2016年12月31日土曜日

【第659回】『ハゲタカⅡ(下)』(真山仁、講談社、2007年)

 小説も映画も基本的にはハッピーエンドが好きである。ハラハラとしながらも、最後に鷲津が勝ちを収める展開は、私にとって心地よいものであった。

 「サムライというのは、死に場所を探すために生きることだと多くの人たちは勘違いしている。本当のサムライは、いつどこで死んでも悔いのないよう、どう生きるかを常に考えているのだ。それを政彦は言葉ではなく生き様として見せてくれるんだ。日光で二人で散歩していた時にそう語ってくれたアランの言葉が忘れられない。だが、今の君は何だね。まるで死に場所を探し求めてさまよう亡霊のようじゃないか。サムライ魂はどこかに置き忘れてきたのかね」(388~389頁)

 日本人論として武士を用いることはあまり好きではない。社会学でよく言われるように、江戸時代における武士階級の人口は、全人口の数%に過ぎず、そうした階層が<日本人>を代表するという論には無理があるからだ。


 しかし、そうした文脈とは離れた中において、ここでの発言には心に訴えかける何かがある。何のために生きるのか。死んでしまった近しい存在に対する償いとは何か。企業買収やマネーゲームといった泥々とした世界の中で、時代の寵児として持て囃されるが決して聖人君子ではない鷲津の生き様に魅せられた。

2016年12月25日日曜日

【第658回】『ハゲタカⅡ(上)』(真山仁、講談社、2007年)

 学生時代に読んだ「アカギ」の影響で、鷲津という名前から無条件で悪役の印象を持ってしまう。だからこそ、本シリーズの主人公・鷲津にもそうしたネガティヴなイメージがあった。

 しかし、前作の下巻あたりからその印象が私の中で崩れ始め、本作ではさらにそのイメージが変わってきている。正義と悪といった安易な二項対立を日常的には戒めているのに、物語の中にはそうしたものを求めてしまうのだが、それが覆されるというのも面白いものだ。

 鷲津にはこの国は「絶望の大陸」にしか見えない。長い歴史の中で熟成された御上に盲従する社会、事なかれ主義を尊ぶ為政者、そして何が起きているのかを見ようともせず、日々の暮らしに享楽する人々……。(61頁)

 痛烈な日本の描写でありながら、首肯せざるを得ない一面もあるのではないかと思わせられる。しかし、その後で、著者は、鷲津の思いとしてそれをすぐに覆させる描写を持ってきている。

 この街の風景も一年前と全く変わっていない。だが変わっていないのは、どうやら見かけだけのようだ。俺の知らないところで、この国はどんどん変化している。目に見えない変化ほど怖いものはない。(148頁)


 ずっと中にいると変化には気づかない。しかし、外に出て時系列を一旦置いてみることで変化に気づくことが可能となる。一見して変化が見えないにも関わらず、その内実が変わっているということほど、怖いものはないだろう。


2016年12月24日土曜日

【第657回】『ハゲタカ(下)』(真山仁、講談社、2006年)

 金融業界の買収劇。金銭だけが問われるドライな世界であるかのように思えるが、本作で描かれるドラマは、良くも悪くも人の匂いに溢れている。

 続巻がありながらも、一旦クライマックスを迎える本書の最後のシーンは、美しい。

 渡り廊下の向こうに見える海に、静かに夕陽が沈んでいった。
 そして再び闇が広がろうとしていた。
 夕陽は、明日の希望ではなく、絶望という闇の始まりに過ぎない。
 ここは、絶望の大陸。そんな、歌があったな。
 絶望、結構じゃないか。

 それが、俺達の餌になるんだから……。(417~418頁)


2016年12月23日金曜日

【第656回】『ハゲタカ(上)』(真山仁、講談社、2006年)

 アジア通貨危機後の日本の金融界における混乱の記憶が鮮明でありライブドアや楽天といったIT企業による買収が注目を集めた時期によく読まれたのも納得だ。しかし、文庫版が出てから既に十年も過ぎた今の時代に読んでも面白いのだから小説として素晴らしいのであろう。

 「相変わらず芝ちゃんは責任感過剰ですね。銀行の罪を自分一人で、全部ひっかぶらんばかりじゃないですか。今の危機はね、誰が悪いとかでないと僕は思いますよ。日本人が全員、欲の皮を突っ張らかして夢の中のあぶく銭を本物だと錯覚して、今なおその悪夢から覚めることに駄々をこねている。でも、一人また一人、その夢から揺り起こされ、現実を見せられて震撼している。そういうことですよ。誰か悪い人がいるなら、僕ら全員ですよ。だから、タチが悪い」(87頁)

 バブルを生み出した原因として、銀行に勤めている芝野が責任意識を強く感じていることに対して、彼の友人が優しくも厳しくも指摘をする。日本経済を震撼させたバブルのような大きな事象でなくとも、自分で問題を抱え込むことを私たちは時に行ってしまう。それは、日本では美徳とも受け取られるものでもあるが、行き過ぎると自分で何事も遂行してしまい他者を信頼する気持ちが弱くなってしまう。その結果として、他者からも心からの信頼を得られなくなる可能性がある。

 「そうしてくれ。いいか、アラン。これだけは肝に銘じておけ。ビジネスで失敗する最大の原因は、人だ。味方には、その人がこの闘いの主役だと思わせ、敵には、こんな相手と闘って自分は何て不幸なんだと思わせることだ。そして、牙や爪は絶対に見せない。そこまで細心の注意を払っても、時として人の気まぐれや変心、あるいはハプニングのせいで、不測の事態が起きるんだ。だから結果を焦るな。そして馴れ合うな、いいな」(453頁)


 韓非子を彷彿とさせる人間観ではないだろうか。勝負や交渉に徹すれば、こうした捉え方もできるのであろうが、果たしてそこまで冷静に、ビジネスに殉じることができるかどうか、自分には心もとない。


2016年12月18日日曜日

【第655回】『峠(下)』(司馬遼太郎、新潮社、2003年)

 恥ずかしながら北越戦争を知らなかった身としては、継之助を官軍との激戦に追いやった時代の流れに引き込まれた。時代の潮流を読み、先んじた行動を行い、ネットワークを広く持っていても、必敗の戦いへと赴かざるを得なかった長岡藩の悲運が印象的な結末である。

 「人は、その長ずるところをもってすべての物事を解釈しきってしまってはいけない。かならず事を誤る」(25頁)

 思わずハッとさせられる至言である。人は、自身の弱みのすぐそばに強みがあると俗に言われる。この言葉を反対にすれば、強みと思っているもののすぐそばには弱みがあるものであり、だからこそ、自分自身の強みを以て物事を解釈しようとすると、時に誤るのであろう。論語の「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし。」(先進 第十一・一六)を彷彿とさせる。

 私はこの「峠」において、侍とはなにかということを考えてみたかった。それを考えることが目的で書いた。
 その典型を越後長岡藩の非門閥家老河井継之助にもとめたことは、書き終えてからもまちがっていなかったとひそかに自負している。
 かれは行動的儒教というべき陽明学の徒であった。陽明学というのは、その行者たる者は自分の生命を一個の道具としてあつかわなければならない。いかに世を済うかということだけが、この学徒の唯一の人生の目標である。このために、世を済う道をさがさねばならない。学問の目的はすべてそこへ集中される。(434頁)


 著者がなぜ本書を著したのかについてあとがきでこのように述べている。侍とは何かという命題については、新渡戸を持ち出すまでもなくこれまで論じられてきた。正直、あまり興味を持てなかった。しかし、本作を上巻から下巻まで読み進める中で、継之助の合理的かつ先見的なものの見方を以てしても、自藩への想いから薩長との戦いを決断させられた背景に、侍という存在を感じずにはいられなかった。こうした観念的な何かを想定しなければ、彼の行動を説明することが極めて難解なのである。このような新しいものの見方ができたという意味でも、本作は非常に興味深い作品であった。


2016年12月17日土曜日

【第654回】『峠(中)』(司馬遼太郎、新潮社、2003年)

 大政奉還後の諸藩の混乱。官軍としての薩長土と、賊軍としての徳川および佐幕派という分かりやすい構図を後世の私たちは描く。しかし、当時を生きた各藩の人々には難解で、決断を下しづらい状況であったのだろう。

 混沌とした環境において河井継之助がどのように情報を収集し、どのような決断を下し、どのように組織を動かしたか。薩長にも佐幕にも距離を保ち、いかにして自藩を存続させるための彼の生き様には魅せられる。

 よき孔孟の徒ほど、老荘の世界への強烈な憧憬者さ。しかし一生、そういう結構な暮しに至りつけないがね(158頁)


 継之助が独り言のように呟く言葉である。論語好きな身として、とてもよく分かる一言だ。私自身、老子も好きでよく読み返すが、より読み返すのは論語であり、論語をより身近に感じる。そうであっても、老荘が描く世界観への憧れや、理想像としての魅力はよく分かる。


2016年12月11日日曜日

【第653回】『峠(上)』(司馬遼太郎、新潮社、2003年)

 時代の変曲点においては、様々な人物が現れるものである。著者が描く幕末から明治初期における傑物はそれぞれに特色があり、本書で描かれる河井継之助もまた、そうした人物の一人である。
 私たちは歴史の教科書で、薩摩、長州、土佐といった倒幕に関わった藩に関してや、そこから出てきた人物たちについて学ぶ。また、滅びゆく江戸幕府の最後を明るくする新選組の物語にいくばくかの共感をおぼえる。しかし、越後長岡藩に着目することは少ないのではないか。浅学な私にはそうであり、本書ではじめて同藩の河井継之助という人物を知ることになった。
 人間はその現実から一歩離れてこそ物が考えられる。距離が必要である、刺戟も必要である。愚人にも賢人にも会わねばならぬ。じっと端座していて物が考えられるなどあれはうそだ――と継之助はいった。(16頁)
 物事を考える時に一人で沈思黙考したり散策することも有効であろう。しかし、それだけで何らかの気付きを得られるのは限られた天才だけなのではないか。むしろ、多様な人と会って対話を行うことで、その過程を通じて過去の自分の価値観にとらわれない何かを掴み取ることが可能である。特に、既存の価値観や認識が通用しない変化の激しい時代においては、なおさらであろう。
 継之助の場合、書物に知識をもとめるのではなく、判断力を砥ぎ、行動のエネルギーをそこに求めようとしている。(309頁)
 ついつい知識をもとめる読書をしてしまいがちな私にとって、興味深い指摘である。本を読むことによって、行動を起こすという発想は面白い。加えて、表面的で即効性のある浅い書物ではなく、含蓄があって難解な書籍を何度も読み返すことで、自分自身の行動に繋げると述べているということに着目したい。
 「先生の日常になさることを学びたくて参ったのでございます」(400頁) 
 師を求めて、備中松山に山田方谷を尋ねた継之助。彼が、方谷から講義はしないし指導はしないと言われた後に述べた言葉が上に引用した箇所である。尊敬する人物が発言している内容に注目することはたやすい。しかし、本当に学ぶためには、彼()の視線の先に何があるかを身近で観察し、そこから洞察することが重要なのではないか。それが師事するということなのかもしれない。


