ、今をたのしめと言っているかと思えば、度を過ぎてたのしむことを諌めて将来の心配をすることも同時に述べている。いたく考えさせられるとともに、どこか心がゆったりとする詩だ。


2015年12月20日日曜日

【第528回】『項羽と劉邦(下)』(司馬遼太郎、新潮社、1984年)

 本書の解説で谷沢永一氏が人望について触れているが、劉邦のリーダーシップの根源は、一言で言えば人望にあるのだろう。

 味方に対するこの約束をはたさねば、劉邦は信をうしなう。味方の忠誠心の上に浮上している劉邦としては信だけで立っている。ひとびとに信じられなくなれば、劉邦のように能も門地もない男はもとの塵芥にもどらざるをえない。(12頁)

 約を守ること。当り前と言えば当り前のことであるが、約束を必死に守ろうとすることが、一人の人間を将として成り立たしめる。

「陛下は、御自分を空虚だと思っておられます。際限もなく空虚だとおもっておられるところに、智者も勇者も入ることができます。そのあたりのつまらぬ智者よりも御自分は不智だと思っておられるし、そのあたりの力自慢程度の男よりも御自分は不勇だと思っておられるために、小智、小勇の者までが陛下の空虚のなかで気楽に呼吸をすることができます。それを徳というのです」
 (中略)
「知世の徳ではありませぬ。三百年、五百年に一度世が乱れるときには、そのような非常の徳の者が出てくるものでございます」(256~257頁)

 張良が劉邦に語るシーンである。老荘を重視する張良ならではの発言とも捉えられるが、空や無の持つ力強さを感じさせる。何かがあるのではなく、無いことによって、変幻自在に自分自身を変えることができる。不安な時には何かを得たり身につけようとしてしまう。

2015年12月19日土曜日

【第527回】『項羽と劉邦(中)』(司馬遼太郎、新潮社、1984年)

 勝利と敗北を繰り返す劉邦。時に大敗を喫しても、常に重要な人材を惹き付ける不思議なリーダーシップの有り様に感じさせられる中巻である。

 長者とは人を包含し、人のささいな罪や欠点を見ず、その長所や功績をほめてつねに処を得しめ、その人物に接するとなんともいえぬ大きさと温かさを感ずるという存在をいう。この大陸でいうところの徳という説明しがたいものを人格化したのが長者であり、劉邦にはそういうものがあった。(7頁)

 劉邦は、おそらくは純然たる善人ではない。しかし人としての器が大きいのであろう。それが、他者を引き寄せる引力となっている。

 劉邦は口ぎたなくののしったり、腹を立てたりするとき、かえって愛嬌が出てしまう。ひょっとするとひとの親分である劉邦の本質はそれではないかと思われるほどであった。(241頁)

 誉めたり肯定的なフィードバックを与えることがマネジメントの重要な行動であることは、ビジネス・パーソンにとって自明のことである。しかし、ネガティヴな感情を出したり、ネガティヴなフィードバックを与える時に着目してみることは少ない。劉邦の場合、そうしたネガティヴな言動を出す際に、そこに愛嬌が出るとしている。これは、人間という存在を考える上で面白い事象であろう。

 張良は思った。あるいは劉邦が劉邦であるのは、自分の弱味についての正直さということであるかもしれなかった。(109頁)

 劉邦を取り巻くキーパーソンの一人である張良による劉邦評である。オープンネスというと聞こえはいいが、リーダーが自分を虚飾せず、弱味も含めて正直に曝け出すということはなかなかできるものではない。しかしそうであるからこそ、劉邦のリーダーシップが際立つのではないだろうか。

 韓信のみるところ、愛すべき愚者という感じだった。もっとも痴愚という意味での愚者でなく、自分をいつでもほうり出して実体はぼんやりしているという感じで、いわば大きな袋のようであった。置きっぱなしの袋は形も定まらず、また袋自身の思考などはなく、ただ容量があるだけだったが、棟梁になる場合、賢者よりはるかにまさっているのではあるまいか。賢者は自分のすぐれた思考力がそのまま限界になるが、袋ならばその賢者を中へほうりこんで用いることができる。(171頁)

 何とも趣き深い表現である。賢い人間は、自身を過信するために他者に頼ることができず、自分の能力の限界が自分の為せる限界になってしまう。それに対して、他者に委ねられるリーダーは、他者の力をも自分の力に変えることができる。

2015年12月13日日曜日

【第526回】『項羽と劉邦(上)』(司馬遼太郎、新潮社、1984年)

 読む本を選ぶという行為は、点と点を線で結ぶようにして行なわれるものなのかもしれない。最近『史記』の解説本を読んだことで劉邦に関心を持ち、彼について扱っている本書を十数年ぶりに読み返したいと思った。当時、歴史小説に食傷気味であったのに強い印象を抱いた本作を、読み返すことでどのような気づきを得られるか、自身に興味があったのである。

 果して、劉邦という、ヒロイックではない存在のリーダーシップに対して強く関心を抱いた。上巻を読んだ段階では、そのリーダーシップの源泉がにわかには分からない。しかし、なにか得も言われぬ魅力がある人物である、ということは伝わってくる。

 信陵君の徳のきわだった特徴は謙虚であることだった。いかなる身分の者でも賢才と見れば師表と仰いでへりくだったが、劉邦はそうはせず、蕭何をばかにし、ときにひどく乱暴で無作法であった。もっとも信陵君は貴族だったからへりくだりも徳でありうるが、劉邦のような素寒貧の無頼漢は、うかつに蕭何などにへりくだれば哀れみを乞うているようで、謙虚とは人は見てくれない。(103頁)

 謙虚とは、人間の持つ美質の一つであることに疑いはない。しかし、ここでの記述が興味深いのは、そうした美質が良く作用しない可能性があるという社会における本質が指摘されている点であろう。そして、それを漢という大帝国を後に起す劉邦が、自ずと体現していることが面白い。

 劉邦という男は、こういう場合、自分の判断を口走らずにひたすらに子供のような表情でふしぎがるところがあった。そういう劉邦のいわば平凡すぎるところが、かえってかれのまわりに、項羽の陣営にはない一種はずみのある雰囲気をつくりだしていたといえる。幕僚や武将たちは、劉邦の無邪気すぎるほどの平凡さを見て、自分たちが労を吝むことなく、かつは智恵をふりしぼってでもこの頭目を補助しなければどうにもならないと思うようになっていたし、事実、劉邦陣営はそういう気勢いこみ充満していた。(291頁)

 予想外の友軍の敗報を受けても、まったく動こうとしない。それは凡庸であるとも言えるし、一見すると頼りないことにも捉えられかねない。しかし、それと同時に、以下の記述が付け足されているところが、リーダーとしての比類ない劉邦の有り様であるようだ。

 といって、劉邦という男は、いわゆるあほうというにあたらない。どういう頭の仕組みになっているのか、つねに本質的なことが理解できた。
 むしろ本質的なこと以外はわからないとさえいえた。(291頁)

 本質が分かっていれば、それ以外のものについては、泰然自若であることができる。ことあるごとに読み返して反芻したい箇所である。


2015年12月12日土曜日

【第525回】『嘔吐』(J・P・サルトル、鈴木道彦訳、人文書院、2010年)

 「100分de名著」で興味を持って読もうと思った本書。内容を全て理解したとは思えないが、考えさせられる箇所がいくつか見られ、また読み返したいと思える良書である。

 ごく平凡な出来事が冒険になるためには、それを物語り始めることが必要であり、またそれだけで充分である。人びとはこのことに騙されている。というのも、ひとりの人間は常に話を語る人で、自分の話や他人の話に取りまかれて生きており、自分に起こるすべてのことをそうした話を通して見ているからだ。そのために彼は自分の生を、まるで物語るように生きようとするのである。
 しかし選ばなければならない。生きるか、物語るかだ。(68頁)

 語ることによって、私たちは自分の人生を生きることができると主人公は述べる。では、どのような時に、私たちは語るのか。

 人が生きているときには、何も起こらない。舞台装置が変わり、人びとが出たり入ったりする。それだけだ。絶対に発端のあった試しはない。日々は何の理由もなく日々につけ加えられる。これは終わることのない単調な足し算だ。ときどき、部分的な合計をして、こうつぶやく、旅を始めてから三年になる、ブーヴィルに来て三年だ、と。結末というものもない。(中略)
 これが生きるということだ。けれども生を物語るとなると、いっさいが変わる。ただし、それは誰も気づかない変化だ。その証拠に、人びとは真実の話を語っているからだ。あたかも真実の話というものがあり得るかのように。出来事はある方向を向いて起こり、われわれは逆の方向に向かって物語る。たしかに、発端から始めているようには見える。(中略)しかし実は結末から始めているのだ。結末はそこにあり、目には見えないが現にその場に存在している。このいくつかの言葉に発端の持つ厳めしさと価値とを与えるのは、結末である。(69頁)

 私たちは語る時に、通常は時系列に沿って語っていると感じるだろう。しかし、著者は主人公にそうではないと語らせる。つまり、語る時点から遡ることによって、私たちは結末から逆算して語るのである。当り前と言えば当り前であるが、キャリア理論における回顧の重要性を示唆されているように思え、興味深い。


2015年12月6日日曜日

【第524回】『斜陽』(太宰治、青空文庫、1950年)

 心地よい日本語とは何か。私は文学者でもなければ文藝評論を行なう者でもないが、読んでいて心地よい日本語の文章というものはたしかにある。むろん、そうしたものは普遍的なものというよりも個人が主観で感じ取るものであろう。太宰の文章には、そうした心地よさを感じる。

 この西山さんのお嫁さんは、下の農家の中井さんなどは村長さんや二宮巡査の前に飛んで出て、ボヤとまでも行きません、と言ってかばって下さったのに、垣根の外で、風呂場が丸焼けだと、かまどの火の不始末だよ、と大きい声で言っていらしたひとである。けれども、私は西山さんのお嫁さんのおこごとにも、真実を感じた。本当にそのとおりだと思った。少しも、西山さんのお嫁さんを恨む事は無い。(Kindle No. 440)

 自宅でボヤをおかしてしまい自責の念に駆られる中、追い打ちをかけるような他者の言動に対する主人公の思い。それに対して、不快感ではなく、真実の一面を指摘していると冷静に捉えるという視野の広さは、女性ならではの美質のようであり、そうした感性を男性である著者が文章に紡ぎ上げている点に凄みを感じる。

 どうしても、もう、とても、生きておられないような心細さ。これが、あの、不安、とかいう感情なのであろうか、胸に苦しい浪が打ち寄せ、それはちょうど、夕立がすんだのちの空を、あわただしく白雲がつぎつぎと走って走り過ぎて行くように、私の心臓をしめつけたり、ゆるめたり、私の脈は結滞して、呼吸が稀薄になり、眼のさきがもやもやと暗くなって、全身の力が、手の指の先からふっと抜けてしまう心地がして、編物をつづけてゆく事が出来なくなった。(Kindle No. 673)

 小論文という科目を予備校で取っていた時に、一つのセンテンスを短くすることを指導され、具体的には80字以内に収めるように言われていた。その後、作文に関する書籍を読んでも、基本的には文章を短くすることは望ましいものであるとされていたように記憶しているし、私自身もそう思っている。翻って、上記引用箇所の句点までの長いことに驚く。なにに驚くかと言えば、長すぎる文章は、理解が難しく、冗長に感じるものであるはずなのに、美しく、読みやすい点に対してである。私のような素人が真似できるものではないが、ただただ驚くばかりである。

 夏の月光が洪水のように蚊帳の中に満ちあふれた。(Kindle No. 761)