2016年12月10日土曜日

【第652回】『茨木のり子詩集』(谷川俊太郎選、岩波書店、2014年)

 言葉を大事にしたいのならば詩集を読め、と以前言われたことがある。何冊か読んだが、なかなか定着せず、数年間、詩から遠ざかってしまっていた。お勧めを受けて本書を読んでみて、茨木さんの言葉遣いに感じ入った。美しい日本語や感性に触れると、気持ちが清々しくなる。

 人に伝えようとすれば
 あまりに平凡すぎて
 けっして伝わってはゆかないだろう
 その人の気圧のなかでしか
 生きられぬ言葉もある(「言いたくない言葉」より(142~143頁))

 言葉は文脈の中で生きる言葉である。ある部分を意図的に抜き取ることは、その言葉を紡ぎ出した人の意思に反することになりかねない。上記のような引用をする時に私自身も留意しているつもりであるが、身が引き締まる思いがする。

 不惑をすぎて 愕然となる
 持てる知識の曖昧さ いい加減さ 身の浮薄!
 ようやく九九を覚えたばかりの
 わたしの幼時にそっくりな甥に
 それらしきこと伝えたいと ふりかえりながら
 言葉 はた と躓き 黙りこむ(「知」より(163頁))


 軽々に何かを知っているということに気をつけたい。自分自身が認識したり知覚しているものを言葉にすることで、何かが抜け落ちる。そうした覚悟を持った上で、言葉にすること。だからこそ、自分が発する言葉を大事にしたい。

2016年12月4日日曜日

【第651回】『下町ロケット』(池井戸潤、小学館、2013年)

 面白い。スピードの速さと展開の絶妙さ。これだけ面白い小説を書き続ける著者の着想はどこから来るのだろうか。

 人間ドラマというような括り方をするのではなく、仕事観を考えさせられた。組織を束ねる理由は何か。仕事とは何か。何のために働くのか。

 しかし、仕事というのはとどのつまり、カネじゃないと佃は思う。いや、そういう人も大勢いるかも知れないが、少なくとも佃は違う。
 子供のころアポロ計画に興奮し、ロケットのエンジン部品を作る機会など、人生のうちに二度と巡っては来ないかも知れない。特許使用料など、それに比べたらちっぽけなものではないか。
 「ウチらしいやり方で行きたいんだ」
 佃はいった。「いままで地道にエンジンを作って来ただろ。持っている技術で一生懸命エンジンを作り、お客さんに喜んでもらう。いままでそうやって来たんじゃないか。今度のお客さんは帝国重工だ」(227頁)


 組織としてやるべきこと、自分ができること、自分がやりたいこと。この三つが交わる箇所に、自分の業務やキャリアを位置付けることが重要であると言われる。しかし、往々にして最初のものは当たり前として与えられ、それが二番目の要素に組み合わされば御の字であり、最後の要素はなかなかケアされづらい。黙っていればないがしろにされがちになり、長い期間が過ぎて自分自身のやりたいことがわからなくなる。だからこそ、最後の要素を意識的にリマインドし、そこから自分の業務やキャリアをデザインしようとすることが大事なのではないだろうか。


2016年12月3日土曜日

【第650回】『夜明け前 第二部 下』(島崎藤村、青空文庫、1935年)

 結末が暗い作品は、個人的には得意ではない。悲劇で終わると、余韻も暗く、その作品すべての印象がネガティヴになってしまう。もっと成熟した読書ができればと思うが、どうしてもこの傾向は拭えない。しかし、本書の悲劇的結末の最後の箇所には、美しさを感じた。

 その時になって見ると、旧庄屋としての半蔵が生涯もすべて後方になった。すべて、すべて後方になった。ひとり彼の生涯が終わりを告げたばかりでなく、維新以来の明治の舞台もその十九年あたりまでを一つの過渡期として大きく回りかけていた。(kindle ver No.5524)

 大作の最後を飾るにふさわしい名文ではないだろうか。


 ある人物ひとりがその生きた時代を象徴するというのは幻想に過ぎない。意図的にそうした構造を創り出そうとする言説に、私たちは警戒した方がいいだろう。それでも、ある時代、ある地域における環境は、そこに生きた人物に影響を与えるのもまた、蓋然性の高い事実であろう。環境に翻弄されながらも真面目に生きてきた半蔵が、人生の最後において精神破綻を来したのは、時代環境の為せるわざでもある。


2016年11月27日日曜日

【第649回】『夜明け前 第二部 上』(島崎藤村、青空文庫、1935年)

 大政奉還から明治新政府への政権交代など、時代の移り変わりが進む。それに伴い、社会を取り巻く不確定要素も高まり、その流れは、参勤交代で栄えた馬籠にも否応なく訪れる。

 庄屋としての彼は街道に伝わって来る種々な流言からも村民を護らねばならなかった。(kindle ver No.2205)

 正しい情報が正しく流通することが難しかった時代においては、その伝達主体の重要性が高くなる。決して正しくない情報も含めて集まる主要な街道沿いであれば、庄屋がその役割を担うことになり、変化の激しい時代においては、そのプレッシャーは大きなものだったのではないか。

 もしその殺気に満ちた空気の中で、幾多の誤解と反対と悲憤との声を押し切ってまでも断乎として公武一和の素志を示すことが慶喜になかったとしたら、おそらく、慶喜がもっと内外の事情に暗い貴公子で、開港条約の履行を外国公使らから追われた経験もなく、多額の金を注ぎ込んだ債権者としての位置からも日本の内乱を好まない諸外国の存在を意にも留めずに、後患がどうであろうが将来がなんとなろうがさらに頓着するところもなく、ひたすら徳川家として幕府を失うのが残念であるとの一点に心を奪われるような人であったなら、たとい勝安房や山岡鉄太郎や大久保一翁などの奔走尽力があったとしても、この解決は望めなかった。かつては参覲交代制度のような幕府にとって重要な政策を惜しげもなく投げ出した当時からの、あの弱いようで強い、時代の要求に敏感で、そして執着を持たない慶喜の性格を知るものにとってはーーまた、文久年度と慶応年度との二回にまでわたって幾多の改革に着手したその性格のあらわれを知るものにとっては、これは不思議でもなかったのである。(kindle ver No.2453)


 徳川慶喜に対する著者の描写が興味深い。鳥羽伏見で戦わずに江戸へ逃げ、江戸城を無血開城するという決断を下した徳川慶喜という人物の評価は、低く見られることが多いように思える。しかし、明治という日本国家を創り上げた人物の一人として、彼を挙げることも合理的なのかもしれない、と考えさせられる箇所である。


2016年11月26日土曜日

【第648回】『夜明け前 第一部 下』(島崎藤村、青空文庫、1932年)

 上巻から時代が進み、戊辰戦争へと至る。変化の激しい時代において、人々がどのように不安を感じ、その不安がどのように増大していくのか。現代にも通ずるものが、本作には描かれているように思える。

 「そこだて。金兵衛さんなぞに言わせると、おれが半蔵に学問を勧めたのが大失策だ、学問は実に恐ろしいものだッて、そう言うんさ。でも、おれは自分で自分の学問の足りないことをよく知ってるからね。せめて半蔵には学ばせたい、青山の家から学問のある庄屋を一人出すのは悪くない、その考えでやらせて見た。いつのまにかあれは平田先生に心を寄せてしまった。そりゃ何も試みだ。あれが平田入門を言い出した時にも、おれは止めはしなかった。学問で身代をつぶそうと、その人その人の持って生まれて来るようなもので、こいつばかりはどうすることもできない。おれに言わせると、人間の仕事は一代限りのもので、親の経験を子にくれたいと言ったところで、だれもそれをもらったものがない。おれも街道のことには骨を折って見たが、半蔵は半蔵で、また新規まき直しだ。考えて見ると、あれも気の毒なほどむずかしい時に生まれ合わせて来たものさね。」(kindle ver No.140)


 学ぶことは素晴らしいものだ。とりわけ、それが制限されている中で学び続ける姿勢には頭が下がる思いがある。しかし、知識を得ること、学びを深めることには、マイナスの要素もあり得るという現実に目を向けさせてくれるのがこの箇所である。謙虚に、学ぶことが重要なのかもしれない。


2016年11月23日水曜日

【第647回】『夜明け前 第一部 上』(島崎藤村、青空文庫、1932年)

 江戸末期における人々の暮らしが丹念に描写されている。司馬遼太郎が描く幕末もいいが、人々の生活とその中での迷いや不安が描かれているのもまた、興味深いものだ。

 「でも、世の中は妙なものじゃないか。名古屋の殿様のために、お勝手向きのお世話でもしてあげれば、苗字帯刀御免ということになる。三十年この街道の世話をしても、だれも御苦労とも言い手がない。このおれにとっては、目に見えない街道の世話の方がどれほど骨が折れたか知れないがなあ。」(kindle ver No.588)

 時代は異なっても、働いていると、時にこうした感覚を持つことがある。目立って結果が出やすい仕事を羨ましく思い、自分にはなかなか結果が出ず目立ちづらい仕事ばかりがアサインされているように思えるものなのかもしれない。しかし、そうしたものに意義を感じることが、自分自身でモティベーションを担保する大事なマインドセットなのではないだろうか。