 母子三人で久しぶりに寝む静謐な空間が目に浮かぶようである。比喩とは、安易に用いると表層的で技巧的な物言いになってしまうが、こうした表現を用いると情景に音と色とが彩られるようだ。

 私は、お母さまはいま幸福なのではないかしら、とふと思った。幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではなかろうか。悲しみの限りを通り過ぎて、不思議な薄明りの気持、あれが幸福感というものならば、陛下も、お母さまも、それから私も、たしかにいま、幸福なのである。静かな、秋の午前。日ざしの柔らかな、秋の庭。(Kindle No. 1582)

 幸福という感情は、ポジティヴなものが極限までいった時に感じられるものではないものなのかもしれない。悲しみに打ちひしがれ、自分自身に絶望した時に、ふっと見えるちょっとしたものに感じられる救いのような感覚なのであろうか。このように考えれば、日常的に幸福を感じられないとしても、それを否定する必要はないだろう。幸福感があまりないということは、それだけ満ち足りた生活を送っていることになるのかもしれないのだから。

 ああ、何かこの人たちは、間違っている。しかし、この人たちも、私の恋の場合と同じ様に、こうでもしなければ、生きて行かれないのかも知れない。人はこの世の中に生れて来た以上は、どうしても生き切らなければいけないものならば、この人たちのこの生き切るための姿も、憎むべきではないかも知れぬ。生きている事。生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。(Kindle No. 1851)

 深刻な想いに至るまで思い詰めたことがない身としては、それを幸福なことと捉えるべきか、真剣に生を考えて精一杯生きていないことの裏返しと考えるべきか、悩ましい。生きることと苦しむことという、一見するとアンビバレントな表現の中に、私たちの人生を考える本質的な何かが表れている、とまで表現すると言い過ぎであろうか。


2015年12月5日土曜日

【第523回】『現代語訳 史記』(司馬遷、大木康訳、筑摩書房、2011年)

 古来の歴史書から現代の私たちが何を学べるか。著者は、史記を大胆に現代に即した言葉遣いと形式で解説を加える。中国史を彩る英雄や彼等を取り巻く多様で特色のある人物たちの息遣いから、読者の観点に応じて感じ取れるものがあるだろう。

沛公「いま退出する時、別れの挨拶をしてこなかった。どうしたらよかろう。」樊噲「『大きな行動のためには、小さなことを気にしなくてもよい。大きな礼を行うためには、小さな謙譲などどうでもよい(大行は細謹を顧みず、大礼は小譲を辞せず)』といいます。いま、相手は刀と俎、われわれは魚肉です。どうして挨拶する必要などありましょう。」(89頁)

 有名な鴻門の会のシーンの一部の描写である。謙譲を重んじながら、礼を重視する。どちらも大事であることと、究極の状況においては礼を重視せよ、ということであろうか。改めて『項羽と劉邦』を読みたくなった。


2015年11月30日月曜日

【第522回】『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 孟子』(佐野大介、角川書店、2015年)

 孔孟と称され、孔子の儒教を引き継いだ最大の存在の一つである孟子。孟子は、論語とともに読みたい一冊なのではあるが、これまでは読んでもあまりピンとこなかった。本書はその入門書であるが、論語との関係性や、現代日本で使われる慣用句との繋がりの指摘が示唆的であり、興味深く読めた。

 王の王たらざるは、為さざるなり。能わざるに非ざるなり、と。(梁恵王上・第7章)

 私たちは何かがうまくいかないと、「できない」からであると思ってしまう。しかし、そうではなく、「やらない」のが問題であるとしている。これが、政治というマネジメントの文脈の中で述べられているところに着目したい。つまり、自分の力でなんとかできるなら容易いが、そうでない場合にうまくいかないケースにおいても、自分が為さないからであると考えられるかどうか、が大事なのではないか。

 是れに由りて之を観れば、惻隠の心無きは、人に非ざるなり。羞悪の心無きは、人に非ざるなり。辞譲の心無きは、人に非ざるなり。是非の心無きは、人に非ざるなり。惻隠の心は、仁の端なり。羞悪の心は、義の端なり。辞譲の心は、礼の端なり。是非の心は、智の端なり。人の是の四端有るは、猶其の四体有るがごとし。(公孫丑上・第6章

 こうして、仁・義・礼・智という四端の重要性が指摘されるとともに、四端は自ずと持っているものであるとする性善説が示唆されているところが重要であろう。

 孟子曰く、人を愛して親しまれざれば、其の仁に反る。人を治めて治まらざれば、其の智に反る。人を礼して答えられざれば、其の敬に反る。行ないて得ざる者有れば、皆諸を己に半求す。其の身正しければ天下之に帰す。詩に云えらく、永く言いて命に配し、自ら多福を求む、と。(離婁上・第4章

 自らを省みることの重要性。自らの襟を正さなければ、自然の本性として持っている四端にまで、影響されるのである。

 孟子曰く、原泉は混混として昼夜を舎めず、科に盈ちて後に進み、四海に放る。本有る者は是の如し。是れ之を取るのみ。(離婁下・第18章

 水というと老子の印象が強い。老荘と対比される孔孟というイメージがあるために、水について指摘しているこの箇所を読んで驚いた。しかし、孔子から時代を経た孟子において、老子や「老子的」な考え方が孟子に影響を与えたとも考えられるだろう。

 中を執るは之に近しと為すも、中を執りて権無ければ、猶一を執るがごとし。一を執るを悪む所は、其の道を賊うが為なり。一を挙げて百を廃すればなり、と。(尽心上・第26章)

 中庸を誤読すると、極端なものではなく、間を取ることばかりが重要であると考えがちだ。しかし、必ずしもそうではなく、真ん中を選択することも大事であるし、それに固執するのではなく、臨機応変に対応することこそが、私たちにとって大切なのである。

 孟子曰く、心を養うは寡欲より善きは莫し。其の人と為りや寡欲なれば、存せざる者有りと雖も、寡し。其の人と為りや多欲なれば、存する者有りと雖も、寡し、と。(尽心下・第35章)

 欲について述べ、欲をあまり持たないことを勧めている。これが自身の心を修養する大事なヒントである。


2015年11月29日日曜日

【第521回】『朱子学と陽明学』(小島毅、筑摩書房、2013年)

 儒教をもとに発展したと言われる朱子学と陽明学。それらの存在は、中学や高校の日本史で学ぶものであり、前者が江戸の幕藩体制を支え、後者が西郷隆盛や吉田松陰といった倒幕運動の主役たちに影響を与えたと大学で学ぶ。しかし、その内実に触れないままでいる方は多いだろうし、私もそうした一人である。本書では、朱子学と陽明学とについて、その思想史的な背景を概説する入門書である。

 同じ<格物>という語が違う意味内容に解釈される。その解釈上の相違が、朱子学と陽明学との差異を示している。性即理と心即理という標語の違いが重要なのではない。根本的には、<格物>をめぐる理解の仕方にこそ、両者の相違点がある。(99頁)

 <格>とは<至>である。<物>というのは、<事>と同様の意味である。(100頁)

 格物とは「大学」(『大学・中庸』)で取り上げられている概念として有名である。その、格物を巡る解釈の違いに、朱子学と陽明学との違いが端的に表れていると著者はしている。では、具体的にどのように捉え方が異なっているのであろうか。

 朱子学において、格物とは窮理の同義語であった。宇宙を貫く法則を理解し、それに従った生き方をすることで、人々を教導する立場に身を置くことができる。すなわち「新民」である。一方、陽明学においては、格物は「心を正す(正心)」ことと実質的に同じである。それだけではない。斉家や治国も、わが心のありかたによって実現しうるものとみなされる。朱子学のように順序をふまえ段階をおって最終目標の平天下に行き着くのではなく、各人が格物することそれ自体が、平天下の実現なのである。しかし、それは朱子学側から見れば途方もない現実遊離であった。陽明学が誕生したことによって朱子学は力を失ったわけではない。むしろ、陽明学への批判を通じて、社会秩序構想における朱子学の特質がより鮮明に浮き上がってくることになるのである。(109~110頁)

 外的なシステムによって道を実現しようとする朱子学と、内的な心的ありようによって道を実現しようとする陽明学。同じ道を目指す上で、入口とプロセスが異なることで、異なる考え方が生まれると考えるのは単純すぎるのかもしれないが、思想の違いとはそうしたものなのかもしれない。つまり、寛容な気持ちで視点を少し変えてみれば、異なる思想や宗教であっても、相互理解ができるきっかけがあるのではないか。


2015年11月28日土曜日

【第520回】『心の力』(姜尚中、集英社、2014年)

 漱石を解説する作品は、どれも興味深く読めるものであるが、やはり著者による解説はどこか心に触れるものがある。『悩む力』をはじめとした力作と比較して読み進めると興味深く、また漱石の『こころ』の続編という意欲に溢れた作品を織り交ぜることで読み応えがさらに増している。

 すべてを投げ打って自らを告白する先生と、その告白を受け取る「私」。その「私」が過去をふり返りながら、亡き先生の秘密を語る『こころ』は、先生から「私」への、死者から生者への、心の相続でもあります。いまを生きる「私」は、いわば、人生の謎に迫る「秘義」を先生から授かり、それをしっかりと受け継いで、次に語り継ぐため、先生について語り始めるのです。
 この意味で死んでいった人びとは、みんな先生と言えるかもしれません。私たちは、こうした「秘義伝授」を通じて心の実質を太くし、「心の力」を自覚できるのかもしれません。(9頁)

 死という概念を考える機会がまだ少ない身であっても、『こころ』における先生の死を「私」がどのように受け取ったのかという点には共感できる部分がある。そして、死に対する意味合いも考えさせられる箇所でもある。さらに、この部分において、本書を通底するテーマである「心の力」という概念が提示されているところに着目するべきであろう。では、心とは何か、という点に関する著者の説明を見ていこう。

 心をどう捉えるかについてはさまざまな考えがあるでしょうが、心は、自分が何者であり、自分がこれまでどんな人生を歩んできたのか、「そして、それから」どう生きようとするのかという、自分なりの自己理解と密接に結びついています。その意味で、心は、人生に意味を与える「物語」においてのみ、理解可能なのです。(18頁)

 心とは、単独でその実質を捉えられるものではなく、どのような文脈においてどのように語られるのかという関係性によって理解できるものである。したがって、多様な解釈が可能な中で、自分自身の主観によって選び取るということが心の本質と捉えることができるだろう。

 代替案を考えられない心は幅のない心であり、体力のない心だと思います。言い換えれば、心の豊かさとは、究極のところ複数の選択肢を考えられる柔軟性があるということなのです。現実はいま目の前にあるものだけではないとして、もう一つの現実を思い浮かべることのできる想像力のことなのです。(71頁)

 主観的に選び取るということは、一つのものを選び取りながらも、もう一つの他のものをも選び取れるという感覚を持つことをも意味する。著者は、そうした他の選択肢を考えられることが心の柔軟性であり、そうした有り様が健康的な心的状況を担保するものであると喝破する。

 私は、人間と人間の信頼関係というものは、「自分を投げ出す」「相手を受け入れる」というやりとりによって成り立つのではないかとつねづね考えてきました。先生と「私」の間に最後に交わされたものは、まさにそれであったと思います。漱石の表現で言えば、とても「真面目」な、真剣そのものの関係の構築であったと思います。(173頁)

 個人の内面における柔軟性と共に、人間どうしの間においては、ありのままの投げ出しと受け容れとによって信頼関係が成り立つ。これはなかなかできるものではない。だからこそ、師弟関係や夫婦関係というものは、人にとって大事であり生涯にわたって紡ぎ上げていく関係なのではないだろうか。

 「偉大なる平凡」にはもう一つだいじな要素があります。それは、人の意見をたくさん聞きながらも「染まらない」ということです。(146頁)

 最後に、なんとなく心が惹かれた部分を引用してみた。おそらく、私を含め、この世にいきる大多数の人々は「平凡」な人々である。『こころ』における「私」がそれに該当すると著者はした上で、そうした人々が生きていく上で、他者の意見を真摯に聞きながら、それに完全に迎合しないことの重要性を説く。つまり、相手を受け容れる姿勢を持ち、自分自身を投げ出しながらも、自身を売り渡すことまでは行なわず、しぶとく生きていくことが、現代には求められるのである。


2015年11月23日月曜日

【第519回】『母ーオモニー』(姜尚中、集英社、2010年)

 著者の文章を読むのは心地がよい。おそらく、誠実な想いで、飾らない言葉で、紡ぎ出された言葉からなる文章からではないだろうか。本書もまた、自身を扱った重たいテーマであるにも関わらず、肩肘張らない筆致によって、リラックスして噛み締めながら読むことができた。

 その悲しみに打ちひしがれながらも、わたしはどこかで、母(オモニ)という「運命」から解き放たれていくような安堵感も味わっていた。(20頁)

 母への愛情や、母を大事にする想いに終始する本書において、母の死の直後の感想を記したこの部分だけが異彩を放っているようにも感じられる。しかし、深い愛情によって母を送り出した後には、こうした開放感のような感覚をおぼえるものなのかもしれない。それは、薄情なのではなく、相手を大事にし尽くした後に感じる達成感のようなものなのではないだろうか。

 すべてが変わり、そして変っていないように思えた。フーッと深い息を吐き出すと、頭上はるか遠くで鳶の鳴く声が聞こえた気がした。(296頁)

 母の死後に、母のルーツである故郷を訪れた著者。気負わないタッチで、美しい描写が為されるので、著者の文章を読みたくなる。


2015年11月22日日曜日

【第518回】『すらすら読める論語』(加地伸行、講談社、2005年)

 論語は、それ自体を何度も読み返すだけではなく、その解説本も何冊となく読み漁ってしまう、私にとって稀有な書である。勿論、読んで感銘を受ける解説本もあれば、あまり響かないものも存在する。本書は、明確に前者に該当する解説本であり、編集のしかたが秀逸で、新たな気づきを読者に提示するしかけが為されている。論語じたいがそうした書でもあるのだが、読み手が直面している課題や心に留めているものを写す鏡として、自分にとって大切な存在を投影してくれる。そうした文脈において、今回、いたく気づかされた二点について、以下に取り上げてみたい。

 第一は、率直にフィードバックすることの重要性について。

 子曰く、巧言令色(言を巧みにし色を令くするは)、鮮なし仁。(学而篇一・三)(20頁)

 名言の多い学而編において、恥ずかしながら私は、この言葉にほとんど注目してこなかった。というのも、巧言令色という言葉のイメージとして、いわゆる「ヒラメ社員」のように、自分より上位職の人々に媚び諂う感じがして、自分とは遠い行為のように思えていたのである。しかし、著者は、引用の後の解説文で、「他人に対して人当たりよく」することは「実は自分のためというのが本心」であり、「他者を愛する気持ちは少ない」としている。つまり、他者のことを思って他者を傷つけないようにかつ自分が悪く思われないように言葉を選ぶことは、自分のためにする行為であって他者のためにする行為ではない。加えて、そうした言葉は、「仁」の気持ちには遥か遠く至らない精神から出される言葉にすぎないのである。都合の良い拡大解釈も含まれるのであろうが、今の私にとって、考えさせられる至言である。

 第二は、視野を広げ全体を理解すること。

 子曰く、君子は上達し、小人は下達す。(憲問篇一四・二三)(111頁)
 子曰く、君子は器ならず。(為政篇二・一二)(121頁)

 著者は、知識を持ち細かい領域に卓越して分析や批判ができる存在を知識人、見識を持ち全体を俯瞰して把握して実行する存在を教養人として解釈を加える。したがって、小人が前者に、君子が後者に該当することは自明であろう。 憲問篇一四・二三に鑑みれば、前者は物事の末端や部分について理解している存在で、後者は物事の根本や全体について理解している存在である、とも換言できるだろう。さらに、為政篇二・一二における「器」をこれまではよく理解していなかったが、著者はこれを「一技・一芸(器)」として捉えている。このように考えれば、器というものを必ずしも肯定的に解釈していないことがわかるだろう。同じ器でも、広く大きな器を持つこと、さらにはそうした器を多様に持つこと、が君子として重要な有り様なのではないだろうか。

2015年11月21日土曜日

【第517回】『儒教とは何か』(加地伸行、中央公論社、1990年)

 著者の「論語本」における解説に魅了されて、論語に改めて興味が湧いたとともに、著者が論語や儒教をどのように捉えているかを知りたく、本書を紐解いてみた。儒教とは、歴史的な視座に立っても、現代の地理的な拡がりという視座に立っても、中国をはじめとした東北アジア圏を理解する上で外すことのできない鍵概念である。むろん、日本社会を考える上でも同様である。

 最初に、論語を形成する文字である、漢字の特徴について、西洋におけるアルファベットとの対比から見てみよう。

 中国人の思考は、漢字ならびに漢字を使った文章によってなされる。とりわけ漢字が重要である。この漢字は本質的には表意文字である。その表意とは、物の写しのことである。物の写しであるから、まず先に物があり、それに似せた絵画的表現として漢字の字形が生れる。とすると、なによりもさきに、物体(自然的存在)があるということになり、物の世界が優先する。「はじめにことば(神)ありき」ではなくて、「はじめに物ありき」なのである。だから、形而上的世界よりも形而下的世界に中国人の関心が向かうようになる。こういう構造から、中国人はものごとに即して、事実を追って考えるという現実的発想になったのである。現実とは何か。それは物に囲まれた具体的な感覚の世界である。このため、感覚の世界こそ中国人にとって最も関心のある世界とならざるをえなかったのである。(14~15頁)

 アルファベットなどに典型的な表音文字に対する、表意文字としての漢字の特徴が端的に示されている。表音文字の代表であるアルファベットを用いるキリスト教圏の社会においては、まず神が存在し、神が創りたもうたイデアとしての抽象的観念の世界があり、それを言葉として表現するという形而上的世界観が存在する。その結果として、文字は抽象的な思考を表現するためのツールとして創り出されることになる。それに対して、現実世界を認識し、その事象を表現しようとする形而下的世界把握をする表意文字の社会においては、具体的に世界を把握するためのものとして文字が生み出される。儒教が現実主義的なテクストである点は、こうした表意文字としての漢字によって生み出されているということが強く影響しているのであろう。

 儒教とは何かーーその歴史を本書は、(一)発生期の原儒時代、(二)儒教理論の基礎づけをした儒教成立時代、(三)その基礎理論を発展させた経学時代に分けて述べてきた。要するに、儒教は礼教性(表層)と宗教性(深層)とから成り立っており、大きく言えば、(一)は、礼教性と宗教性との混淆時代、(二)は、両者の二重構造の成立時代、(三)は、両者の分裂とその進行との時代である。その礼教性は公的・社会的(ただし、家族外が中心)・知的性格を有し、知識人(読書人)・官僚(士大夫)を中心にして深化した。一方、宗教性は私的・社会的(ただし家族内が中心)・情的性格を有し、一般庶民を中心に受け継がれてきた。(220頁)

 現実をいかに生きるかを考え詰めれば、それは内面と外面という私たちの両面を丁寧に扱うことになる。したがって、これだけ長い歴史の中でかつ一定の広まりを持っている儒教に関しても、両面を扱う存在として、礼教的な内容と宗教的な内容とが混ざったものと言える。そうであるからこそ、儒教の中心的なテクストの一冊である論語は、読み返すたびに何らかの新たな示唆を私たちに提供してくれるのではないだろうか。


2015年11月16日月曜日

【第516回】『百代の過客』(ドナルド・キーン、金関寿夫訳、講談社、2011年)

 日本文化を論じる碩学が、数十に及ぶ日本文学における日記を読み解き、日本人の有り様を提示した本作。他者から秘したものでありながら、読者という存在を前提にし、客観的事実よりも自身の内面を重視して内省的に述べるというスタイルは、日本人の書く日記に特有の特徴であると喝破する。以下では、本書で取り上げられている数十の日記文学の中から、書名にもなっている『奥の細道』について取り上げる。

 なるほどこの日記といえども、全篇を通じて、いつまでも記憶に残るような、まぶしいばかりの名文の連続とは言いがたい。といって芭蕉が、そのような中だるみのない日記を書く能力がなかった、と考える理由もないのである。芸術的緊張度が最も高い章句の間に、いわば「息抜きの場」を意識的に与えるという、あの形式感覚に、彼も従っていたのにちがいない。(492頁)

 私たち一般人の感覚からすると、文章のきれいな作家の書く文章は、最初から最後まできれいであると思いがちだ。しかし、名文ではない「息抜き」のような文章を意識的に間に挟むことによって、作品の素晴らしさを上げるという芸術的な有り様が日本文学にはあるのだと著者はする。芭蕉が『奥の細道』を書き上げる際にも、そうした作用が施されているのである。

 芭蕉の作り話や事実からの乖離は、作品のさらに永続的な全体的真実感を、かえって高めている。彼は、印象主義的な意味においてのみ「事実」に基づくフィクションを書いたのだ。旅の間につけていた覚書や俳句の初稿が、「事実」にさらに近いこと、これは疑いを容れない。だが芭蕉にとって「事実」は、芸術となるにはやはり不十分だったのである。(494頁)

 「息抜き」の箇所を入れるのに加え、フィクションを入れることによってより真実感を高めるという技巧を芭蕉は凝らしていたと著者はする。そうした全体的真実感を持たせることで、『奥の細道』の芸術性を高めていたというのだから、そのパラドキシカルな発想に驚くしかない。

 月日はまことに「百代の過客」である。しかしそれもひとえに、この永遠の、だが天文学的には意味をなさぬ事実に人が心を向け、言葉の美によって、その深長な意味を保ち続けてきたからにほかならない。何百霜も隔てたその昔に書かれた日記が、今ここにある。文学という芸術への、これ以上に壮麗な捧げ物が、他になにかあるだろうか?(500頁)

 究極の称揚と言えるのではないだろうか。日本文学の古典を、改めて紐解きたくなる。


2015年11月15日日曜日

【第515回】『私訳 歎異抄』(五木寛之、東京書籍、2007年)

 親鸞を理解するためには、著者の本を読むのが手っ取り早いと思ってしまう。なにかを学ぶ上で素早くとか効率的にという観点はなるべく取り除きたいと思うが、こうした解説書から学ぶというアプローチもいいのではないだろうか。歎異抄そのものを読んだことはなかったが、いい入門の手引きであった。

 わたしたち人間は、ただ生きるというそのことだけのためにも、他のいのちあるものたちのいのちをうばい、それを食することなしには生きえないという、根源的な悪をかかえた存在である。(中略)
 わたしたちは、すべて悪人なのだ。そう思えば、わが身の悪を自覚し嘆き、他力の光に心から帰依する人びとこそ、仏にまっ先に救われなければならない対象であることがわかってくるだろう。(20~21頁)

 有名な悪人正機説を分かりやすく解説した部分である。悪人という言葉から私たちは、何らかの大きな罪を犯した人物を想像してしまう。しかし、食物連鎖の中において、私たちが他の生き物を殺して食するという行為を悪と捉えれば、悪を為さない人はあり得ない。このように考えれば、全ての人が悪人なのであり、私たちは悪を為すことによって生きているという謙虚な気持ちになれる。それと同時に、そうした自分の悪を自覚して、そこから救われるように念仏を唱えるというシンプルな発想に行きつくことができる。