 「自分は独学で、そして固陋だ。もとよりこんな山の中にいて見聞も寡い。どうかして自分のようなものでも、もっと学びたい。」(kindle ver No.669)


 学びのソースが多く、開かれた学びが実現されている現代からは想像しづらい状況であるが、これが江戸時代における地方都市の現実である。このような中で四書五経から、国学まで学び続ける主人公の意識に頭が下がる。


2016年11月20日日曜日

【第646回】『現代日本の開化』(夏目漱石、青色文庫、1911年)

 漱石の講演録は面白い。ウィットに富んでいながら唸らさせられる示唆にも溢れている。

 もっとも定義を下すについてはよほど気をつけないととんでもない事になる。これをむずかしく言いますと、定義を下せばその定義のために定義を下されたものがピタリと糊細工のように硬張ってしまう。複雑な特性を簡単に纏める学者の手際と脳力とには敬服しながらも一方においてその迂闊を惜まなければならないような事が彼らの下した定義を見るとよくあります。(中略)要するに幾何学のように定義があってその定義から物を拵え出したのでなくって、物があってその物を説明するために定義を作るとなると勢いその物の変化を見越してその意味を含ましたものでなければいわゆる杓子定規とかでいっこう気の利かない定義になってしまいます。(kindle ver No.50)

 何かを定義することの意義とデメリットについて端的に書かれている。私たちは、物事を定義することによって世界を把握しようとする。定義によって私たちが理解できる世界はたしかに拡がる。しかし、その把握の仕方によって、私たちは物事を一つの側面でしか見られなくなるという反作用も生じることに留意したいものだ。物事を定義によって見ることとともに、ありのままにただ見ることも重視したい。

 開化は人間活力の発現の経路である。(kindle ver No.100)

 西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。(kindle ver No.257)

 開化について定義をした後に、西洋における内発的な開化と対比して、日本におけるそれが外発的であったということに焦点を当てる。簡潔にして明瞭なその対比によって、開化に関する彼我の差異がわかりやすい。

 日本の現代開化の真相もこの話と同様で、分らないうちこそ研究もして見たいが、こう露骨にその性質が分って見るとかえって分らない昔の方が幸福であるという気にもなります。とにかく私の解剖した事が本当のところだとすれば我々は日本の将来というものについてどうしても悲観したくなるのであります。(中略)ではどうしてこの急場を切り抜けられるかと質問されても、前申した通り私には名案も何もない。ただできるだけ神経衰弱に罹らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うよりほかに仕方がない。(kindle ver No.428)


 ではどのようにするか、という特効薬を聞こうとする私たちを漱石は予め牽制してこのように述べるのも漱石らしい。安易に解決策を提示するのではなく、それを受け手に委ねるという抑制の効いた論旨は心地よい。


2016年11月19日土曜日

【第645回】『「明治」という国家(下)』(司馬遼太郎、日本放送出版協会、1994年)

 上巻に続き、本巻でも明治時代における日本国家が述べられる。著者の江戸幕末から明治における歴史小説のエッセンスが凝縮された、贅沢な一冊だ。

 明治維新を実現し、近代国民国家としての明治という国家が作られた条件はなんだったのか。その理由の大きなものの一つとして、<日本>における人口の多さが指摘されている。

 日本に多いのは、むかしもいまも人口です。それは、水田の国だからでしょう。(110頁)

 人口が多かった理由として、水稲稲作という日本の風土に根ざした農業形態が挙げられている。水稲稲作という農業の豊かな状態によって支えられたのが、武士階層である。生活を行う上で、武士は不要な存在とも言える。そうした階層が潤沢に存在できたことが、日本の近代化に大きく貢献したのである。

 ありあまるサムライたちの多くが読書階級をなし、また武士的節度を重んずるという規律を保ち、いわば江戸期日本の精神文化をささえたともいえます。農民にとって大変高くついた制度でした。しかし日本史ぜんたいという場所からみれば、帳尻は合っていたでしょう。(115頁)


 その理由は、武士という職業形態が、文字を読み、書くという精神文化を創り上げたからであるという。後半で述べられている通り、水稲稲作を直接的に支えた農業に携わる人々の支えのもとに、武士という読書階級が生み出され、そうした階層によって日本の近代化が為されたというのも興味深い解説である。


2016年11月13日日曜日

【第644回】『「明治」という国家(上)』(司馬遼太郎、日本放送出版協会、1994年)

 江戸末期から明治維新に至る時期を描いた作品の多い著者による明治論。当時の時代や人物を丹念に調べて著述してきたからこそ思い至る明治時代における日本という国民国家への鋭い筆致に唸らさせられる。

 倒幕をめぐって言いますと、薩摩藩は、政略的であったのに対し、長州藩は藩内において庶民軍が勝ち、いわば革命政権ができていました。
 庶民軍という存在をキーにしていいますと、そこに”国民”という一階級意識のめばえが、藩規模でできていたといえます。(75~76頁)

 『翔ぶが如く』で西郷隆盛を中心とした薩摩人を、『世に棲む日日』で吉田松陰および高杉晋作をはじめとした長州を描いた著者だからこそ、両藩を端的に描写できるのだろう。関ヶ原で敗れた西国の雄藩では、長州に追いやられる過程で、禄を得られなくなった武士階級が農業を営むことで長州に下ったとされている。その結果、非武士層から成る奇兵隊の強さの礎が形成されたというのは納得的である。さらには、士農工商という身分意識が他藩と比べて弱く、国民という意識が醸成される下地があったという分析も大変興味深い。

 薩摩の藩風(藩文化といってもよろしい)は、物事の本質をおさえておおづかみに事をおこなう政治家や総司令官タイプを多く出しました。
 長州は、権力の操作が上手なのです。ですから官僚機構をつくり、動かしました。
 土佐は、官にながくはおらず、野にくだって自由民権運動をひろげました。
 佐賀は、そのなかにあって、着実に物事をやっていく人材を新政府に提供します。(92頁)


 薩長に加えて土肥に至るまでの分析となると、さらに興味深い。下巻への余韻を残して、ここで筆を置くこととしよう。


2016年11月12日土曜日

【第643回】『空白を満たしなさい【2回目】』(平野啓一郎、講談社、2012年)

 小説を読む場合、最初に読む時以上の感動をおぼえることは少ないようだ。話の筋
が分かっているため、ストーリーを追っていく新鮮味が弱くなるからであろう。それでも、読む観点が多様にあり、日本語が美しいと、再読しても面白く読める小説がある。本書はそうした小説の一つである。

 前回読んだ際のエントリー(【第168回】『空白を満たしなさい』(平野啓一郎、講談社、2012年))で記したように、最初に読んだ際には著者の分人=dividualという概念に感銘を受けた。分人は、ジンメルにおける相互作用論的社会観を想起させるとともに、他者との多様な関係性をもとに自分自身のアイデンティティを統合していくさまが分かりやすい。自分の中の一つの分人を消そうとして自殺に至る主人公が、その解決策として「分人同士で見守り合う」(kindle ver No.5351)という考え方に思い至るところは、改めて読んでも興味深いものがある。

 今回、新たに読んで印象深かったのは、死に対する描写であり、捉え方である。

「土屋サン、私の死が、私の罪の数々を帳消しにし、私の人生を全面的に肯定するなんてことがないように、あなたの死が、あなたの行った素晴らしいことをすべて台なしにして、あなたの人生を全否定するなんて、そんなことは決してないのです。決してありません。」
(中略)
「死は傲慢に、人生を染めます。私たちは、自分の人生を彩るための様々なインク壺を持っています。丹念にいろんな色を重ねていきます。たまたま、最後に倒してしまったインク壺の色が、全部を一色に染めてしまう。そんなことは、間違ってます。私の場合、それが、愚行ともつかない自己犠牲でした。土屋サンの場合は自殺でした。でもそれは、人間が生きている間にする、数え切れないほどの行為の、たかだか一つじゃないですか?」(kindle ver No.4041)

 英雄的な自己犠牲によって死んだラデックが、自殺で死んだ主人公に対して丁寧に述べる様子が印象的である。とりわけ日本人は、死の局面に対して過剰に意味づけをしやすいのではないだろうか。ラデックが鋭く、かつ優しく指摘するように、死は人生の一つの要素にしか過ぎない。死によって人生が意味づけられるのではなく、生きてきた多様で豊かな一つひとつの要素を、しっかりと見ていきたいものだ。さらには、そうした意識を持つことによって、いたずらに派手なイベント的な出来事に注力するのではなく、日常における多様な他者との関係性よって培われる一つひとつの分人を私たちは大事にするのが良いのではないだろうか。



2016年11月6日日曜日

【第642回】『すらすら読める論語【2回目】』(加地伸行、講談社、2011年)

 論語は、何度も読み返すべき古典の一冊である。その解説書にも、興味深く読めるものが多い。本書は論語の入門的な解説書であるが、深みもあり、考えさせられる部分がいくつもある。

 まずは学ぶということについて。

 子曰く、古の学ぶ者は己の為にし、今の学ぶ者は人の為にす。(憲問篇 一四 ー 二四)

 「己の為に」とは、己れの道徳的充実を図るということであって、単なる知的技術者に終らないことが大切だという主張である。
 これは重要である。学ぶとは、まずは知性を磨くことではあるが、そこにとどまらず、その上に徳性を磨くことだと言う。(107頁)

 自分の為に学ぶという表現は、自分のメリットを考えて学ぶのではなく、自分自身の内部にある徳性を磨くことを意味しているという。現在の「道徳教育」では外的な規範を理解して正しく遂行する問う意味合いに近いが、そうではないことは自明であろう。他者を理解し、他者の集合体としての社会を認識し、その社会における規範を内面化して、自らを律して行動すること。これが徳性を磨くということなのではないだろうか。

 では徳性を磨くためには、何を学び続ければ良いのであろうか。

 子曰く、君子は上達し、小人は下達す。(憲問篇 一四 ー 二三)