 いわゆる善人、すなわち自分のちからを信じ、自分の善い行いの見返りを疑わないような傲慢な人びとは、阿弥陀仏の救済の主な対象ではないからだ。ほかにたよるものがなく、ただひとすじに仏の約束のちから、すなわち他力に身をまかせようという、絶望のどん底からわきでる必死の信心に欠けるからである。(19頁)

 全ての人が悪を為すと考えれば、善人という存在はあり得ないことが分かるだろう。そうであるにも関わらず、自分は善人であると考えること自体に問題が内包されている。そうした人間は、自分自身を省みることがなく、自力で何でも解決できると考える。その結果、他者や他の存在に対するありがたみを感じることが疎かになってしまう。だからこそ、親鸞は、悪人を救うべき存在として提示し、善人を否定するような悪人正機説を唱えたのであろう。

 「薬があるからといって、なにもわざわざ毒を飲むことはない」(51頁)

 悪人正機を軽々に解釈して、悪を為すことを認めていると捉える誤解に対して、親鸞が述べたとされるたとえ話である。簡便な物言いの中に本質が現われている。


2015年11月14日土曜日

【第514回】『心』(姜尚中、集英社、2013年)

 著者と学生とのメールのやり取りという形式で展開される物語。お互いが、真摯に自分の心情と対話し、丁寧に文章に紡ぎ出されていて、読んでいて清々しい心持ちがする。

 与次郎がなんで死んだのかわからないと思いはじめたら、与次郎がなんで生まれてきたのかもわからなくなりました。となると、僕がこの世に生まれてきて、こうして生きている意味もわからなくなりました。(18~19頁)

 与次郎君はただ無意味な死を迎えたわけではない。無意味な死ではなかったのですから、彼の人生も無意味ではなかったのです。彼は、絶望的な状況の中でその都度彼にしかできないやり方で人生が彼に課した問いに答えようとしたのです。(27頁)

 親友の死に戸惑い、その意味を問い続ける中で、自分自身の生についても疑問を持つ学生。若い時分には一つのことを考え続けると、次から次へと問いが生まれてきて、自問自答によって自分を苦しめるということがよくあるだろう。それに対して、著者は、限られた人生の中に意味があったと断言をする。生きる意味について、何らかのシンプルなメッセージで表すのではなく、自分で課した自分への問いに答え続けるプロセスとして捉えているところが考えさせられる。

 世界との関係を断ってはいけないけれども、また、自分の殻にこもってはいけないけれども、だからといって孤独を恐れてはいけない、と。キャラや自分が何であるかは、そうした孤独であることの中から初めて自分なりに発見されるものですから。(66頁)

 自分とはなにかという問いに対する著者の返信である。他者との関係性や、表面的な特徴ということではなく、孤独の中で自分の内側と向き合うことによって自分自身を知ることができるとしている。まじめに自分自身に向き合うことで近代的な自我を見出すというように捉えれば、著者の『悩む力』でも述べられた印象的な点とも繋がっている。

 君がやったことは生にとって意味のないことではけっしてありません。そんなはずがありません。そうではなく、君は人が「生きた」という人生の証をはっきりさせるための“ピリオド”を打つ仕事をしたのです。君は人の魂の“看取り”をする仕事に取り組んだのですよ。君がそれをやったからこそ、君が見つけた遺骸は単なる物体でなくなったのです。単なる死者でなくなったのです。生き生きとした、輝くような過去を持った永遠の人になったのです。
 君の取り組みを見て、わたしは改めて死は生の中にくるまれて存在していることを実感しました。死と隣り合わせ、死と表裏一体でつながっているからこそ、生は輝き、意味のあるものになる。そのことを改めて感じました。
 死の中に生が含まれている。
 生の中に死がくるみこまれている。
 それは矛盾ではありません。それが人間というものの尊厳を形成しているのです。(167頁)

 3・11後に、津波で流された方々の遺骸を海中から探し出すボランティアを行なってきた学生は、変わり果てた遺体と遭遇して探し出したことへの恨みの言葉を吐く遺族と接してショックを受ける。死を受け容れることの意義を見出せずに悩む若者に、著者は、死と生とが表裏一体であるという考え方を提示する。さらに、生と死とが相互依存関係にあることによって、そこから人間としての尊厳が形成されるという考え方が、趣き深い。


2015年11月9日月曜日

【第513回】『オリエンタリズム 下』(エドワード・W・サイード、板垣雄三・杉田英明監修、今沢紀子訳、平凡社、1993年)

 上巻に続き、知が生み出す影響について考えさせられる。

 オリエンタリストとは書く人間であり、東洋人とは書かれる人間である。これこそオリエンタリストが東洋人に対して課した、いっそう暗黙裏の、いっそう強力な区別である。このことを認識することによって、我々はオルロイの発言を説明することが可能になる。東洋人に割り当てられた役割は消極性であり、オリエンタリストに割り当てられた役割とは、観察したり研究したりする能力である。ロラン・バルトが述べたように、神話(と、それを永遠化するものと)は、絶え間なく自己をつくりだしうるものである。東洋人は固定化された不動のもの、調査を必要とし、自己に関する知識する必要とする人間として提示される。いかなる弁証法も要求されず、いかなる弁証法も許されない。そこにあるのは情報源(東洋人)と知識源(オリエンタリスト)である。つまり、筆記者と、彼によってはじめて活性化される主題である。両者の関係は根本的に力の問題であり、それについては数多くのイメージが存在している。(244頁)

 書く側と書かれる側。主体と客体。それぞれの相補関係が、それぞれの存在を固定的なものにし、動的な弁証法の成立を許さない。知をいたずらに礼讃するのではなく、知がもたらす「不都合な真実」に目を向けることもまた、私たちには求められるのではないだろうか。

2015年11月8日日曜日

【第512回】『オリエンタリズム 上』(エドワード・W・サイード、板垣雄三・杉田英明監修、今沢紀子訳、平凡社、1993年)

 学部の頃から本書には興味関心を持って読んできたが、これまではなかなか馴染めなかった。今回、改めて読んでようやく、しっくりきた感じがする。まだ読解できない部分もあるが、学びに繋がったポイントをいくつか記していきたい。

 オリエンタリズムとは、オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋の様式なのである。(21頁)

 一つの概念としてオリエンタリズムを描き出そうとした著者。上記の端的な定義づけに、その内容が凝縮されている。

 バルフォアにとって、知識の意味するところは、文明をその起源から、盛時、衰退に至るまで概観することーーそして、もちろん、概観することが可能だ、ということである。そしてまた、知識とは、直接性を乗り越え、自我を超え出て、異質性、遠隔性の彼方にまで上昇することを意味している。こうした知識によって対象化されるところのものは、本来、調査=詮索にもてあそばれる脆弱性を帯びざるをえない。しかもここでの対象とは、たとい諸文明の変遷に見られるごとく、それ自体、発展・変化・変形をとげることがあるにせよ、それにもかかわらず基本的に、いや存在論的にさえも、不変の安定した「事実」そのものなのである。そのようなものについて先述のごとき知識をもつということは、それを支配すること、つまり、それに対して権威を及ぼすということにほかならない。ここでいう権威とは、「我々」が「それ」ーーオリエントの国ーーの自主性を否認するということを意味する。なぜなら、我々はそれを知っているとともに、またそれがある意味で、我々が知っているがごとくに、存在しているからである。(82~83頁)

 知識とは対象を客観的に把捉することを可能とし、そうして把捉できるものに対して、私たちはあたかもそれを支配しているかのような感覚を抱く。そうした認識は主体者の認識におけるパラダイムとなり、特定の知識によっては、あまねく対象を特定の内容にしか理解できないように、認識のフォーカスが狭められる。知識の可能性というよりも、その内在的な制約に焦点を当てたこの指摘は、心して受け止めたい部分である。

 クローマーとバルフォアの言葉は、東洋人をば、あたかも(法廷で)裁かれるような存在として、あたかも(カリキュラムに沿って)学習され、図画として描かれるような存在として、あたかも(学校や監獄で)訓練を施されるような存在として、またあたかも(動物図鑑において)図解されるような存在として描出するものであった。要するに、東洋人は、いずれの場合にも、支配を体現する枠組のなかに封じ込められ、またそのような枠組のもとで表象される存在なのである。(中略)
 オリエントは、まさしく、教室や刑事裁判所や監獄や図鑑というような枠組によって規定される存在として眺められた。つまりオリエンタリズムとは、オリエント的事物を、詮索、研究、判決、訓練、統治の対象として、教室、法廷、監獄、図鑑のなかに配置するようなオリエント知識のことなのである。(100~101頁)

 知識として同定されると、それは既存の体系の中に整理されることになる。こうして、主体者は知識によって客体を支配する構図ができあがる。subjectという単語が、主体と対象という意味合いを同時に持つことから、主体と対象とは相互依存的に成立するということがよく言われる。知識というレンズを用いて、客体を支配することで主体意識が生まれる構図は、ここでの著者の指摘を読めばよく分かるだろう。

 知とは本質的に素材を可視的にするものであり、一覧表の目的とは一種ベンサム式の一望監視施設を建設することであった。こうして学問的規律=訓練は特殊な能力の応用技術となる。それは、使用者(やその弟子たち)のために、(もしその使用者が歴史家であるならば)これまでは見失われていたもろもろの道具と知識とを獲得させるものなのであった。(295頁)

 可視化されることによって、その存在は、常に観察可能な対象として、主体から監視される対象となる。その様をベンサムのパノプティコンを用いて表していることが、私たちの理解をより進めていると言えよう。

 何かある現実についての知識が一杯つまっていることを謳い文句としつつ、いま私が述べたのと似たような状況から生み出されてきたテクストは、そう簡単なことではお払い箱にされることがない。これは専門的著作と呼ばれ、場合によっては、学者や研究機関や政府がそれにお墨付きを与えることもある。そのおかげで、そのテクストは、現実的成功が保証する以上に大きな威信を担うことになる。そしてもっとも重要なことは、こうしたテクストが、たんに知識だけではなく、そのテクストが叙述しているかに見える当の現実をさえも創造することが出来るという点である。やがて、こうした知識と現実とは、一種の伝統を、つまりミシェル・フーコーが言説と呼ぶところのものを生み出すことになる。(223~224頁)

 さらに、知識が権威ある主体によってテクストとして編纂されることで、知識それ自体に権威づけがなされる。ここまで進むと、知識により描き出させる現実によって、ある種の現実解釈が創造されるということになる。こうした新しい解釈構造が、フーコーの言う言説として呼び表されている。

 文化とはすべて、生のままの現実に矯正を加え、これを捉えどころのない対象から一定の知識へと変化させるものである。これは我々が忘れてはならぬ事実である。問題は、こうした変換が生じること自体にあるのではない。これまで扱ったことのない未知の物体の攻撃を受けたとき、人間精神がそれに抵抗するのは至極当然のことである。だからこそ、文化はつねに異文化に対して完全な変形を加え、それをあるがままの姿としてではなく、受け手にとってあるべき姿に変えてから受けとろうとしてきたのである。(157~158頁)

 生活や現実解釈の集合である文化もまた、知識の積み上げとして創造される。そうした文化の出自を認識することで、異「文化」理解という、本質的に異なる「文化」を支配する言説構造を自覚することができる。そうした態様こそが、異「文化」の受容に繋がるのではないだろうか。

2015年11月7日土曜日

【第511回】『ワーク・ルールズ!』(ラズロ・ボック、鬼澤忍・矢羽野薫訳、東洋経済新報社、2015年)