 「教養がある」と言うとき、日本語においては知識の豊かな人、いろいろなことを知っている人というふうに理解されやすい。そうではなくて、中国におけるように、知識人であって同時に道徳的な人を指して教養人と言うべきである。(中略)
 そこで私は、君子を教養人、小人を知識人と訳しているのである。(129頁)

 単なる知識をインプットするだけの人を小人の訳である知識人として著者は否定的に見ている。もちろん、知識は有益なものにもなり得るものであり、それ自体を否定することはないだろう。しかし、知的であるとともに、道徳的である状態でなければ、ともすれば害悪にもなり得る。君子という概念に孔子が込めた想いを、私たちは現代的な観点において、今一度考えなければならないのではないだろうか。


2016年11月5日土曜日

【第641回】『職場学習論』(中原淳、東京大学出版会、2010年)

 企業における学習の研究者として著名な著者による初めての単著。今回で実に三度目であるが、改めて学びが深まった。個人での学習や、マネジャーに部下育成を委ねるのではなく、職場の多様な主体によって育成をどのように進めるかに焦点を当てたのが本書の特徴である。

 まず著者は、他者による学びの支援について、精神支援、内省支援、業務支援の三つに分けて述べている。その上で、上司、上位者、同僚・同期という三種類のアクターがどのように育成に関与するかについて、量と効果とでズレが生じているという興味深い指摘を行っている。

 業務支援を量の面で最も行っているのは上司であるが、最も効果が高いのは同僚・同期からである。反対に、精神支援を最も多く行っているのは同僚・同期であるが、最も効果が高いのは上司が行うものである。多様なアクターによって、育成を分担し、かつ情報を共有しながら行うことが求められるのである。

 では、そうした職場単位での多様な人々による学びを支えるものは何か。

 著者によれば、三つの支援を促進する要素として互酬性規範が挙げられている。お互いに支え合うという環境が、多様な主体による多様な支援を促進するということはイメージしやすい。さらに、互酬性規範の必要条件として、現場のマネジャーの振る舞いが挙げられていることも興味深いとともに、マネジャーにとって身が引き締まる思いがする内容であろう。


2016年11月4日金曜日

【第640回】『採用学』(服部泰宏、新潮社、2016年)

 タイトルにもなっている採用学という新たな学問領域を日本において打ち立てて、人事業界とりわけ採用の領域において活躍している著者。その想いは、冒頭にある以下の箇所に端的に要約されている。

 「いま日本の採用活動は大きく変わろうとしている。そして、今後もますます大きく変わっていくだろう。企業としては、そうした流れに絶対に乗り遅れてはならないわけだが、そのためには自社の採用を足元から見つめ直し、変革する必要がある。そして幸運なことに、そうした変革のための考え方やガイドラインは、すでに科学的手法によって用意されている」(5頁)

 科学的手法と反対概念にあるのが経験や勘といったものであろう。かつての採用担当者として身につまされる思いがするのが以下の箇所である。

 フィーリングのマッチングを、日本では得てして期待や能力のマッチングよりも優先させてしまいがちである。このようなマッチングは、これまで欧米の研究では指摘されてこなかったし、「非科学的」にも思えるのだが、長期雇用が重視され、社員と企業との関係が長期間にわたることが多い日本では起きがちなマッチングなので、採用の際はそのことを常に意識しておいてほしい。(53~54頁)

 空いているポジションにおけるジョブ・ディスクリプションに基づいて採用活動を行う欧米型の企業に対して、日本企業における特に新卒採用においては、空きポジションを想定せずに採用活動を行う。そうなると、長期雇用を前提として「うちの会社」と合うかどうかというフィーリングを重視してしまう。

 こうしたフィーリングが絶対に悪いということではないだろう。しかし、フィーリングという要素を無意識に重視してしまうと、採用要件が曖昧化する。採用要件が曖昧になることによって、必要以上の面接候補者群が形成され、企業側の採用に関わる工数が不必要に増えてしまう。

 また、曖昧な要件に合わせようと、候補者側の過剰な自己プロデュースと過当競争が生じ、本来採るべき候補者が落ちてしまうということもあるだろう。著者が冒頭で述べているように、採用活動において科学的手法を用いるべき時期になっているのだろう。


2016年11月3日木曜日

【第639回】『ハーバードはなぜ日本の東北で学ぶのか』(山崎繭加、ダイヤモンド社、2016年)

 3・11以降の東北が、リーダーシップやイノベーションといった文脈でなぜ注目され続けているのか。HBSという世界標準で分かり易い存在が東北で活動してきた様子が描かれることでその理由の一端がつまびらかにされている。

 そもそもなぜHBSは東北で活動を始めたのか。その背景には、HBSが従来行ってきた教育に対する自戒の精神で、教育方針を変えたという文脈に東北というフィールドが合致したようだ。

 これまでの教育は、事実、フレームワーク、理論を教えて「知識を増やす(knowing)」ことに重点を置き過ぎていた。よりスキルや能力の開発につながるような「実践(doing)の場」を増やし、またすべての行動のベースとなる自身の価値観・信念の認識を深める「自分が何者であるかを知る(being)教育」を行っていかなければいけない、という結論である。つまり、これまでは頭ばかり動かしていたが、これからは実際に体も動かし、そして心を豊かにしていく。頭と体と心のバランスをとる教育をしていかなければいけない、問いう決意表明だ。(27頁)

 何をいまさらとバカにしてはいけない。数年前に注目されたサンデル教授の授業はハーバードで行われていたものであり、ハーバードは、実務能力を高める教育ばかりに傾注してきた大学ではない。時代や環境に合わせて自らを否定しながら、教育を変えていく姿勢は素晴らしいものであり、こうした態度自体から私たちが学べることは多いだろう。

 HBSの崇高な自戒の精神から生み出されたものの一つがMBA2年生向けのフィールドプログラム「Immersion Experience Program」(以下「IXP」)である。世界各地でIXPに適したフィールドを選定し実施している中で、東北でのIXPは五年連続の開催、加えて定員枠を上回る参加にまで至ったという。IXPとしていくつか訪れている町の中でも、参加者の関心が高い地域の一つが女川だ。

 ジャパンIXPが開講されて以来、HBSが毎年訪問している宮城県女川町。最も被災率が高かったにもかかわらず、復興のスピードは早い。その背景には、官・民・NPOという分野のそれぞれに変革のリーダーがいたことや、彼らが協同して町づくりを行ったこと、そして主婦から中学生、女川の外からやってきた人までみな新たなチャレンジをする気概や実行力を持ち各分野でリーダーになっていたことなど複数の要素がそろったことがある。(196頁)

 リーダーシップは一人の突出したリーダーが発揮することで力を出せるものではない。各人のそれぞれの役割の中でのリーダーシップ行動が影響を与え合って、一つの組織なり地域なりで傑出した成果を出せるものであろう。とりわけ、女川ではいわゆるよそ者を受容し、オープンな変革のうねりを作り出してきたという側面も強いようだ。そうしたリーダーの一人である元リクルート社員で震災後に地元・宮城に復興支援のために戻り、女川に留まることになった小松洋介氏の言葉が興味深い。

 自分のミッションは、町の再生を通じて日本を変えること。女川での経験は、ほかの地域でも必ず生きる。この数年は自分への投資だと思っています。だから給料のことはまったく気にしていません。(203頁)

 きれいごとのようにある地域へのコミットメントを言うことは容易い。しかし、より広い地域・社会へ関与しようとするコミットメント、自分自身の価値観へのコミットメントといった複数の軸と地域へのコミットメントが合わさることが原動力の重要な要素になっているのではないだろうか。


2016年10月30日日曜日

【第638回】『会社の中はジレンマだらけ』(本間浩輔・中原淳、光文社、2016年)

 ヤフーの上級執行役員と東大の准教授との対談。両者のセッションは数年前に伺ったことがあり、ヤフーの人事のしくみに感銘を受けていたので、本書もたのしみにしていたところ、期待に応える良書であった。

 まずはヤフーにおいてフィードバック文化を醸成した1on1ミーティングについて。

 社内で、部下と上司の関係性について調査したことがあるんですが、社員に「どんなときに一番モチベーションが上がりましたか」と尋ねたところ、「上司が黙って話を聞いてくれたとき」という答えが上位に入りました。上司の側には、1on1の場で部下に何かとんでもないことを言われるんじゃないかという恐怖もあるんですが、実際には、部下はいつも上司に解決策を求めているのではなく、話を聞いてほしいだけというケースが多いんです。(34頁)

 ヤフーでは毎週1on1ミーティングを行っている。そんなに何を上司は話すことができるのかという異論が出そうであるが、本間氏は端的に話したり解決策を示すのではなく話を聴くことが重要であると指摘している。同意である。聴くことで、部下が何に関心を持って働いているのか、何に困っているのか、どういう優先順位付けをしているのか、いろいろと分かることはある。一通り聴き終わった後にはフィードバックをすると良い。

 フィードバックも同じで、上司が部下の鏡になって「こう見えているよ」と教えてあげればいいんです。「見える」という言い方が大事で、そこに「なんでできないんだ」とか「あんなことやってどうするんだ」という評価を加える必要はない。(49頁)

 上述した通り、解決策を示す必要はなく、加えて部下の話に価値判断を示す必要もない。シンプルに、どのように客観的に見えるのかについて示してあげれば良い。そうすることによって、部下側としては自分の言っていることがどのように他者に映るのかを把握することができ、自分で自分の抱える課題に気づくことができる。

 本間さんは面白いですね。ある仕組みをつくったら、必ずそのカウンターとなる仕組みも併せてつくりますよね。そういう思考の人なんだろうけど、人を信じている一方で、過剰に信頼しすぎてもいない。人を信じて、人を信じすぎず。これもマネジメントの妙味ですね。(136頁)

 1on1ミーティングという上司から部下への施策に加えて、部下側からのフィードバックを仕組みとして設けようとしている旨を本間氏は述べている。それに対する中原氏の発言が上記引用箇所であり、なるほど、妙味のある考え方であると唸らさせられる。


2016年10月29日土曜日

【第637回】『ビジョナリーカンパニー②飛躍の法則』(J・C・コリンズ、山岡洋一訳、日経BP社、2001年)