 Googleの人事トップが自社の人事施策を詳らかに記した本書。ビジネス書というものは、そこに書かれているものを鵜呑みにしてそのまま自社に適用しようとしても無理が生じる。元のものと元の状態で適用としてうまくいかずに「使えない」というのではなく、自社にとって適切なものを、いったん抽象化して具象化する。こうした謙虚な知的作用の繰り返しを行なうことが、他社の事例から学ぶということではないだろうか。

 示唆的な内容に富んだものであるが、ここではポイントを絞って書いていく。まずはマネジャーについて。

 問題は「最高の人材」の定義が人によって異なることだ。あるいは、あなたにとっての最低の人材が私にとっての最高の人材より優れている可能性もある。この場合、全員を昇進させるべきであると同時に、ひとりも昇進させるべきではないことになってしまう。組織全体が最も公正な状態になるよう求めるならーーそうなれば社員は会社をいっそう信頼するようになるし、報酬はいっそう有意義なものとなるーーマネジャーはこうした権力を手放し、いくつものグループを通じて結論が調整されるようにしなければならない。
 これらの昔ながらのアメとムチを使えないとしたら、マネジャーはどうすればいいのだろうか?残された道はひとつしかない。グーグルのエリック・シュミット会長の言葉を借りれば「マネジャーはチームに奉仕する」のだ。(Kindle No. 467)

 マネジャーは権力を徒に行使するべきではない。部下に対して上から指示を下すことも時には必要であろうが、チームが価値貢献できるようにチームに対してエネルギーを注ぐ
こと。自身のいる組織という個別具体的な状況を絶対視するのではなく、そうした状況を客観視し、チームとしてどのように対応するべきかを考える。これがマネジャーに求められる最も大切な役割の一つなのであろう。

 次に、採用について。

 この問題に対処すべく、私たちはそれぞれの求職者が受ける面接の回数を思い切って減らした。また、紹介してもらった人向けに最高のサービスを開発した、紹介してもらった人には48時間以内に電話をかけ、紹介してくれたグーグラーには求職者の状況に関する最新情報を毎週提供するのだ。(Kindle No. 2014)

 社員紹介制度に対する不満への対処方法である。極めてテクニカルな内容であり、一つひとつのアクションは難しいことではない。しかし、社員紹介制度を企画・運用したことがある方にとっては自明であろうが、これらを愚直にやり続けることは存外手間であり、完遂するには時間と労力が掛かる。そうだからといってできない理由にはならないだろう。なぜなら、グーグルのような数万人規模の大企業でかつ就職希望者が多い企業において、きめこまかな対応ができているのであるから、他の企業でできないことはないだろう。

 採用マシーンをつくるための第1段階は、あらゆる社員をリクルーターに変えるべく、人材の紹介を依頼することだ。しかし、友人をひいきするという誰もが持っている自然なバイアスを抑制するため、客観的な立場の人に採用を決めてもらう必要がある。組織が成長すると、第2段階として、最高のネットワークを持つ人々に優秀な人材の確保にもっと時間を割いてくれるよう頼む番だ。人によっては、それがフルタイムの仕事になるかもしれない。(Kindle No. 2136)

 採用は、Hiring Managerや人事のみが扱うイシューではない。全ての社員をリクルーターとして捉えるということは、採用をイベントではなく日常業務の一つとして捉える視座の変容を意味する。

 第三に、業績管理について見てみよう。

 多くの組織で実行されている業績管理は、規則にもとづく官僚的プロセスになっていて、実際に業績を改善するというより、管理自体が目的になってしまっているということだ。社員もマネジャーもそれを嫌っている。人事部門でさえ嫌っているのだ。(Kindle No. 3563)

 手段の目的化としての業績管理に意味はない。というよりも、多くの手段の目的化と同じように、むしろ害悪となりかねない。著者の痛烈な指摘に、公然と反論できる人事担当者がどれほどいるだろうか。

 多くの企業が業績評価を完全に放棄しつつあるのに、グーグルが評価システムにこだわるのはなぜか?
 それは公正さのためだと私は思う。
 業績評価はツールであり、マネジャーが給与や昇進について決定を下す過程を簡素化するデバイスだ。ひとりの社員として、私は構成に処遇されたい。(中略)業績評価がしっかりしていれば、社内の異動もしやすくする。(中略)数百人以上のメンバーがいるチームなら、社員は個々のマネジャーよりもしっかりしたシステムのほうが安心して信じられる。それは、必ずしもマネジャーが不当だったり偏見を持っていたりするからというわけではなく、キャリブレーションを含む業績評価の手続きによって、不当さや偏見が積極的に排除されるからなのだ。(Kindle No. 3852)

 日本の多くの企業では、業績管理システムは一つの主要な人事管理システムとして機能しているが、米国ではその潮流に変化が生じてきている。そうした中でグーグルがなぜ業績評価を続けているのか。著者は、その理由を端的に、マネジャーの恣意性を排除した客観的かつ簡素なプロセスによって給与や昇進を構成に行なうための手段であるからとしている。

 最後に、著者がグーグルで得られる経験の要諦について述べている印象的な箇所を引用して、本稿を終えることとする。

 本書の執筆に際して私が願っていることのひとつは、読者がみずからを創業者だと考えるようになってほしいということだ。会社全体の創業者ではないとしても、チーム、家族、文化の創始者なのだと。グーグルの経験から得られる基本的な教訓は、自分は創業者になりたいのか、それとも従業員になりたいのかを最初に選ばなければならないということだ。これは、文字どおりの所有権の問題ではない。態度の問題なのだ。(Kindle No. 783)

2015年11月3日火曜日

【第510回】『キャリアという言葉に抵抗を感じるあなたへ』(石山恒貴、ヒューマンバリュー、2015年)

 キャリアという言葉は、誤解して受け取られたり、否定的に捉えられたりしてしまうことがある。人事管理や組織行動論を専門にしているごく一部の人々を除けば、決して分かりやすい概念ではないからであろう。その結果、キャリアという言葉を嫌うことによって、自分自身のキャリアについて考えられなかったり、充分にキャリア開発を行なえなくなってしまうという皮肉な事象も生じているのではないか。著者は、そうした状況を憂慮し、大学、学校、企業、NPOといった様々な組織において、キャリアという概念を広げる活動を展開されている。本書も、本日現在、Kindleで無料でダウンロードできるなど、キャリアの伝道師として真摯に活動される姿には、頭が下がる想いである。

 本書は、タイトルにもある通り、キャリアという概念を否定的に捉えている方にこそ読んでいただきたい書籍である。そうした方々が気軽に手に取ってもらえるように、副題には「1時間で読める」という文言があり、実際に一時間前後で読み終えることができる。入門書として、また楽な気持ちでキャリアについて触れてみる書籍として、非常に適した一冊である。

 では、そもそもなぜキャリアという概念を私たちは考える必要があるのであろうか。いくつか理由はあるが、端的に、ビジネスを取り巻く環境要因が変化し、私たちの仕事じたいも変化する、という変化の時代を生きるために重要な考え方だからである。以下からは、変化という側面に焦点を当て、変化に対応するためのキャリア理論としてサビカスのキャリア・アダプタビリティーに関する議論に着目してみたい。サビカスが提示するConcern、Control、Curiosity、Confidenceという4つのCを重視することによって、キャリアの変化に適応できる力を高めることができる、と著者はしている。その結果として、働く個人は、「自分の人生を自分の視点で見つめ直せる」(Kindle No. 427)という効用を見出すことができる。

 自分自身のキャリアを自らの視点で見つめ「直せる」という表現が示すように、ここでのキャリアの捉え方は、静的なものではなく動的なものであることに留意する必要がある。変化の時代においては、キャリア意識そのものもまた、動的に変化し続けるものであり、視点によって異なる意味合いを有する柔軟な考え方が求められる。こうしたサビカスの理論に影響を与えたものが、フーコーの提唱する言説である(Kindle No. 443)という指摘は興味深いし、充分に首肯できるものであろう。

 このように考えれば、サビカスのキャリア適応をはじめとしたキャリア構築理論の体系は、私たちが抱く「さまざまな思い込みに対し、自分のキャリアを言葉で再構築し、自分を見つめ直すための理論」(Kindle No. 459)であると言える。私たちの多くは、安定を求めて変化を嫌う弱い存在なのではないだろうか。目標を宣言してその目標達成のためにカスケーディングした行動に邁進したり、固定的に自分のミッションやバリューを捉えることで、安心して生きていきたいと考えてしまう。むろん、目標を創り上げたり、理念や価値観を紡ぎ出すことが悪いわけではない。そうしたものを固定的に捉えて、自分自身の内なる可能性に目を向けなくなり、変化を否定的に捉えてしまうことが問題なのである。だからこそ、自身の考え方を相対化し、意味づけし続けるための一つのツールとして、私たちは、キャリア適応の考え方を意識するのが好ましいのではないだろうか。


2015年11月2日月曜日

【第509回】『濹東綺譚』(永井荷風、新潮社、1951年)

 途中まで書き進めてきた小説を書き上げようとする主人公の視点によって淡々と物語が展開される。分かりやすいクライマックスが訪れることもなく、粛然とした状態のままに物語は終わりを迎える。

 毎夜電車の乗降りのみならず、この里へ入込んでからも、夜店の賑う表通は言うまでもない。路地の小径も人の多い時には、前後左右に気を配って歩かなければならない。この心持は「失踪」の主人公種田順平が世をしのぶ境遇を描写するには必須の実験であろう。(41頁)

 小説家が小説家を描くという、屋上屋をかけるような書かれ方によって、不思議と静謐な印象を本作には感じる。ドラマチックな小説も良いが、静かな小説というものも良いものだ。

2015年11月1日日曜日

【第508回】『動的平衡』(福岡伸一、木楽舎、2009年)

 ここで私たちは改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができる。「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」という回答である。
 そして、ここにはもう一つの重要な啓示がある。それは可変的でサスティナブルを特徴とする生命というシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」であるということだ。生命現象とは構造ではなく「効果」なのである。
 サスティナブルであることを考えるとき、これは多くのことを示唆してくれる。サスティナブルなものは常に動いている。その動きは「流れ」、もしくは環境との大循環の輪の中にある。サスティナブルは流れながらも、環境との間に一定の平衡状態を保っている。(中略)
 サスティナブルなものは、一見、不変のように見えて、実は常に動きながら平衡を保ち、かつわずかながら変化し続けている。その軌跡と運動のあり方を、ずっと後になって「進化」と呼べることに、私たちは気づくのだ。(232~233頁)

 動き続けることによって、自分という存在の身体や人格における安定を保つ。私たちの細胞が常に更新し続けて、少し前の身体的な自分と現在の自分とが全く異なるのであるから、動的に平衡を保つということは私たちの使命となる。見かけの上では、変っている様子が分からないためにイメージしづらいことを、著者は分かりやすく解説してくれている。

 人間の記憶とは、脳のどこかにビデオテープのようなものが古い順に並んでいるのではなく、「想起した瞬間に作り出されている何ものか」なのである。
 つまり過去とは現在のことであり、懐かしいものがあるとすれば、それは過去が懐かしいのではなく、今、懐かしいという状態にあるにすぎない。(中略)
 細胞の中身は、絶え間のない流転にさらされているわけだから、そこに記憶を物質的に保持しておくことは不可能である。それはこれまで見てきたとおりだ。ならば記憶はどこにあるのか。
 それはおそらく細胞の外側にある。正確にいえば、細胞と細胞とのあいだに。神経の細胞(ニューロン)はシナプスという連繋を作って互いに結合している。結合して神経回路を作っている。
 神経回路は、経験、条件づけ、学習、その他さまざまな刺激と応答の結果として形成される。回路のどこかに刺激が入ってくると、その回路に電気的・化学的な信号が伝わる。信号が繰り返し、回路を流れると、回路はその都度強化される。(36~37頁)

 記憶に関しても「動的平衡」はもちろん適用される。私のような、自然科学に疎い人間としては、記憶が頭の中のどこかに引き出しのように存在していて、それを探し出す作業を行っているように思ってしまうが、そうではない。細胞が入れ替わることを考えれば、新しい細胞同士を結合する作用こそが、記憶というメカニズムを解き明かす鍵となる。このような構造となっているからこそ、何かを記憶しようとするときに、私たちはそれを既存の知識と結びつけてエピソードとして関連づけることを行なうのである。

 自然界は渦巻きの意匠に溢れている。巻貝、蛇、蝶の口吻、植物のつる、水流、海潮、気流、台風の目。そして私たちが住むこの銀河系自体も大きな渦を形成している。
 私たちは人類の文化的遺産の多くに渦巻きの文様を見る。それは、人類史の中にあって、私たちの幾代もの祖先が渦巻きの意匠に不可思議さと興味、そして畏怖の念を持っていたからに違いない。
 渦巻きは、おそらく生命と自然の循環性をシンボライズする意匠そのものなのだ。
 そのように考えるとき、私たちが線形性から非線形性に回帰し、「流れ」の中に回帰していく存在であることを自覚せずにはいられない。(251頁)

 私たちは、仕事においてもプライベートにおいても、過去からの連続で物事を考えたり、目標から落とし込んで計画を立てるなど、線形的な思考の慣れ過ぎているのではないか。しかし、自然界や伝統的な文化といった過去からの遺産に目を向けると、そこには非線形性の叡智が溢れている。


2015年10月31日土曜日

【第507回】『銀翼のイカロス』(池井戸潤、ダイヤモンド社、2014年)

 JALや民主党を思わせるようなモデルによって描かれる一大活劇。半沢の活躍はいつものことながら、巨大企業トップである中野渡のリーダーとしての有り様に、静かな感動をおぼえる一冊。

 報告書を差し出した内藤は、立ち上がり、深々と一礼して部屋を後にした。中野渡の返事を待つことも、余計な意見を差し挟むこともない。後にはただ、研ぎ澄まされたプライドと思念だけが生々しい気配を残すのみだ。(327頁)

 「物事の是非は、決断したときに決まるものではない」
 中野渡はいった。「評価が定まるのは、常に後になってからだ。もしかしたら、間違っているかも知れない。だからこそ、いま自分が正しいと信じる選択をしなければならないと私は思う。決して後悔しないために」(370頁)

2015年10月26日月曜日

【第506回】『ロスジェネの逆襲』(池井戸潤、ダイヤモンド社、2012年)

 半沢の熱さに感銘を受けた第三作。逆境を逆境と捉えず、目の前の人間に対して貢献しようとする誠実な態度こそが、半沢の強さであり、それが機会を自ら創り出すことに繋がったのではないだろうか。

 「オレにはオレのスタイルってものがある。長年の銀行員生活で大切に守ってきたやり方みたいなもんだ。人事のためにそれを変えることは、組織に屈したことになる。組織に屈した人間に、決して組織は変えられない。そういうもんじゃないのか」(172~173頁)

 「だけど、それと戦わなきゃならないときもある。長いものに巻かれてばかりじゃつまらんだろ。組織の論理、大いに結構じゃないか。プレッシャーのない仕事なんかない。仕事に限らず、なんでもそうだ。嵐もあれば日照りもある。それを乗り越える力があってこそ、仕事は成立する。世の中の矛盾や理不尽と戦え、森山。オレもそうしてきた」(213頁)

 「仕事は客のためにするもんだ。ひいては世の中のためにする。その大原則を忘れたとき、人は自分のためだけに仕事をするようになる。自分のためにした仕事は内向きで、卑屈で、身勝手な都合で醜く歪んでいく。そういう連中が増えれば、当然組織も腐っていく。組織が腐れば、世の中も腐る。わかるか?」(367頁)

2015年10月25日日曜日

【第505回】『オレたち花のバブル組』(池井戸潤、文藝春秋、2008年)

 「半沢直樹」シリーズ第二作。小気味の良いテンポで展開されるストーリーに魅了されながら、時に見え隠れする働く想いに感銘を受ける。

 「もしここで銀行から追い出されてみろ。オレたちは結局報われないままじゃないか。オレたちバブル入行組は団塊の世代の尻拭き世代じゃない。いまだ銀行にのさばって、旧Tだなんだと派閥意識丸出しの莫迦もいるんだぜ。そいつらをぎゃふんといわせてやろうぜ。オレたちの手で本当の銀行経営を取り戻すんだ。それがオレのいってる仕返しってやつよ」(中略)
 「いいか、バブル組の誰を役員室の椅子に座らせるか決めるのは奴らだ。団塊世代が気に入った人間をひっぱりあげる。それでいいのか。まさかお前、自分がみんなに好かれていると思っているわけでもあるまい?」
 「どう思われようと関係ないな」
 半沢はさらりとかわした。「自分の頭で考えて、正解と思うことを信じてやり抜くしかない」
 「その結果、とんでもないしっぺ返しを食らっても、か」
 「その組織を選んだのはオレたちだ」
 半沢がいうと、渡真利は舌打ちしてだまりこんだ。
 「それを撥ね返す力のない奴はこの組織で生き残れない。違うか、渡真利」(232~233頁)

 半沢と渡真利。腹蔵のない同期同士の会話の中には、どちらにも真実が溢れているように思える。世代、組織、個人の力量、信念、キャリア。様々なことを考えさせられる対話である。

 「もう一度いう。見たことも会ったこともない者を社長に据えるような再建計画なんかゴミだ。なんであんたがそんなバカでもやらないようなミスをしたか、教えてやろうか。それはな、客を見ていないからだ」
 福山は、はっとして顔を上げた。
 「あんたはいつも客に背を向けて組織のお偉いさんばかり見てる。そして、それに取り入り、気に入られることばかり考えてる。そんな人間が立てた再建計画など無意味なんだよ。なぜならそれは伊勢島ホテルのために本気で考えられたものじゃないからだ。あんたの計画は、身内にばかり都合よく出来ている。それで企業が再建できると思っているのなら、これはもう救いようのない大馬鹿者だ。反論があるなら聞かせてもらおうか、福山」(261~262頁)

 半沢の信念のありかが端的に現われているのではないか。上司や組織といった身内ではなく、客を基点に何ができるかを考えること。客とは、社外だけではなく社内にもいるものだ。そうした多様なステイクホルダーとしての客への貢献を第一に考えた上で、自分が何をすべきかを考えること。そうすることが、自分自身の信念に基づいた行動を支える礎となる。

 一人になって、もう一度自分の人生を考えるときがあるとすれば、それは今だと半沢は思った。
 人生は一度しかない。
 たとえどんな理由で組織に振り回されようと、人生は一度しかない。
 ふて腐れているだけ、時間の無駄だ。前を見よう。歩き出せ。
 どこかに解決策はあるはずだ。
 それを信じて進め。それが、人生だ。(361頁)

 取締役会での大和田との対決に勝ちながら、社内バランスの関係で意に添わない人事異動の内示を受けての半沢のモノローグ。転機に読みたい言葉だ。

2015年10月24日土曜日

【第504回】『オレたちバブル入行組』(池井戸潤、文藝春秋、2004年)

 いわゆる「半沢直樹」シリーズの一作目。数年前のドラマ版では、初回と最終回だけを観ることで感動を世間と共有することができた。飽きっぽい性格なのかドラマを毎週観ることはまずできないが、他方で、単純な性格なためにプロットが把握できれば最初と最後だけ観れば感動できる。

 テレビの時に感じたのは、企業を舞台にした勧善懲悪モノという印象であった。そうした印象は読後の今もあまり変らない。しかしそれに加えて、同期という存在のありがたさ、懲らしめられる側へのある種の共感、という二点が印象的であった。

 「夢を見続けるってのは、実は途轍もなく難しいことなんだよ。その難しさを知っている者だけが、夢を見続けることができる。そういうことなんじゃないのか」(316頁)

 半沢が、同期である渡真利に対して語る発言である。こうした熱い言葉を言い合える関係性というのは、通常の同僚や上司部下関係ではなかなか成立しないのではないか。しかし、同期という「同じ釜の飯を食った」間柄では、衒いもなく言える瞬間が時に訪れるように思う。そうした時に、私たちは、自分が今の状態で成し遂げたいこと、将来における夢といったものを、心の底から掬い取って言葉にできるのかもしれない。

 自分が大切にしていたプライドなど、いまやまったく意味もなく、根拠もない。こんなものを守ろうとあがいた挙げ句、抜けないほど深い泥沼に足を突っ込んでしまったではないか。情けなかった。そんな自分を呪いたくもなった。つまらないビデオを観たときのように、テープを巻き戻せるものならそうしたい。(231頁)

 半沢に懲らしめられる側である支店長のモノローグである。悪しきことを為す人にも理由がある。一つの失敗がさらに悪い結果を招き、どうしようもなくなった時に、それが自身の周囲の大切な存在にまで及んでしまうことを防ごうとして、組織や同僚に悪事を為す。悪とは相対的なものであり、二分法で善と悪とを切り分けて正義を振りかざすことの無意味さと危険性を考えさせられる。

2015年10月19日月曜日

【第503回】『明暗』(夏目漱石、青空文庫、1917年)

 漱石の絶筆として有名な本作。未完の作品を読むのは初めてであるが、その終わり方に新鮮な驚きをおぼえる。完結しないからこそ、読者は、先を想像することが自由にできる。「未完の大器」という言葉があるように、完成していないものに対して、私たちは魅せられるものなのかもしれない。

 彼の知識は豊富な代りに雑駁であった。したがって彼は多くの問題に口を出したがった。けれどもいつまで行っても傍観者の態度を離れる事ができなかった。それは彼の位置が彼を余儀なくするばかりでなく、彼の性質が彼をそこに抑えつけておくせいでもあった。彼は或頭をもっていた。けれども彼には手がなかった。もしくは手があっても、それを使おうとしなかった。彼は始終懐手をしていたがった。一種の勉強家であると共に一種の不精者に生れついた彼は、ついに活字で飯を食わなければならない運命の所有者に過ぎなかった。(Kindle No. 817)

 主人公である津田の叔父の描写である。皮肉な表現の中に、現代を生きる私たちでも想像できるような人物像が見出せる。

「どうだ解ったか、おい。これが実戦というものだぜ。いくら余裕があったって、金持に交際があったって、いくら気位を高く構えたって、実戦において敗北すりゃそれまでだろう。だから僕が先刻から云うんだ、実地を踏んで鍛え上げない人間は、木偶の坊と同じ事だって」(Kindle No. 7528)

 厭味な友人である小林が津田に対して述べる台詞。小憎らしい人物である小林ではあるが、不思議と憎みきれないような人物描写になっているところが漱石の為せるわざであろう。

 彼はどこかでおやと思った。今まで前の方ばかり眺めて、ここに世の中があるのだときめてかかった彼は、急に後をふり返らせられた。そうして自分と反対な存在を注視すべく立ちどまった。するとああああこれも人間だという心持が、今日までまだ会った事もない幽霊のようなものを見つめているうちに起った。極めて縁の遠いものはかえって縁の近いものだったという事実が彼の眼前に現われた。(Kindle No. 7849)