 あの『ビジョナリーカンパニー』の続編ではあるが、著者によれば内容としては前編である。「良い企業」と「偉大な企業」との違いが、また「良い」状況が「偉大な」状況へと発展することをいかに阻害するかが描かれた、前作と並び賞させる古典と言えるだろう。

 規律ある人材が、規律ある考えに基づいて、規律ある行動を取り続けることによって「偉大な企業」を創り上げていくことを描写した本作。こうした三つのステップの最初である「規律ある人材」について考えさせられる部分が多かった。

 第五水準の指導者は成功を収めたときは窓の外を見て、成功をもたらした要因を見つけ出す(具体的な人物や出来事が見つからない場合には、幸運をもちだす)。結果が悪かったときは鏡を見て、自分に責任があると考える(運が悪かったからだとは考えない)。(56頁)

 規律ある人材の第一の要素である「第五水準のリーダーシップ」では、旧来のリーダーとは異なる人材像が提示されている。出版当時は、GEのジャック=ウェルチやIBMのルイス=ガースナーがいて、スティーヴ=ジョブズがアップルのトップとして復帰するなどカリスマ型のリーダーが持て囃されていた時代だ。そうした時代に謙虚なリーダーシップ像を提示し、それ以降の趨勢を考えれば、第五水準のリーダーシップの正当性がわかるものであり、著者の示唆の素晴らしさに脱帽する。

 第五水準のリーダーシップでリーダー像が提示された後は、その鏡となるフォロワーシップとしての人材について述べられている。

 偉大な企業への飛躍に際して、人材は最重要の資産ではない。適切な人材こそがもっとも重要な資産なのだ。(81頁)

 人材が大事と言葉で言うことは易しい。しかし、人材が大事なのではなく、適切な人材が大事であるという著者の指摘は重たい。ではなぜ人材一般ではなく、適切な人材こそが大事であるという指摘を著者は行ったのか。

 不適切な人物が職にしがみついているのを許していては、周囲の適切な人たちに対して不当な行動をとることになる。不適切な人物がしっかりした仕事をしないので、適切な人たちが尻ぬぐいや穴埋めをするしかなくなるからだ。それ以上に問題なのは、最高の人材が辞めていく原因になりかねないことだ。すぐれた業績をあげる人たちは業績向上を強く願っていて、これを仕事の原動力にしている。自分が努力しても不適切な人たちに足を引っ張られると考えるようになれば、いずれ苛立ちが嵩じてくる。(90頁)

 理由はシンプルである。適切でない人材は、仕事を適切にしないというよりも、その存在によって適切な人材を含めた周囲の人材の負担になるからである。そうした人材が多ければ、適切な人材が活躍の場を他に求めることは自明であろう。人事として、いかに適切な人材を処遇するかということとともに、いかに不適切な人材に毅然とした行動をとるかを検討することが必要不可欠である。


2016年10月24日月曜日

【第636回】『日本社会の歴史(下)』(網野善彦、岩波書店、1997年)

 シリーズ三部作の完結編。鎌倉幕府滅亡後の南北朝時代から安土桃山時代および江戸幕府が開かれる頃までを中心に論じられている。

 六〇年間の動乱の中で、王権、政治権力はまさしく四分五裂の状況にあったが、そのなかで諸地域の独自な動きはむしろ活性化し、社会全体の転換はこの間、さらに大きく進行した。
 十三世紀後半以後、前述したように、貨幣経済は軌道に乗っていたが、銭貨はさらにいっそう広く深く社会に浸透し、各地の荘園・公領の年貢が市場で売却され、公事、夫役などの負担を含めて、すべてが銭に換算されて支配者のもとに送られるようになった。地頭・御家人の所領からの得分を銭に換算し、貫高で表示するようになるのは、前述したように十三世紀後半までさかのぼりうるが、この時期になると、そうした貫高表示は一般的に行われるようになっている。(35頁)

 十四世紀頃からの社会の描写である。貨幣経済が広く浸透したことにより、地域をまたいだ交易が盛んになった様子がわかる。

 安定した自治組織を確立しはじめた村落や都市は、依然として遍歴・漂泊を続ける自立的な宗教民、芸能民、商工民に対し、警戒心を強め、それが差別の生ずるひとつの理由になっている。(中略)
 さらにこのころの社会の文明化の進展、人間と自然との関係の新たな変化にともない、穢れに対する社会の対処の仕方にも大きな変化がおこってきた。かつて人の力を超えた畏怖すべき事態であった穢れは、この時期になると、むしろ汚穢として忌避されるようになってくる。(46~47頁)

 中世において村組織が安定してからは、地域に安定しない人々に対する差別が生じたという。日本企業において、転職というものがイレギュラーであり、転職者に対する穿った見方が生じた背景には、こうした「村社会」文化があると考えるのは行き過ぎであろうか。

 また、現代にまで続く差別ー被差別の関係性もこのころから生じたとする。差別される対象というのは、私たちの<普通>の社会から離れた存在である。

 戦国大名は、職人、商人、廻船人によって形成された自治的な都市における市場での自由な取引を公認し、楽市、「十楽之津」であることを認めつつ、調停者、支配者としての自らの立場を固めようとしていた。おのずと戦国大名は商工業者や貿易商人に与えられた宗教勢力に対しても、無縁所の特権を安堵するなど、その自立的な活動を積極的に認める保護者としての立場に立つことによってその立場を強化しようとした。
 こうした戦国大名の姿勢は、村を支配している国人、地侍などの領主に対しても同様で、その所領を安堵してその独自な支配を公認し、領主や国人の一揆とそれを背景にした合議体による領主間の盟約を調停者として保障する立場に立ち、政治的な共同体となった「国家」を構成する人民ー「国民」を保護する義務を負うことによって、大名は地域の支配者としての立場を保っていた。(86~87頁)

 日本における国家とは明治から始まるものであると考えられがちであるが、小さい単位での国家は戦国時代に原型があるのだろう。少なくとも、私たちの意識に潜在的に存在している可能性があることを意識するべきだろう。


2016年10月23日日曜日

【第635回】『日本社会の歴史(中)』(網野善彦、岩波書店、1997年)

 シリーズ第二作。本作では、十~十四世紀前半、つまり摂関政治から鎌倉幕府の崩壊までの時代における社会の変遷が扱われている。

 行事が自然の運行と関連させて考えられていただけに、自然と社会との均衡を一時的に崩す死、出産、火事などによって生ずる穢れ、しかも垣根や門によって仕切られた空間では伝染すると考えられていた穢れが、天皇や朝廷、あるいは神社に及ぶことは非常に強く忌避され、それを清めるための忌籠りの期間などの細かい手続も定められた。これも平安京の都市化にともなう現象ということができる。(24頁)

 自然によって生じるアクシデントのような出来事における細かな手続には辟易とさせられることも多い。当事者の想いや意志を発揮できる部分が限られており、ルールを墨守することが目的となっているように感じられるからだ。しかし、そうした細かな手続きができあがる背景には理由がある。ここでは、権力主体や神仏が、穢れと意識的に切り離されるためのものとして忌籠りなどの細かなルールができあがったと描出されている。

 道長は、わずか一年ほどで摂政も太政大臣も辞職し、彼のあとをうけて摂政となった子息頼通の背後にあって、「大殿」として実質的に国政を指導し続けていくことになる。このように公的な地位と、実質上の権力者「大殿」とが分離したことは、摂関家という「家」が成立していたこと、また実質の権力を世襲する「摂関職」ともいうべき実態が形成されつつあったことを物語っている。(29頁)

 藤原摂関政治ができあがった前提条件として、イエという制度が確立していたからという指摘が示唆的である。現在ではイエという概念は当たり前のように捉えているが、平安期以前は、「万世一系」という物語によって創られた天皇だけがそうした概念で括られる唯一の存在であったのだろう。藤原氏という豪族の絶対的権力者による世襲体制が摂関政治の形成によって実現して初めて、イエによる権力継承のスタイルができあがったのである。

 奇蹟ともいうべき暴風による元軍の敗退を、大寺社は祈禱による効果とし、これを「神風」と強調して、祈禱に対する恩賞を王朝と幕府に強く求めた。そのなかで神明の加護する「神国日本」という見方が広く流布されるようになったが、それが一方では、関東の王権を中心に「日本国」の全力をあげ、法華経の力によって外敵から守ろうと主張した日蓮とその信徒たちに対するきびしい弾圧をともなっていたことに注意する必要がある。「日本国」意識は、たしかに元との戦争によって以前よりも列島社会に浸透するが、そこでは呪術的色彩を強くもつ神仏の力に自らの利益を見出そうとする寺社の主導した見方が優位を占めていたのである。(167~168頁)

 著者によれば、元寇以前においても「日本国」という意識は存在したが、そこには神仏による呪術的色彩が強かったとしている。それが、元寇以降においては、呪術的色彩が薄れ、いわば空気としての「神国日本」という意識が流布されたという。「神国」という本来的に宗教色のある言葉でありながらも、権力主体としての国家と結びつく過程の描写は、示唆的でありながら、恐ろしさも感じるのは言い過ぎであろうか。

 十三世紀後半に入ると、文字の社会への浸透が著しくなり、読み、そして書く文字として発達してきた平仮名を漢字に混じえた文書を、侍クラスの人はもとより主だった平民百姓も書き、同様のクラスの女性たちもまた平仮名の書状を書くようになってきた。(中略)
 この時期になると、主だった百姓が、たとえば新次郎、又四郎などの同じ仮名を代々名乗る傾向がみえるので、家産と結びついたイエが平民百姓のなかにも形成されてきたと考えられるが、荘園・公領の諸単位には、そうしたイエの集団としての安定した村落がしだいに形成されつつあった。(170~171頁)

 平安中期における摂関政治に見たイエ制度の浸透は、十三世紀後半に一般的な百姓の単位にまで定着したようだ。その定着の背景には、文字の浸透という土台があったことにも留意すべきだろう。イエという概念を理解し人々の間で共有するためには、公共語としての日本語という言語の敷衍が必要不可欠なのである。

【第580回】『東大のディープな日本史』(相澤理、中経出版、2012年)
【第333回】『山本七平の日本の歴史<上>』(山本七平、ビジネス社、2005年)