 ハッとさせれる文章である。本書で最も印象的であり、考えさせられる部分であった。


2015年10月18日日曜日

【第502回】『人間失格』(太宰治、青空文庫、1948年)

 読み終えてすぐに就寝して、寝ている間から、何だか気持ちが落ち着かない感じが続いている。頭で考えるというよりは、日頃は向かい合うことがほとんどない、心の深奥に直接的にアクセスしているような、決して気持ちが良いとは形容できない感覚である。

 お笑いコンビ「ピース」のボケ担当であり芥川賞作家でもある又吉直樹さんがどこかの媒体で書いていたように、本作には、読み手が共感できる部分が多いのであろう。潜在的な人間の有り様に触れる何かがあるからこそ、記憶を整理整頓する睡眠時に、脈絡なく様々なことを考えたり感じたり気づかされたりするのではないだろうか。

 本書をはじめて読んだのは高二の夏である。あまりに退廃的な本書を読んだことをきっかけにして、当時の私は大学受験を決意したのだから面白い。自堕落にモラトリアムを生きていた当時の自分にとって、危機感をおぼえさせたとも頭では考えられるが、それ以上の何かが本書にはあるようだ。再読した今、そのように思える。

 互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間の生活に充満しているように思われます。(Kindle No. 234)

 言い訳がましい言い方となるが、私は厭世的な人間ではない(と少なくとも自分では考えている)。むしろ人間や物事の多様な側面のうち、前向きなものを選択的に掬いとってそこに意味を見出そうとすることが多いタイプだ(と認識している)。そうした世界観を有する身でも、この部分にははっとさせられるし、人間社会の一つの側面として、あまり見たくないものがあるのではないかと首肯せざるを得ない。特に、「清く明るくほがらかな不信」というアンビバレントな表現に着目したい。

 自分は、人間のいざこざに出来るだけ触りたくないのでした。その渦に巻き込まれるのが、おそろしいのでした。(Kindle No. 738)

 我が意を得たりと思わず膝を叩きたくなる。面倒であるという感情もあるが、むしろ問題が起きている複数の関係性が織り成す柵に対して、期せずして自身で最後の決定的な一打を加えてしまうことが怖いのである。臆病な精神が、為すべきを為さざることによって、結果的に自然に悪化する現象を傍観したいという気持ちは、世の中の決して少ない人が共有しているのであろうか。

 世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてから、自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事が出来るようになりました。(Kindle No. 1120)

 日本社会では「空気を読む」ことが処世術の一つとして必要だと言われる。学校や企業といった日本社会の縮図としての組織を鑑みると、「空気を読む」ことの必要性はたしかにあるだろう。しかし、「空気を読む」だけでは、自分自身が何かを新たに為そうとする、さらに言えば他者を巻き込んで何かを成し遂げようとすることはできない。そうした時には、世間という無形で強力な存在を相手にするのではなく、個人の集合として捉えて、個々の人々に対応すること。個人を相手にすれば、自分自身の意志を明確に意識して提示することもできる。本書においては、この引用箇所は決して前向きに捉えられる文脈には配置されていないが、意図的にこのように拡大解釈することも小説を読む一つの醍醐味ではないだろうか。

 実に、珍しい事でした。すすめられて、それを拒否したのは、自分のそれまでの生涯に於いて、その時ただ一度、といっても過言でないくらいなのです。自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。すすめられて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れが出来るような恐怖におびやかされているのでした。(Kindle No. 1601)

 どうも私という人間は、自分自身で考えて、独力で決断し、我が道を、時にわがままに、生きていくタイプと思われているようだ。ここまで書くと書きすぎであるかもしれない(と信じている)が、多分にそうした傾向はあるのだろう。それでも、上記の引用箇所にはいたく共感していることをここで断言しておきたい。


2015年10月17日土曜日

【第501回】『パンドラの匣』(太宰治、青空文庫、1946年)

 『火花』を読んでから、太宰を改めて読みたいと思っていた。面白いと思った小説の著者が影響を受けた著者の作品を読むというのはいいものだ。

 お父さんの居間のラジオの前に坐らされて、そうして、正午、僕は天来の御声に泣いて、涙が頬を洗い流れ、不思議な光がからだに射し込み、まるで違う世界に足を踏みいれたような、或いは何だかゆらゆら大きい船にでも乗せられたような感じで、ふと気がついてみるともう、昔の僕ではなかった。(Kindle No. 129)

 太平洋戦争が終わる瞬間をどのように日本国民が迎えたのか。その受け止め方には、世代や立場によって様々であろうし、いたずらに普遍化しようとするつもりは毛頭ない。著者が、このような表現を取っていることに着目してみたい。

 ひとの行為にいちいち説明をつけるのが既に古い「思想」のあやまりではなかろうか。無理な説明は、しばしばウソのこじつけに終っている事が多い。理論の遊戯はもうたくさんだ。(Kindle No. 24)

 先の引用で「昔の僕」から変った結果として、「古い「思想」」に対する鋭い指摘が為されている。「理論の遊戯はもうたくさんだ」という気持ちを、当時の一部の人々は、心の底から思ったのではないだろうか、という推察をしてみたくなる。

 男児畢生危機一髪とやら。あたらしい男は、つねに危所に遊んで、そうして身軽く、くぐり抜け、すり抜けて飛んで行く。
 こうして考えてみると、秋もまた、わるくないようだ。少し肌寒くて、いい気持。(Kindle No. 1326)

 「古い「思想」」を否定してどのように生きるか。価値観の変容は、一直線に為されるものではなく、その過程において様々な要素が絡んでくるものだ。本書における主人公や彼を取り巻く人々にも様々な立場からの言動が見られる。そうした中で何となく心惹かれるのが、上記の引用箇所に見られる主人公の表現である。「危所」で「遊ぶ」という相反する文言が並置しているところが面白い。

 君、あたらしい時代は、たしかに来ている。それは羽衣のように軽くて、しかも白砂の上を浅くさらさら走り流れる小川のように清冽なものだ。芭蕉がその晩年に「かるみ」というものを称えて、それを「わび」「さび」「しおり」などのはるか上位に置いたとか、中学校の福田和尚先生から教わったが、芭蕉ほどの名人がその晩年に於いてやっと予感し、憧憬したその最上位の心境に僕たちが、いつのまにやら自然に到達しているとは、誇らじと欲するも能わずというところだ。この「かるみ」は、断じて軽薄と違うのである。慾と命を捨てなければ、この心境はわからない。くるしく努力して汗を出し切った後に来る一陣のその風だ。世界の大混乱の末の窮迫の空気から生れ出た、翼のすきとおるほどの身軽な鳥だ。これがわからぬ人は、永遠に歴史の流れから除外され、取残されてしまうだろう。ああ、あれも、これも、どんどん古くなって行く。君、理窟も何も無いのだ。すべてを失い、すべてを捨てた者の平安こそ、その「かるみ」だ。(Kindle No. 1843)

 さらにすすんで「かるみ」へと至る。戦後における時代思潮として挙げられている一方で、二十一世紀の現代においてもなんとなく共感できるのだから、甚だ興味深い。

2015年10月12日月曜日

【第500回】『人を伸ばす力 内発と自律のすすめ』(エドワード・L・デシ+リチャード・フロスト、桜井茂男監訳、新曜社、1999年)

 内発的動機づけについて丁寧に述べられた本作。修士時代の研究テーマとも関連するものであり、今回で読むのは実に四回目を数えるが、未だに新しい気づきを得られる。単に失念していただけの部分もある一方で、取り組んでいる課題に応じて学べるポイントが異なるということも言えよう。

 内発的動機づけとは、活動それ自体に完全に没頭している心理的な状態であって、(金を稼ぐとか絵を完成させるというような)何かの目的に到達することとは無関係なのである。(28頁)

 内発的動機づけを著者はこのように端的に定義づけた上で、自律と有能感という二つの要素から成り立つと述べる。まず自律から見ていく。

 ある行動が自律的だ、その人が偽りのない自分を生きていると言えるのは、その行動を開始して調整してゆくプロセスがその人の自己に統合されているときだけである。(5頁)

 結果ではなくプロセスが対象となっていること、加えて、そのプロセスを自身のあり様に合わせて自身で調整していることの二点が、自律的であるということの条件である。

 制限の設定は責任感を育てるうえでも非常に重要である。問題はそのやり方なのである。自律性を支えるしかたで制限を設けることによって、つまり相手を操作する対象、統制する対象と見なすことなく、制限される側の立場に立ち相手が主体的な存在であることを認めることによって、偽りのない自分であることを損なわずに責任感を育てることができる。(58頁)

 自律性の条件が自己に内在していることを考えると、自律性を他者によってサポートすることはできないように一見すると思える。しかし、著者はそうした考えを退け、他律的に他者に関与するのではなく、相手の主体性を前提に置いた上で関与することが大事であるとしている点に注目するべきであろう。

 有能感は、自分自身の考えで活動できるとき、それが最適の挑戦となるときにもたらされる。(89頁)

 第二の要素である有能感については、行動の背景にある考えや意志に自分が関与していることと、その内容が挑戦しがいがあり実行可能なものであること、という二点が挙げられている。企業における目標設定を考えれば、分かりやすいだろう。こうした点にも、内発的動機づけの基礎的な考え方は、本来、反映されているのである。

 では、こうした個人に根ざした内発的動機づけの概念が、他者や社会とどのように関わっているのか。

 人間の発達とは、生命体がより大きな一貫性を獲得していきながら、たえず自分自身と周囲の世界に対する内的な感覚を精緻化し、洗練するプロセスなのである。このように、われわれ一人ひとりにとって、自分はいったい何者なのかという問題の中心には、統合された自己という感覚を発達させようとする衝動があるのであり、こうした自然な発達の道すじにとってーー身体的にも精神的にもーー必要な活動が、内発的に動機づけられるのである。(108頁)

 自律と有能感とは、自分自身を主体に置きながら、環境との連続的な相互作用が求められる。こうして、自分自身に閉じることなく、謙虚に他者から影響を受け、また社会に貢献するという活動へと繋がることができる。他者や周囲に開いたフィードバックループを紡ぎ出す点が、内発的に動機づけられた行動の特徴なのである。

 こうした内発的動機づけにネガティヴな影響を与えるものとして、二点を取り上げておこう。

 心理学の用語に、自我関与(ego involvement)ということばがある。これは、自分に価値があると感じられるかどうかが、特定の結果に依存しているようなプロセスのことを指す。(中略)
 研究によれば、自我関与は内発的動機づけを低減するだけでなく、だれもが予想するように、学習や創造性を損ない、柔軟な思考や問題解決を必要とするあらゆる課題での作業成績を低下させる傾向がある。自我関与している人は融通がきかず、効果的な情報処理が妨げられ、問題に対する思考が浅く表面的なものになる。
 要するに、自我関与とは希薄な自己感覚のうえに構築されるものであり、自律的であることを妨げるように作用する。したがって、より自律的で自己決定的であるためいは、自我関与から距離をおかなければならない。あるいは、少しずつ自我関与を減らしていく必要がある。(160~162頁)

 一つめは自我関与である。特定の結果、通常は肯定的な結果が得られることを前提にしてプロセスに関与する自我関与は、私たちがよく陥りやすいものであろう。ある試合に勝つことだけを前提にしてそのプロセスにおける練習に取り組むことは、その結果が肯定的であれば良いが、否定的な帰結の場合にはその競技自体に対する興味を減衰しかねない。もしくは、終わった後に疲労感に襲われてやる気が起こらなくなるということもあるだろう。

 異常に強い外発的意欲は、偽りの自己の一側面として理解することができる。そうした意欲がそんなにも猛威をふるうのは、その目標を達成できるかどうかによって随伴的自尊感情が生じるからである。(183頁)