2016年10月22日土曜日

【第634回】『日本社会の歴史(上)』(網野善彦、岩波書店、1997年)

 本書は、日本の歴史ではなく日本「社会」の歴史について述べられたものである。誰が何を行ったかではなく、それをもとに権力間の関係性や権力と人民との関係性がどのように変化してきたのかが丹念に述べられている。私たちの社会がどのような変遷を経て形成してきたのかを学ぶことができる。

 水田などの耕地の開発は、自然との格闘を通じて進められるが、その際、自然と人間の世界の境、あるいはそれぞれの集団の居住地域の境に、石や木などの標を立てて神を祭るとともに、山や川、巨石、巨木などに神を見て、それを祖先の神々の宿る聖地・聖域として祭ることも広く行われ、このころになれば、人里近くに社のような施設をつくることも行われるようになってきた。もとより農耕民だけではなく、海民、山民も海の神、山の神に対する独自な祭祀・儀礼を行っていたが、首長たちの服属を推し進める過程で、大王と近畿の首長たちはこれらの祭りをみずからの祭祀体系のなかにとり込み、首長たちの祭る神々と大王の祖先神とを結びつけてそれを「神話」=政治的な物語のなかに位置づけ、自らの支配の正当化をはかったのである。大王自身の祖先神の祭りを太陽信仰の聖地、伊勢において行うようになるのがいつからかについてはさまざまな考え方があるが、それをこのころとする見方も有力である。(73~74頁)

 五世紀後半からの大王を中心とした権力主体による国家形成過程が明らかにされている。自然とそれに基づく自然信仰が各地で独自に存在していた状態から、それらを束ねる形で神話が創造され、それによって大王が<日本>を束ねるという構図が形作られた。自然と私たちとの生活に基づく信仰が権力主体に取り込まられる構図の萌芽と言える動きであろう。

 こうした、人の力の及ばぬ自然、神仏の世界と人間の世界との境界として、河原・中洲・浜や巨木の立つ場所に、人びとは市を立てた。そこは神の力の及ぶ場であり、世俗の人と人、人と物の結びつきが切れるとされており、人びとはそこに物を投げ入れることによって、これを商品として交換しうる物とした。共同体をこえて人びとは市庭に集まり、畿内周辺では銭貨も用いたが、米・布・絹などを主な交換手段として、交易を活発に行った。(162頁)

 八世紀前後の畿内の様子である。神仏と市場との関係性が現れている。神道や仏教において金銭が忌み嫌われる歴史と、しかしながら神仏と市場との密接な関係性において交易が発展してきた背景とが明らかにされている。

 この時期の政府は、全体として律令の建前をなおいちおうは保ちつつ、実際には現地の問題の処理を次第に国司に委ねるようになっていたが、神社や寺院の変動についても成り行きに任せる姿勢が目立つようになった。
 しかしこうした平民たちの神観念の動揺のなかにあって、各地域を遍歴遊行して教化を進める僧侶があらわれ、これらの僧侶たちは、神が苦悩しており、その苦悩を仏が救うという考え方に立って仏教の布教をすすめた。こうして「神仏習合」といわれる動きがここに一段と顕著になり、神社に結びついた神宮寺の建立の動きが各地でみられるようになったが、同時にまた、仏教と習合して人格神の性格を持つようになった神を、仏像にならって神像に彫刻して表現することがさかんに行われた。(205~206頁)

 八世紀後半において、中央における政府から派遣された国司による支配形態が浸透し始める。しかし、そうした政治的な権力主体は、地方においては単独で成り立つことは難しく、宗教組織との相互依存関係が必要であった。さらに言えば、神道と仏教との習合が当時から為されていたというところが、クリスマスを祝い、新年を神社で迎え、法事を寺院で行うという現代日本人の宗教に対する寛容さを現していると言えるのではないだろうか。

2016年10月17日月曜日

【第633回】『50円のコスト削減と100円の値上げでは、どちらが儲かるのか?』(林總、ダイヤモンド社、2012年)

 『餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか?』シリーズの著者が、安曇教授以外の登場人物を変えて送る新たなストーリー。

 売上高ー材料費(変動費)=限界利益
 限界利益ー固定費=利益

 76頁にある上記の基礎的な知識を踏まえながら、「限界利益とは、会社が生み出した付加価値そのものなのだ」(67頁)と限界利益の本質を端的に表すのはさすがである。

 『餃子屋~』も面白かったが、本書が私には最も興味深く、かつ何度も読みたいと思える一冊であった。というのも、会計の基礎知識を学べることは同シリーズと同じであるが、会計、つまりは財務の視点を取っ掛かりとしてBSCの他の三つの視点とを結びつけながら学ぶことができるからだ。とりわけ143頁でまとめられている業務プロセスの視点についてのポイントが秀逸である。

 ①商品とサービスを顧客満足につなげる
 ②生産性を向上させる
  (1)コストの削減
   ・歩留まり率を高めて材料費率(変動費率)を減らす
     食材のムダ使いをやめて歩留まり率を高める
   ・固定費の増加を抑える
     贅肉(ムダな費用)はそぎ落とす。
     だが筋肉(会社にとって不可欠な費用)は減らさない。
  (2)資産の活用 
   ・設備の稼働率を高める
   ・在庫(棚卸資産)の回転速度を速める

 こうして、限界利益と業務プロセスの視点にある在庫との関係から、「現金を稼ぎ出す力」(150頁)として定義される利益ポテンシャルの説明に移る流れは見事だ。

 利益ポテンシャル=限界利益÷在庫金額(150頁)

2016年10月16日日曜日

【第632回】『コハダは大トロよりなぜ儲かるのか?』(林總、ダイヤモンド社、2009年)

 『餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか?』『美容院と1,000円カットでは、どちらが儲かるか?』に続くシリーズ第三弾。ビジネスフィクションものの宿命ではあるが、立て続けに困難な出来事が訪れ、それに立ち向かう主人公たちがかわいそうにも思える。

 しかし、その戦いの様を読み込むことで、私たちが仮想的に主人公たちが直面している環境を追体験し、そこから学べるのだからありがたいものだ。

 いいかな。君がこれまでに学んだ知識は、会計の先人たちが長い歳月をかけて考えたもので、君が努力して考え出したものではない。借り物に過ぎないのだよ。大切なのは、管理会計理論を、君の経験を通して理解することだ。その過程で、いろんなことが見えてくる。管理会計がいかに素晴らしいか。そして、いかに欠陥だらけか、ということもね。経験を積むことで、先人の知識は君の血肉になる。君の価値観になるのだ(31頁)

 論語の「学んで思わざれば即ち罔し。思うて学ばざれば即ち殆うし。」(為政第二・一五)を彷彿とさせられる。何かを学ぶということは、考えることとセットであり、それは体験をしてそこから内省して腹に落とすことを含むのである。

 利益と営業キャッシュフローのねじれの原因は「運転資本の増加」です。(165頁)

 極めて個別具体的な内容であるが、現在興味があるテーマに直結するものであるため、備忘録的に引用しておいた。
【第170回】『戦略不全の論理』(三品和広、東洋経済新報社、2004年)
【第248回】『経営戦略の論理(第4版)』(伊丹敬之、日本経済新聞社、2012年)
【第573回】『経営戦略を問いなおす』(三品和広、筑摩書房、2006年)

2016年10月15日土曜日

【第631回】『美容院と1,000円カットでは、どちらが儲かるか?』(林總、ダイヤモンド社、2008年)

 『餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか?』に続くシリーズ第二弾。本作では、前作で学んだ会計の知識をどのようにビジネスの中で活かすかという観点から、管理会計を経営リテラシーとして用いる視点がストーリー仕立てで展開される。

 出てくるキーワードはどれも基礎的なものではある。しかし、それらを現実のビジネスにおいてどのように活用するのか、またそれぞれの概念の繋がりは何かをおさらいしながら学べるのがこのシリーズの良いところであろう。ストーリーが面白いためにあっという間に読めるが、学びは思いのほか多いものとなるだろう。

 コンピュータシステムが成功するかどうかの鍵は、ERPパッケージでもなければ、SI会社でもない。大切なことは、経営者が、経営に必要な情報を明確に定義できるかどうかだ。(39頁)

 細かな概念については本書を読んで学んでほしい。しかし、管理会計をなぜ行う必要があるのかという総論に関しては、上述したメッセージに集約されていると私には思える。システム化をすれば何かが解決されると私たちは時に思ってしまうが、そうではない。そもそも何をシステム化してそれをどのように扱うのかを定義しなければ、経営上のインパクトは弱く、下手をすればネガティヴなものとなる。システム化は、他者に委ねて利益が出る魔法の杖ではなく、当事者意識を持って構築するべきものなのだ。

2016年10月10日月曜日

【第630回】『漱石に学ぶ心の平安を得る方法』(茂木健一郎、講談社、2011年)

 漱石の一連の著作を読んできた方には面白い書籍であろう。著者と、漱石をテーマにした語り合いをたのしんでいるかのような感覚をおぼえることができるのではないだろうか。

 小説を読むこと、フィクションを味わうことは、人生における緩衝材となる。自分がまだ体験したことのない人生の苦しみ、あるいはかつて経験した苦しみに対して、物語は一つの写し絵になるのだ。(20頁)
 
 小説を読む醍醐味はここにあると私も考えている。自分が見たり経験したりできることには限りがある。しかし、現実世界では他者と付き合うわけであり、他者が何を思い、何に感じ入っているのかを推察するためには自分の経験では及ばないことがあまりに多い。そうした時に、小説の中で赤の他人の思考や感情をあたかも追体験していると、他者を忖度して対応する一つの有力なヒントとなる。

 『三四郎』を通じてのメッセージ、それは「迷うことや惑うことは、決して悪いことじゃない」ということだと僕は思っている。
 そもそも青春の本質を一言で言うならば、惑うことだ。
 迷って、惑って、求め続けて……。
 それがすなわち、人生のロマンチック・アイロニーなのだ。(34頁)

 美禰子が三四郎に語るストレイ・シープが『三四郎』の一つの鍵概念となる言葉であろう。それを思い起こせばこの部分はよくわかりやすい。何か具体的なゴールや目標から演繹的に逆算で行動をすれば迷うことはほとんどない。合理的に判断ができるということは、主観的な要素がなくても問題がないということであり、客観的に粛々と正解を導き出せば良い。したがって迷ったり惑ったりする要素はないが、現実はそうではない。迷い、惑うことが生きることなのである。

 「心」とは、本当に不思議な存在である。生きる上で容易には役に立たないことを考えることが、働きをイキイキとさせる。心のやっかいさに向き合うことが、自分を耕すことなのである。(107頁)

 迷ったり惑ったりする行為は決してネガティヴなものではない。もちろん、そうした心の作用は本人にとって心地よいものではない。しかし、そうしたプロセスを経ることが、自分自身を耕すことになり世界観を広げることにつながるのではないだろうか。


2016年10月9日日曜日

【第629回】『隠れた人材価値』(C・オライリー、J・フェファー、廣田里子・有賀裕子訳、翔泳社、2002年)

 人事の領域には流行がある。戦略や組織に流行があるのだから、それに応じて人事にも流行りのアイテムがあるのは致し方ない。しかし、それらを真似するだけでは決して組織はよくならないし、時に悪化すらする。なぜなら、個別のアクションが遠心力として働き合い、求心力が働かなくなるからである。

 では、何が必要なのか。シンプルに記せば、個別のアクションの整合性を取ることであり、その拠り所となる考え方を設けることであろう。

 では、成功をもたらすものは何だろうか。答えは人材マネジメントのあり方だけでなく、価値観を重視する姿勢、さらには価値観、戦略、人材の整合を取ることにある。(38頁)

 端的に価値観によって、人材マネジメント上のアクションの整合性を取ることが重要であると著者は指摘する。では次に、どういった価値観が重要なのか。もちろん企業によって、業界によって異なる点はあるだろう。そうしたものを踏まえても、普遍的に重要なものとして二つのものを挙げている。

 これらの企業がほかと違うのは、次の二つのことーー他社では欠落しがちであるーーを特に重視している点だ。一つは目的意識、もう一つは社員の尊重である。(344頁)

 価値観の内容として挙げられているのは目的意識と社員の尊重である。目的意識には異論がないだろう。『ビジョナリーカンパニー』を嚆矢とした一連の著作を俟つまでもなく企業にとって大事なものはミッションや目的と言われる存在である。その上で社員の尊重という一見してヒューマンに過ぎる概念が提示される。しかし、綺麗事で議論をすませるのではなく、具体的な施策の整合性という観点で以下のように論を進めていることに注目するべきだろう。

 肝心なのは、単にいい人材を選考し、トレーニングするということにとどまらず、社員がモチベートされて、それぞれのアイデアを行動に置き換えることができるように会社を組織することである。(370頁)

 ただ単に社員を尊重すると金科玉条のごとく述べるだけでは、いつまでも実現しない。尊重とは、相手の意思に単に従うということを意味しない。個人の成長・開発にとって必要な施策を、整合的に、それぞれの社員に合わせてデザインしていく必要がある。だからこそ、人事に求められる役割が存在し、人事だからこそできる貢献がある。

 人事の仕事は、何をやってはいけないか社内に告げることではなく、競争力を高める有為の人材を誘致し、定着させ、やる気を起こさせることをサポートする方法を開発することなのだ。(372頁)

 人事マネジメントに携わる身として、常にかみしめたい至言である。


2016年10月8日土曜日

【第628回】『餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか?』(林總、ダイヤモンド社、2006年)

 学びたいと思った時こそが学び時とはよく言ったものである。企業全体に関わる会計数字をもとに自社のビジネスを本気で考えたいと思う方にとって適した書である。ストーリーの面白さとともに、たのしく会計の基礎を学ぶことができるだろう。

 会計はだまし絵であるというメイン・メッセージを提示し続けながら、決算書とは、データに基づきながら主観的な解釈によってルールに則って作成されていることが解説される。決算書の背景やそこに込められた経営者の考え方を、基礎的な会計の知識をもとに読み解かれている。

 PDCAサイクルが有効に機能するには、予算と実績の背後にある現場レベルでの「計画した作業」と「実際の作業」を比較することが肝心なのだ。(88頁)

 繰り返しとなるが、決算書は、事実とルールに基づきながら経営者の主観によって作成されたものである。しかし、そうであるからこそ、書かれた内容をもとに分析と解釈をすることが可能だ。決算書という結果としての数字から、意味を見出そうと分析することで、現場で起きている事象の背景を理解できる。


2016年10月2日日曜日

【第627回】『経営理念の浸透』(高尾義明・王英燕、有斐閣、2012年)

 素晴らしい学術書に出会うとうれしくなる。一度読むだけでは内容を深く理解することができないにもかかわらず再び読みたくなるものが、私にとって素晴らしい学術書の定義である。そうした想いに至る要素はいくつかあり、先行研究が丹念に整理されていて、章ごとの研究上の問いが繋がっており、実践的含意をもとに読み手が思考を巡らすことができる、といったものである。

 こうした私の嗜好からすると「経営理念の浸透に際して組織を「一枚岩」として扱うことに疑問を感じ、個人の視点から経営理念の浸透を解明する必要性を認識したこと」(5頁)をきっかけに本研究を行なったという部分に心を掴まれた。しっかりした経営理念を組織の成員が画一的に理解するべきという考え方が従来の主流なものであり、ビジネスの領域では『ビジョナリーカンパニー』や『隠れた人材価値』がその典型であろう。研究上の問いによって私の中での「当たり前」が相対化されたのが新鮮な驚きであり、本書に魅了された理由である。

 まず著者たちは、理念浸透という事象をどのように把捉することが可能なのか。

 理念志向的企業のみならず、一般的な企業でも認知的理解、情緒的共感と行動的関与の3次元から理念浸透を分析可能であることが判明した。具体的には、理念への認知的理解には理念のないように関する認知度、自社の新入社員または社外の人に対する説明力の3項目によって測定される。情緒的共感は、理念に対して共感を覚える、仕事上の難問を乗り越える助けとなる、および個人の価値観と組織の理念が一致するなどの側面からの3項目で測定が可能である。さらに、理念を反映する行動的関与は、理念に言及する、理念を実践するための行動がいかにとれるかを考えたり、理念に立ち返るなどの5項目によって構成される。(67~68頁)

 端的に、認知的理解、情緒的共感、行動的関与という三つの要素で、個人の側から見た理念浸透を測定可能であると結論づけられている。この三つの次元の中から、行動的関与に焦点を当てて以下の実践的含意を導き出している。

 理念への行動的関与を高めるためには、「高水準の共感をできるだけ維持しながらも、自社の理念とは何かをしっかりと従業員に理解してもらう」ことが肝要となる。(91頁)

 実務上では新規性がそれほどないことかもしれないが、認知的理解と情緒的共感とが行動的関与に影響を与えるということが確認されたことに意義がある。理念に基づいた行動を評価項目に落とし込んで行動的関与から企業が促そうとすることはよくあるケースである。しかし、その前提として、個々人が経営理念を理解して自分なりに咀嚼していて、かつそれに情緒的な共感を覚えていなければ、評価項目への落とし込みは画餅に終わる可能性がある。そうした事態は理念浸透に悪影響を与えるばかりではなく、評価自体の公正性の担保にも影響が及ぶ可能性が大きいというところまで読み解くことができるのではないか。

 こうした個人による組織の経営理念への関与は、何も組織と個人という二項対立でとらえる必要はない。著者たちは他者との関係性が理念浸透のメカニズムに大きな影響を与えるとしており、特に上司との関係性が三つの次元の全てに影響を与えたと分析している。

 すべての次元において正の関係性が見いだされた上司の理念浸透との関係性をもとに、理念浸透が進んでいない企業で行うべき対策を検討する。このような企業では、上司が理念を大切にしているようには見えないため、部下も理念について真剣に受け止めてはいない。そうしたなかで理念浸透を推進するには、まずは、上位の階層から理念に対する理解を深め、さらには理念の実践を促進する施策をとることが不可欠となる。より上位の職位にある上司の姿勢に変化があれば、部下はそれを敏感に感じ取るため、全社的に上から下への理念浸透を図っていくことが進めやすくなる。
 そのための有効な手法の1つとして、カスケード式の研修を行うことが挙げられる。最も上位の階層が最初に研修を受け、次に研修を受けた上位者層が、次の段階の階層が受講する研修の講師役を務めるということを繰り返していくことで、徐々に全社的な浸透を図るものである。また、(中略)理念の実践についての行動評価を上位階層から徐々に適用していくことも、同様の効果をもちうる可能性がある。(120~121頁)

 ここで重要なのは上位階層からの浸透が大事なのであり、下位階層からのボトムアップや職場全体を同時に扱うということではないとされている点である。私たちはともすると、多面的な仕掛けを志向してボトムアップ型や職場全体でのワークショップというものも重要であると考える。しかし、理念浸透という事象においては、上位階層からのカスケーディングが最も有効である点に刮目するべきであり、拙速な多面展開には気をつけたいものだ。

 他者との関係性との分析を踏まえて、それを対組織としてみなす組織市民行動へと著者たちは調査の対象を拡げ、以下のような含意を導く。

 今回取り上げた組織市民行動の3次元を見ると、理念浸透を投入することによって最もモデルの説明力が向上した項目は「自発的関わり」であった。また、自発的関わりと関連している理念浸透の下位次元は、理念への認知的理解と行動的関与となっていた。理念についての理解が高い場合に、理念を実践しようとする意欲が高くなれば、組織に対する自発的な関わりが高くなり、組織内の他者を援助するような行動も増えることを示している。
 一方、理念浸透の構成次元のなかでは、理念への情緒的共感が忍耐強さと関連づけられているが、理念の認知的理解と行動的関与については忍耐強さとの関連性は認められていない。このことは、理念への理解の深い人、または理念に基づく行動を実践している人が、組織に対する忍耐強さが特別高いわけではないことを意味している。(173~174頁)