 自尊感情には、真の自尊感情と随伴的自尊感情という二つのものがある。真の自尊感情には「統合された価値や規範が伴っている」(165頁)のに対して、随伴的自尊感情は、ある物事の結果に左右する。したがって、結果がうまくいかない場合には、自尊感情を得ることはできない。

 ではどのようにすれば内発的に動機づけることが可能なのか。そのヒントとして、感情の統制を著者は最後に挙げている。

 感情を生起させる刺激の解釈を変えて感情を調節することは、感情を自己に統合し、また自律的になるために必要な二つのステップのうちの一つであり、その過程で、統制的な力を克服するための手段を手に入れることができる。もう一つは、感情が動機づける行動を、うまく調整するための柔軟性を得ることである。(260頁)

改めて、キャリアについて考える。

2015年10月11日日曜日

【第499回】『不動心』(松井秀喜、新潮社、2007年)

 僕は、生きる力とは、成功を続ける力ではなく、失敗や困難を乗り越える力だと考えます。(8頁)

 順境の中でパフォーマンスを発揮することに比べて、逆境の中でいかに結果を出すことの方が難しい。しかし、私たちの日常においては、順境とともに逆境もまた訪れるものである。これは誰にも訪れるものであるのだから、生きていく上でも、またプロフェッショナルとして他者に貢献するためにも、逆境をいかに生きるかが大事なのである。

<日本海のような広く深い心と
 白山のような強く動じない心
 僕の原点はここにあります>(10頁)

 松井秀喜ベースボールミュージアムに寄せた著者の言葉だそうだ。「広く深い心」と「強く動じない心」とから「不動心」が構成されると著者はする。ここに、著者の考え方が凝縮されているようだ。

 これまで星稜高校、巨人、そしてヤンキースでプレーしてきましたが、たとえ自分が活躍して試合に勝ったときも、自分の力で勝った、と思ったことはありません。本当に、そんなふうには考えないのです。ですから、この記者がいうように、自分の力でチームを強くしたい、などとは思いません。
 チームの勝利のために自分がすべきことを考えて打席に入ることが、結果として、自分の成績にもプラスに作用している。これがすべてです。(152頁)

 「強いチームばかりでプレイしてきたが、弱いチームでプレイしてチームを強くしてみたいか」という記者に対する上記の回答が秀逸だ。チームプレイに徹することで、自分のパフォーマンスの向上にも繋げる。チームの結果にもコミットして、自分の結果にもコミットする、ということには、当事者としての強い覚悟が伴う。企業で働くプロフェッショナルにも考えさせられる至言である。


2015年10月10日土曜日

【第498回】『白い巨塔(五)』(山崎豊子、新潮社、2002年)

 改めて読んでも感涙の最終巻。

 以上、愚見を申し上げ、癌の早期発見並びに進行癌の外科的治療の一石として役だたせて戴きたい。なお自ら癌治療の第一線にある者が、早期発見出来ず、手術不能の癌で死すことを恥じる。(401頁)

 財前が死に際して残していた病理解剖に関する意見書。死を以てしても癌に対する取り組みを追求しようとする姿勢と、自身に対する悔やむ気持ち。プロフェッショナルについて考えさせられる至言であり、彼の癌に対する対峙の姿勢と研究に対する真摯な意志が隠されていたことに最後に静かな感動をおぼえる。

2015年10月5日月曜日

【第497回】『白い巨塔(四)』(山崎豊子、新潮社、2002年)

 控訴審での勝利と学術会議選挙での当選という二兎を追う財前。あくの強さで押し切ろうとする姿勢には驚かされるばかりであると同時に、なぜか憎むような気持ちにはなれない。崇高な目的意識というものが弱いとしても、目の前の他者や目標に対して強い意志で取り組もうとする気持ちに、なにか惹かれるものがあるのかもしれない。

 しかし、そうした財前の強い気持ちに影が差し始めるのがこの四巻である。結論を知っているために穿って読んでしまう部分もあるのだが、以下の部分が印象的だ。

 森閑とした静けさの中で、財前はひどく疲れている自分を感じた。一体、何が自分をこう疲れさせるのだろうか。(449頁)

 悲劇的かつ感動的な最終巻のラストに向けた、終わりの始まりである。

2015年10月4日日曜日

【第496回】『白い巨塔(三)』(山崎豊子、新潮社、2002年)

 自分自身の研究に対するキャリアを棒に振ることのリスクに思い悩みながらも、原告の証人として出廷することを決意する里見。里見の悩みと決断に感銘を受けつつ、その反対に位置する財前の魅力がなぜか増すのだから、不思議だ。

「誤診とか、誤療とかということを前提にして解剖するのではありませんよ、噴門癌の手術をしてから三週間の間に、どういう経緯を辿って癌性肋膜炎を引き起したのか、それがどんな形で広がったか、死の直接の原因はなんであったかということを、医学的に解明するために行なわれるのです、そうすることによって遺族の方の気持に納得が行きましょうし、また学問的にも貴重な資料をもたらすことになるわけで、最初に佐々木康平さんを診察した私としても、今度の佐々木康平さんの死因が、どこにあったか、是非、知りたいところです、ですから、もし、解剖を承諾されるのでしたら、一刻も早い方がいいのです、時間の経つほど、せっかく解剖しても正しい資料が得られないことがありますからーー」(81~82頁)

 研究のためにというだけでもなく、患者のためにというだけでもない。両者それぞれにとって重要であるという想いから、遺体の解剖を諄々と諭すように説得する里見の姿勢には、感動すらおぼえる。

「兄さん、僕だって正直なところ、冷飯を食わないですむものなら、すましたいのです、いろんなことがあっても、ともかく大学では僕の望む研究が続けられます、しかし、今度のことはどうしても許せない、一人の医者の心の傲りから、死に至らずともすんだかもしれない患者の命が断たれたそのことだけでも許し難いのに、それを大学の名誉と権威を守るためという美名のもとに、真実を掩い隠そうとしている、僕はやはり、万一、自分の将来に不幸なことが起り得るとしても、勇気をもって事実を述べることにします」(256頁)

 自分の属する組織の人員を守ろうとすることは、組織にとっていわば自明のこととも言える。身内を守るということは、組織を尊重することとも受け止められるし、一人の相手と敵対することは、組織全体を敵に回すことにも繋がりかねない。まして、「白い巨塔」のような、封建的な組織であれば、なおさらである。こうした組織の中で、思い悩みながらも、組織と異なる見解を決然と述べようとする里見の心意気に、思わず襟を正される。

「君の云うように医学者にとって、学問と研究はかけがえのない大切なことだ、しかし、その学問よりさらに大切なものは、患者の生命だ、不条理な死に方をした患者のことを考えると、僕は学問的業績に埋もれた医学者であることにより、無名でも患者の生命を大切にする医者であることを選ぶ、それが医者というものだろうーー」(353~354頁)

 志とはなにか。何のために学び、仕事をするのか。職業とはなんなのか。生き様というと大きすぎるが、少なくとも職業観については考えさせられる。

2015年10月3日土曜日

【第495回】『白い巨塔(二)』(山崎豊子、新潮社、2002年)

 教授選が終わり、後の裁判へと繋がる外科手術へと至る第二巻。

 連日、教授選の工作に神経を磨り減らし、今また鵜飼医学部長から、場合によっては君を推したくとも、推せないと突き放され、今日まで自分のすべてを賭けて来たことが、不成功に終るかもしれない不安の中にたたされている自分と、そんなものと絶縁したところで静かに自分の研究を続けている里見との生き方の相違を、今さらのように感じた。(157頁)

 財前に感じる魅力は、完全無欠の人間であるかのような態度や言動を取る一方で、こうした弱い部分を併せ持つ人間らしさにあるのではないか。ふてぶてしいだけでは嫌みになるが、そこに弱さが加わると人間的魅力が生じるのであるから、おもしろい。

「じゃあ、術後肺炎を起しているんだろう、抗生物質で叩いてみろよ、僕はいささか酩酊気味だからな」(366頁)

 本書を最初に読んだ時から、このフレーズがなぜか記憶に残っている。財前の、およそプロフェッショナルとしての医師としてあるまじき台詞であるにも関わらず、である。一流の著者による言葉遣いの趣深さであろうか。

2015年9月28日月曜日

【第494回】『白い巨塔(一)』(山崎豊子、新潮社、2002年)

 約十年前に読んで感銘を受けた本シリーズ。財前の最期のシーンを読みながら、電車の中で滂沱と涙したのが懐かしい。自ずと財前に焦点を当てながら読み進めているのであるが、なかなか感動的なものは少ない。主要なポイントと結論は分かっていても、物語じたいに引き込まれてしまうのは、名作といわれるものの為せる力であろう。

 そんな馬鹿なことが、外科の助教授として俺ほどの実力のある者が何という気の弱い、ありそうもないことを考えるのだーー、財前五郎は、その精悍なぎょろりとした眼に鋭い光を溜め、毛深い手で唇の端にくわえている煙草を、ぽいとコンクリートのガラの上へ投げつけると、さっきと同じように自信に満ちた足どりで、助教授室のほうへ足を向けた。(12頁)

 財前に対する私のイメージは、まさしくこのシーンに凝縮されている。自分に対して自信を持ち、意欲的に動き回る人物。企業に勤めているとこうした傑物に出会う機会というものは少ないのかもしれないが、一つの理想として思い描く人物像であることは間違いないだろう。

 黒川五郎が財前家の人間になってからは、息子の給料の中から送ってくる仕送金を受け取る以外は、財前家に面倒をかけたり、不必要に財前家を訪うようなことを一切、さしひかえている母の姿の中に、財前は母の愛情の深さと独り暮しの寡婦の健気さを感じ、母のもとへ帰ってやりたいような思いに襲われることがあった。しかし、助手の時代から今日までつまらぬ金の苦労をせずに、研究にだけ力を傾け、三十五歳助教授になり、それから八年の間も、地方病院へ出されることもなく、次期教授の候補者として人の口にのぼせられるようになったのは、寡婦である老母が田舎でのわびしい独り住いに耐え、財前五郎の医学者としての出世のみを念願し、喜びにしてくれている賜であることを思うと、財前は、今年七十五歳の母が健在なうちに教授になって、母を喜ばしてやりたいという平凡であるが強い願いが湧き上がって来た。(31頁)

 財前に私が魅了されるのは、 数少なくはあれども、こうした人間らしい描写の故であるのかもしれない。自己顕示欲も然り、母への愛情も然り、自然のままの人間という感じが、財前の魅力なのではないだろうか。

 東は暫く黙り込んでいたが、やがて妻の言葉に頷きながら、人事なんてものは、所詮、こんなつまらぬ些細なことで決まるものなんだ、何もこの場合だけじゃない、他の多くの場合だって、大なり小なり、こうした要素を持っている、人間が人間の能力を査定し、一人の人間の生涯をきめる人事そのものが、突き詰めてみれば必ずしも妥当ではない、残酷な、そして滑稽な人間喜劇なんだーー、自分の心に向って弁解するように云うと、東は、残っているコップの水を、ぐうっと一気に飲み干した。(264~265頁)

 次期教授戦において、財前と対立することとなる、彼の指導者である東。その対立の様も人事を巡る一つのドラマとして興味深いとともに、人事という現象に対する東のつぶやきは、人事パーソンにはいたく考えさせられる一言である。

『白い巨塔(二)』(山崎豊子、新潮社、2002年)
『白い巨塔(三)』(山崎豊子、新潮社、2002年)
『白い巨塔(四)』(山崎豊子、新潮社、2002年)
『白い巨塔(五)』(山崎豊子、新潮社、2002年)