 思いきって意訳すれば、経営理念が浸透している個人とは自律的な個人であり、自発的に協働したり他者への援助を積極的に行う人を意味するということであろう。そうした個人は、自らの理念とのアラインメントを取りながら経営理念を咀嚼して理解しているために、組織が行うことを鵜呑みにすることはない。組織に従属することなく、健全な意味で個人と組織とを対等に捉え、その上で経営理念へのコミットメントを示すのである。

 こうした自律した個人による創意工夫やチャレンジを一段深めてイノベーションが創発される組織へと導く上でも、経営理念が影響を与えると著者たちはしている。

 理念浸透が個人の組織行動に及ぼす影響のメカニズムが理念の内容次第で異なる可能性があることを確認されたといえる。理念の内容が直接的に革新志向に関係したものであれば、認知的理解を高めることで個人の革新行動を高めうるが、革新志向に直接関係するものが含まれていない場合には、行動的関与を高めることを通じて個人の革新行動を高めることが可能であることが示された。そこからは、すべての従業員が革新的行動をとることを強く期待するのであれば、「イノベーション」「革新」「挑戦」といったキーワードを経営理念の中核に位置づけ、その浸透を図ることが意味をもつ可能性が示唆される。(195頁)

 経営理念で謳う文言によって社員の革新的行動を促す可能性があるという示唆は驚きであるとともに大きな希望を与えてくれる。もちろん、その内容に対して情緒的共感を覚えられなかったり、あまり飛躍していれば自分事として認知的理解ができないであろうから、そうした配慮は必要だろう。


2016年10月1日土曜日

【第626回】『銃・病原菌・鉄(下)』(J・ダイアモンド、倉骨彰訳、草思社、2012年)

 必要は発明の母である、という考え方を私たちは疑いもせずに受け容れがちだ。しかし、本当にそうであろうか。本書では、「発明は必要の母である」とされ、私は、学部時代と同様にその箇所に改めて刺激を受けることになった。

 具体的な例をあげればわかりやすいだろう。たとえば、ジョブズがiPhoneを提示するまで、私たちは携帯電話でブラウジングしたり、音楽を再生したり、スケジュール管理をしようというニーズはなかった。少なくとも、顕在的なニーズは非常に少なかった、とは言えるだろう。

 しかしiPhoneが「発明」されることによって、私たちはそれをスマートフォンと呼ぶようになり、様々なニーズが喚起されるようになった。一つの発明が、私たちの生活における必要性を生み出し、そうしたニーズによって産業が生み出されるのである。

 功績が認められている有名な発明家とは、必要な技術を社会がちょうど受け容れられるようになったときに、既存の技術を改良して提供できた人であり、有能な先駆者と有能な後継者に恵まれた人なのである。(67頁)

 発明やデザインというものには創造性が求められることは間違いないだろう。しかし、それと同等かそれ以上に、社会における潜在的なニーズへの感性と、既存の技術を組み合わせる幅広い思考能力が求められるのではないだろうか。


2016年9月26日月曜日

【第625回】『銃・病原菌・鉄(上)』(J・ダイアモンド、倉骨彰訳、草思社、2012年)

 学部時代、生理学者であり、進化生物学者でもある生物地理学者の著者が著した本書を読んで、学際研究の素晴らしさに感銘を受けた。改めて紐解いてみて、研究する方の問いの立て方の鋭さに目が向いた。

 なぜ、ヨーロッパ人は、遺伝的に不利な立場にあったにもかかわらず、そして(現代では)知的発育にダメージをあたえうる悪影響のもとで育っているにもかかわらず、より多くの「Cargo(積み荷)」を手にするようになったのか。私がヨーロッパ人よりもずっと優れた知性を持っていると信じるニューギニア人は、なぜ、いまでも原始的な技術で生活しているのだろうか。(38頁)

 現地でのフィールドワークを続けてきた著者ならではの問いではないだろうか。ヨーロッパ人はヨーロッパ人の目線から、アメリカ人はアメリカ人の目線から、そして日本人は日本人の目線から、自分たちの文明・文化の優位性を論じがちだ。とりわけ、先進国と呼ばれる一部の国家の人々以外を対象にした際にそうした傾向は顕著になるだろう。意識的ではなく無意識の言説構造においてそうした態度が出てくるものである。

 しかし、客観的に事実を積み上げていった上で、比較劣位にあるかもしくはほとんど変わらないヨーロッパ人がニューギニア人よりも優位と呼ばれる文明を持っているという事実に著者は驚く。その原因を探りだすのが本書の目的だ。だからこそ、「歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」(45頁)という本書の要約は納得的である。こうした環境の際の一つが家畜である。

 家畜化できている動物はどれも似たものだが、家畜化できていない動物は何もそれぞれに家畜化できないものである。(289頁)

 トルストイを意識した美しい対比の文章において、家畜化に関する差異が文化にもたらした影響を表している。多大な考察を踏まえて、さらに踏み込んだ分析の結果として現れた病原菌というアクターに読者の対象は移る。上巻における段階での以下の結論部分に注目しながら、下巻へと興味を誘われる。

 病原菌が人類史上で果たした役割について考慮しながら、本書のはじめでとりあげたヤリの問いかけに答えると、どうなるのだろうか。非ヨーロッパ人を征服したヨーロッパ人が、より優れた武器を持っていたことは事実である。より進歩した技術や、より発達した政治機構を持っていたことも間違いない。しかし、このことだけでは、少数のヨーロッパ人が、圧倒的な数の先住民が暮らしていた南北アメリカ大陸やその他の地域に進出していき、彼らにとってかわった事実は説明できない。そのような結果になったのは、ヨーロッパ人が、家畜との長い親交から免疫を持つようになった病原菌を、とんでもない贈り物として、進出地域の先住民に渡したからだったのである。(394~395頁)


2016年9月25日日曜日

【第624回】『ざっくり分かるファイナンス』(石野雄一、光文社、2007年)

 経営層に近い人々と仕事で一緒になるケースが増えてきたからか、企業を数値で表す話題が増えてきた。学部でも大学院でも会計やファイナンスを学んできたため、どこかで「数字を扱うのは得意」という意識があった。

 しかし、そうした意識が、会計や財務を学び直す必要はないという頑なな態度につながってしまっていたことに、遅ればせながら気づいた。なんのことはない、パッと数字を見てみても、その含意が分からないのである。これはまずいと思い、しばらくは改めて初歩から学び直す機会にしようと思った。

 その第一弾が本書である。基本に忠実に、薄い新書から選んでみた。基礎から学ぶという観点ではベストな一冊であった。

 会計とファイナンスとの違いについて、端的に二つを挙げている。一つ目は、会計は「利益」を扱い、ファイナンスは「キャッシュ」を扱う(14頁)という対象の相違である。二つ目は、会計が企業の過去の業績を扱うのに対して、ファイナンスは企業が将来において生み出すキャッシュフローという未来の数字を扱う(17頁)という時間軸の相違である。細かな内容について学ぶ前に、こうした大枠での内容を説明してくれる書籍というものは、入門書として大変ありがたい。

 貸借対照表における借方と貸方を整理した図3(22頁)も、極めて初歩的な内容ではあるが、だからこそ改めて質問しづらい部分であり、重宝しそうだ。

資金の運用

【資産】
流動資産
固定資産
【負債】
流動負債
固定負債

資金の調達
【資本】
資本金
剰余金


2016年9月24日土曜日

【第623回】『ビジョナリーカンパニー』(J・C・コリンズ J・I・ポラス、山岡洋一訳、日経BP出版センター、1995年)

 学生時代、企業組織に興味を持った理由にはいくつかあるが、本書を読んだこともその一つの重要なものであった。その後も何度か読み、久しぶりに読み直してみて、改めてそこに書かれているメッセージに呻らさせられた。

 重要な問題は、企業が「正しい」基本理念や「好ましい」基本理念を持っているかどうかではなく、企業が、好ましいにせよ、好ましくないにせよ、基本理念を持っており、社員の指針となり、活力を与えているかどうかである。(115頁)

 多くの日本企業において理念浸透が課題となってから約十年は経過している。そうした取り組みの中では、正しい企業理念や価値観といった観点で参加者から疑問や質問が出ることが多いようだ。しかし、「正しい」や「好ましい」といった発想ではなく、なんであれそれが実際的に働く上での指針となっているかどうか、という軸こそが重要なのであろう。多少の自己流の解釈やアレンジを許容しながら、社員が理念や価値観に親近感がわき、自分事として捉えて日常の仕事の中に活かしている、という状態をいかに創り出すか。ゼロから何かを生み出すというよりも、日常業務をデザインするという発想が私たちに求められているのであろう。

 企業が意図を持つのは、とてもよいことだ。しかし、その意図を具体的な行動に移せるかどうか、アメとムチを組み合わせた仕組みをつくれるかどうかが、ビジョナリー・カンパニーになれるか、永遠になれないままで終わるのかの分かれ道になる。(143頁)

 ではどのように日常の業務に落としこむかとなると、理念の唱和といったレベルの話では済まない。理念を活かすために、制度やガイドラインといったしくみをいかに創り込むことが重要である。さらには、そうしたしくみを華々しく導入するだけではなく、トップからいかなるレベルの社員に至るまで、日頃の地道な行動を促すものになっていることも必要だ。そのような地道な活動も含めたデザインとメンテナンスを担うのは企業におけるサポート部門の役割となるだろう。ただし、そうした役割を担うという自負とともに、自制心を持って部門の事象は部門で対応できるようにサポート役に徹することもまた求められる。

 管理職の仕事のなかでは、部下に配慮することがもっとも重要な部分だ。……人事部門はどんな理由があっても、各部門の人事上の問題を扱ってはならない。まともな管理職になるためには、人事に対する責任を受け入れ、人事の問題を自分で処理しなければならない。(358頁)

 HPの人事部門におけるポリシーについて述べた箇所である。各企業によって程度の差はあるだろうが、人時部門が全ての人事事象を担うべきではないのは間違いないし、だからといって部門に全てを委ねるということも現実的ではない。どのように部門のニーズを捉えて、どのように部門の管理者のサポートを行い、どのように経営に対してフィードバックするか。人事部門に求められる役割を今一度考えさせられる。